なぜヨーロッパはロシアと戦えなかったのか?
英国のフィナンシャルタイムズが、トランプは欧州を団結させた偉人であるというブラックな論説を掲載しています。
ドナルド・トランプは欧州を再び偉大にしている、進展なかった結束強化に弾み――ギデオン・ラックマン(1/3) | JBpress (ジェイビープレス)
さすがブラックジョーク好きな英国人らしく言い方がふるっています。
「ドナルド・トランプは絶対にノーベル平和賞を受賞しないが、欧州の結束に最大の貢献をした人に毎年授与されるカール大帝賞(シャルルマーニュ賞)の有力候補になるだろう」という書き出しです。
実にトランプはいいことをしてくれた、バラバラでまとまりのない仲良し学級委員会にすぎなかったヨーロッパをなんとひとつにまとめ上げてくれたのだぁ、すんばらしい偉業だ、ブラボーということのようです。
あながち冗談ではなく、ほんとうにシャルルマーニュ賞(カール大帝賞)というのは実在します。
賞の目的はヨーロッパの団結の促進です。
カール大帝 - Wikipedia
「われわれは、西欧の理解と地域の同一性に寄与し、また人類と世界平和において最も価値のある功績に対して国際的な賞を贈ることにさせていただきます。その功績とは、文学、科学、経済、政治における業績を対象とします」
カール大帝賞 - Wikipedia
ちゃんと政治も一項入っていますから、トランプの頭上にさん然と輝くのもあながちなしとも思えません。
ただし、もちろん逆説であって、ほんとうはゴールデンラズベリー賞主演男優賞でしょうがね。
とまれ、この間一昔前を知る者にとって驚くほど「ヨーロッパの団結」が進みました。
もちろんその理由は、ウクライナ戦争とその和平を巡ってのトランプがロシアに急接近し、ヨーロッパを切り捨て、EUには関税で牙を剥き、さらには内政にまで手を突っ込んで親ロシア極右勢力を後押ししたことに起因します。
これはヨーロッパ各国をまんべんなく恐怖に陥れました。
ゼレンスキーがホワイトハウスから追い出された件の事件の時など、ハンガリーを除くほぼすべての国が強い抗議声明を出したほどです。
シュナイダー、メルケルと2代に渡って親ロシアの筆頭だったドイツの次期首相のメルツはこう述べています。
「ドイツのフリードリッヒ・メルツ次期首相は「親愛なるウォロディミル・ゼレンスキー、私たちは良い時も厳しい時も、ウクライナを支えている。この恐ろしい戦争において我々は決して、侵略者と被害者を混同してはならない」と書いた」
(BBC3月2日)
欧州など各国首脳、次々とゼレンスキー氏を支持 トランプ氏との衝突後(BBC News) - Yahoo!ニュース
では、頂戴したコメントにもありましたが、なぜヨーロッパは真正面からロシアと戦えないのでしょうか。
ウクライナ侵略の直後、エドワード・ルトワックはこう書いたことがあります。
「G7の一員である米英独などを主体とする北大西洋条約機構(NATO)も、ドイツなどが国防への投資を怠ってきたことから弱体化が指摘されてきた。ロシアは、そうした現状を見越して侵攻に踏み切ったわけだが、その瞬間からNATOは逆に極めて強力な組織に変貌を遂げた。
ショルツ独首相は国防費を国内総生産(GDP)比2%以上に引き上げると表明したほか、加盟国のポーランドやデンマークなどが今月に入って国防費の大幅増額を決めた。NATOは目を覚ましたのだ」
(ルトワック『ウクライナが呼んだNATOの覚醒』2022年3月18日)
【世界を解く-E・ルトワック】ウクライナが呼んだG7の「覚醒」 - 産経ニュース (sankei.com)
プーチンがウクライナ侵攻に踏みきったのは、NATOを甘くみていたからです。
では、なぜ甘く見られていたのでしょうか。
NATOは軍事同盟でありながら、各国が勝手なことを言ってまとまらず、しかもカネがなかったのです。
軍事力を強くするためには新たな兵器の増産と導入、それを扱う兵員の増強と部隊編成、そして技術革新が必要です。
そのためになにがいるでしょうか。それを支える積極財政です。
しかしNATO、つまりはEUには軍備にかけるだけのカネがありませんでした。
