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沖縄に渡って初めて出会ったのは

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沖縄に惚れ抜いて、とうとう勤め人を辞めて渡ったのが、ちょうど30の時だった。ザックひとつを背負って泊港に着いた時に、靴の紐を締めるふりをして、桟橋にキスをした。

ようやく来た!ついに来た!すべてを捨ててきた、よろしくオキナワ!という気分だ。しかし、地面にキスまですることはない。まったくバカである。第一バッチイではないか。

そして、亜熱帯の夕暮れ時、紫色に染った長い日没のなかを那覇に向って歩き始めた。気分は高揚。足どりは大股、そこら中のウチナンチュー(沖縄人)に抱きつきたいような幸福な一体感があった。 

と、電信柱の陰から色黒く、怪しげなアロハを着たオジサンが、ニコニコ笑って声をかけてくるではないか。「オニィさん、これいらないかねぇ」、そして小指を立てた仕種は、なにか沖縄の手話のようなものであるのか。そして「二枚、二枚」と、いっそう訳のワカラナイことを言う。私を二枚目だと言いたいことはよく分かるが、いきなりそう言われてもねぇ、照れるな。

 ところで、私は最初に出会ったウチナンチューに、ある宣言をすることを心に誓っていた。そこでこのオジサンにこう厳かに言った。きっと鼻の穴が開いていたことであろう。

「私はこの島に農業をしに来たのだ。沖縄繁栄のための捨て石になる覚悟です!」なんたる感動、なんたる崇高な歴史のひとこま!

ところがオジサン、グエっという顔をして「アキシャビヨォ~」などと言いながらさっさと逃げてしまった。なんだあの顔は、農業をしにきてどこが悪い、と少々腹を立てながら、電柱の地番を見ると「辻」とあった。後に知るが、オキナワで一番の大歓楽街だそうである。私の沖縄移住の最初の出迎えは、ポン引きオジサンだったのである。

ちなみに、「アキシャビヨー」(アキサミヨ)は「びっくり仰天」、「あきれた~」ていどの意味であることも、これも後に知った。

思えば、マヌケな幕開けであった。

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コメント

先ほどまで長男夫婦が着ておりました。明日から下の弟が任務地に赴任するということで壮行会を開いておりました。お祝いだといって山田電気のポイントカードをわたして帰りましたが3万ポイントもあったそうです。昨年新婚で37型のデジタルテレビのときのだそうです。その長男に聞くのを忘れていましたが、大学時代の夏休みリュックひとつで沖縄を放浪しましたた。本島では公園や海岸に寝泊りしたそうです。宮古島では友達のそのまた友達の実家を訪ねて行って、その友達もいないのに泊めてもらいご馳走にもなったそうです。さすがにそれはこちらから菓子折り送りましたが。私は口先だけの自然派。みなさんを尊敬と畏敬の念で見ています。いや、読んでいます。ははぁ。

投稿: 余情 半 | 2008年6月 1日 (日) 23時06分

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