生きる・生かされるということ
ぼや~と考えていたことなのですが、「人の協働と自然との共存」というテーマです。ああ、引かないで下さい。そんなたいしたこと言いませんから。抽象的な言辞は嫌いです。できるだけ自分の言葉にしてお話したいと思います。少しの時間、おつきあい頂ければ幸いです。
村の峠から見下ろす
私が好きな村をながめる場所にちょっと小高い峠があります。手前に武田川という小川が蛇行し、水田が拡がり、此方には円通寺の本堂の大屋根が見えます。右手には火の見櫓がかいま見え、小さなほこりっぽい国道が走っています。遠くには作り酒屋の煙突の先だけみえます。
今、村は田植えが終わって一段落した時期です。今年は、田植えの直後に低温が続いて、活着(*根がしっかりと土壌に定着すること)が悪かったのでお百姓は皆ひやひやしました。GWにだいたい皆、田植えをするのですが、今年は田植えが遅れた人のほうがうまくいっているようです。この後、夏日が続いたので、村全体でほ~っとしています。いくら、お上が減反だと言っても、そもそもできなければ話しにもならないでしょう。
ムラが作った風景
この峠から村を見るともなく見ていると、集落がどんなふうにできているのかがおぼろに分かります。実はいつもは分かりにくいんです。車で走ることが多いので、なんとなく見過ごしてしまう。けれど、4月の末に田がいっせいに水を引き込む時、村はいつもの顔から、まるで湖に浮いた島々のようになもうひとつの顔を見せます。
田が満々とした水を湛える時、防風林の欅や榊の生け垣が堤防のように水をくい止めているような錯覚に陥ります。その時期、この峠から見ると、集落の家々は連なって、水や風を防いでいるようにすら見えます。そしてやがてくる8月末、黄金の輝きをもった海にその島々は囲まれています。
これが共同体が造り出した風景です。それはひとりの見た風景ではなく、あくまでも共同の風景なのです。
沖縄の部落の福木
そういえば、こんな風景は沖縄でも見たことを思い出しました。
例えば、当時私が住んでいたヤンバルの海岸沿いの集落であるシマ(村)に行くと、海岸に沿って全部の、まさにひとつの例外もなく全部の家が海岸に向けて防風林である福木を植えています。福木は丈夫で、しかもよくしなり、風や海水に強い植物なのです。
この樹が大きく手を拡げて村を守っているのです。そしてその手の内にシィクワーサーの果樹やパパイヤが守られて繁っています。
もし仮に、この共同の防風林の一角をフリムン(馬鹿)のヤマトゥが買って、この別荘から海を見たい、自分の土地だからなにをしようと勝手だろうとばかりに自分の敷地の福木を切ってしまうとします。
と、どうなるのか。台風の時の風雨は、海水を巻き上げながら、この崩れた防風林の一点の穴から吹き込み、部落の中を暴れ回ることでしょう。そして狭まった場所からの風雨の流入は、その風速の威力を増大させて、被害を大きくしてしまいます。
なぜ、ウチナー(沖縄人)がよそ者に土地を売らないのかお分かりいただけると思います。それは単純な排他主義ではないのです。地域の自然とそれを守る共同体の約束事を守る気持のない人はムラに入れられないというルールにすぎません。
(続く)
次回はわが村の掟をお話ししましょう。
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