EUは人類の夢という甘い黄金の檻に閉じ込められて、財政拡大でテコ入れしようにも欧州財政収斂基準(マーストリヒト基準 )で緊縮財政を強いられ、大規模な財政出動をしようにもその権限は当該国財務省にはなくECB(欧州中央銀行)がガッチリ握っていました。
つまりはトランプがいきなり国防費を3%にしろ、とガナっても欧州財政収斂基準の強い縛りのためにできなかったのです。
しかし容易に分かるように、それでは思わざる緊急時に対応できません。
それが痛いほどわかったのが新型コロナでした。
「EUの財政ルールには、各加盟国の統制の及ばない異常事態が発生した場合には、適用を一時停止する条項(一般免責条項)が設けられている。2020年3月に欧州委員会は、新型コロナウイルス感染症の拡大を「異常事態」とみなし、財政ルールの適用の一時停止を提案し、欧州理事会はこれを承認した。
そのため、各国は財政ルールに囚われず、大型の財政出動を実施することが可能となった。財政ルールの再開時期については当初は定められていなかったが、2024年から再び適用されることとなった」
EUにおける財政(規律)ルール見直しと日本への示唆 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所
そして新型コロナが収束した直後に起きたロシアのウクライナ侵略でした。
これでわかったことは、感染症や戦争は国境をたやすく超越し、ヨーロッパは無力だということでした。
いままで国境を越えるパンデミックなどスペイン風邪くらいのもんさ、もう過去の話さ、ロシアの侵略だって、そんなもん冷戦期の発想だよ、今は経済が相互に乗り合っているんだ、ロシアが天然ガスのお得意さんを侵略しっこないいぜ、という考えがヨーロッパの常識でした。
そして口にこそしませんが、軍事などという汚れ仕事は米国に任せておけばいいという貴族趣味もあったのです。
それを体現したのが、緊縮財政の筆頭のメルケルでした。
16年も続いたメルケルによって、かつて強豪を自他ともに認めたドイツ連邦軍はボロボロになっていきます。
陸軍は動く戦車は一握り、海軍はまともな艦船がないという体たらくの時期すらあったようです。
「ドイツ国防軍の装備はとてもお粗末で、すでに10年以上も前から問題になっていた。有事となれば、戦闘機は飛ばない、駆逐艦は出ない、戦車は走らない、弾丸はないという状態になるだろうと言われつつ、しかし、いっこうに改善されないまま今日まで来ている。飛ばないヘリコプターが多すぎて、演習の時にADAC(日本のJAFに相当する民間の自動車連盟)から借りたという不名誉な話もあるほどだ」
(川口マーン恵美2022年11月27日 )
「防衛費増額」の是非を議論している場合ではない…平和ボケで国防軍がボロボロになったドイツの教訓 専門知識が失われて、軍備増強の計画を立てられない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
こんな状況だから砲弾やミサイルの備蓄が足りず、ウクライナに支援したくともできなかったのです。
このヨーロッパ流平和ボケがまったく誤りだったことはこのパンデミックとウクライナ戦争で証明されてしまいます。
いま、ヨーロッパはやっと目が覚めました。
「これまで何十年も滞っていた欧州の結束強化へ向けた抜本的な対策が今、進み始めている。
注目しておくべき重要な分野が3つある。1つ目は欧州の防衛、2つ目は欧州共同債、そして3つ目は英国とEUの不和の修復だ」
ドナルド・トランプは欧州を再び偉大にしている、進展なかった結束強化に弾み――ギデオン・ラックマン(1/3) | JBpress (ジェイビープレス)「ブルームバーグ・エコノミクス(BE)は、ウクライナの防衛と欧州主要国の国防強化には今後10年間で3兆1000億ドル(約470兆円)の追加費用がかかり得ると推計する。北大西洋条約機構(NATO)の計画立案当局は、防衛費を国内総生産(GDP)の最大3.7%に加盟国は引き上げる必要があると試算したと、ブルームバーグは先に報じた。NATOに加盟する32カ国のうち、GDP比2%の防衛支出目標を昨年時点で達成しているのは23カ国だけだった。
資金調達について協議されている選択肢には、EUの財政規則に抵触せず調達額を引き上げることが可能な免責条項も含まれる。欧州委員会のフォンデアライエン委員長は先週のミュンヘン安全保障会議で、このような防衛投資のためのメカニズム発動を提案した」
(ブルームバーク2月18日)
欧州首脳が防衛強化策で協議、共同債議論されずー米仏首脳が電話会談 - Bloomberg
欧州の世論は軒並み8割近くがトランプに不信感を露にし、米国はいまや信頼出来るパートナーから「脅威」とさえ見られるようになりました。
それはヨーロッパ各国政府も同様で、外交上の配慮から口にしないだけです。
「外交上の理由から口に出して言う人はほとんどいないものの、欧州諸国の多くの指導者はトランプの米国が今では脅威になったと考えている。 欧州首脳は、80年目に入った大西洋同盟のために、欧州が米国の軍事支援に大きく依存するようになったことも痛感している。
これはお金だけの問題ではない。本当に危険なのは米国の技術と兵器に対する依存だ。
欧州の人々はトランプ政権が機密情報と兵器の供与を停止した後、ウクライナ人がどれほど大きな問題に陥ったか、よく分かっている」
(フィナンシャルタイムス前掲)
軍事力を強化せねばならない、というのはとりたててトランプに言われなくてもわかりきった話です。
また米国の軍事力、たとえば駐欧米軍の存在や米国の兵器体系に依存していたことを抜本的に改善せねばならないことも分かっていました。
ただEUのマーストリヒト条約基準で国のサイフが締まってしまってカネがなかったのです。
これをなんとかしないと1ユーロも出ないでしょう。
ヨーロッパがウクライナ支援の必要性をいやというほど分かっていても、米国ほどの支援が出来なかったのは、ひとえに軍事費が不足しており、備蓄している兵器も少なかったからです。
それは支援の額でわかります。
【そもそも解説】ウクライナ支援の現状 武器のレベルは徐々にアップ:朝日新聞
EUは非軍事的財政支援に多く回り、軍事支援はわずかであることがわかります。
ドイツはレオパルトⅡ戦車を送っていますが、それが遅れに遅れたのはなんのことはない自国軍の備蓄も少なかったから支援できなかったのです。
戦車はただの輸出品、じぶんの国では使わない、これがメルケル流でした。
「EU共通債へのタブーは伝統的に、倹約的なドイツで強かった。
新型コロナウイルスのパンデミック中に、このタブーが部分的に破られた。それがこれから完全に一掃される公算が大きい。
ドイツの次の首相になるフリードリヒ・メルツは、防衛とインフラ関連の歳出をドイツの基本法(憲法に相当)で定められた赤字支出の上限から除外する方向へ進もうとしている。
ドイツが過去に財政規律を重んじてきたことは、多額の債務を抱えたフランスや英国よりも借り入れの余地がはるかに大きいことを意味する」
(フィナンシャルタイムス前掲)
軍事費を赤字の上限の範疇から除外するというのは、日本の財務省にも聞かせてやりたい措置です。
恒久的インフラ整備や軍事費拡大を言うと、直ちに自民党税制部会の宮沢や財務省はすぐに財源はと水をかけるのですが、今後の世代の安全に寄与するインフラには積極的に国債を当てればよいだけのことです。
ヨーロッパの場合EUという枠組みがありますから、欧州共同債となります。
「これがEUの防衛産業に投資するために1500億ユーロ調達することを欧州委員会に認めた首脳陣の決断のロジックだった。
新規支出は恐らく防空システムなど、欧州諸国が特に大きく米国に依存している分野に集中的に投じられるだろう。
EUの共通債発行はただ単に防衛のために資金を調達する手段ではない。米ドルに代わる世界の準備通貨としてユーロを強化する機会も与えてくれる。
トランプ政権の移り気は、安全資産として米国債に代わるものを求める世界的な意欲が大きいことを意味するからだ」
(フィナンシャルタイムス前掲)
このようにヨーロッパは従来の米国依存から目覚め、独自の勢力としての力を再構築しようとしています。
日本も他人ごとではありませんよ。
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