行政にとって有機農業はゼロだった
茨城県版の有機農業推進法を作るために働いている。いうまでもなく手弁当だ。皆、自分の仕事をおいて参加してきてくれている。昨日も会議があった。県の担当者も交えて数時間わたる会議。
一定の方向が出てきている。ひとつは県との共同のあり方。別に驚きもしなかったが、昨年、県推進フォーラムを立ち上げて、最初に県行政と接触した時に県の農水課長から、えらく正直なことを言われた。
「有機農業は味噌っかすだと思っていた」・・・言うではないか。正直でよろしい。ハラワタは少々煮えたが。かくも県行政、いや国家行政までふくめて行政当局の有機農業に対する理解は浅い、もとい、ない。
日本の有機農業の歴史はそんなに浅いものではない。むしろ諸外国の中では、江戸時代からの素地があるせいか古く厚い。わが県の歩く日本有機農業 史のような魚住さんなど既に35年近い実践をしているし、かく言う私ですら25年にもなる。そして県レベルですら150名を超える有機農業者が存在しているし、エコファーマーなどうじゃうじゃいる。これは全国でも屈指だろう。大地もパルもポランも、茨城県を産直発祥の地にしていることでもわかる。
にもかかわらず、県行政にとって我々はみえない存在だった。いることすら知らず、有機農業など一握りの変人ていどの認識しかなかったのではないだろうか。そこに、寝耳に水、一昨年国会で全会一致で有機農業推進法が成立し、5年間と区切った形で地方行政に推進法の実体化を求められてしまった。
県行政はあせった。しかし、腰は重かった。1年目である07年はほとんど見逃しのアウト。なにをどうしたらいいのか、何をしたらいいのか途方に暮れていたとしか思えない。彼らの認識は、せいぜいがところ「エコ農業」までであって、減農薬までは、かろうじて理解が出来るが、有機農業という異世界には想像すらつかなかったようだ。
そこに彼らからすれば降って湧いたような強力な「援軍」が登場した。つまり、私たち有機農業推進フォーラムである。私たちはあえてこの空白に終わった07年をラッキーととらえた。おかしなものを作られるより、実のあるものを民間主導でできる。
それにしても県の動きは鈍い。鈍過ぎる。フォーラム総会が今年2月、そこからしつこく接触をしているのに、5月まで年度期末とかで協議が引き延ばされる。そして5月に会ってみれば、今度は一転、この11月までに第1次素案を出したい、09年3月には基本政策を提示したいとえらい拙速を言い出す。
今はもう6月だから、わずか5カ月で基本政策素案まで行くというのだ。今までゼロだった県行政にそんなまねが可能なのだろうか。私たちは、ここで徹底した原理原則に戻ることにした。
まずは有機農業の勉強をしてもらう。ハワードの「農業聖典」から入り、ロデイルの「黄金の土」にいき、並行して作物や土壌の科学的分析をしてもらい、日本や諸外国の有機農業の歴史をおさらいする。 環境問題、里山や湖沼の荒廃などに対して有機農業が果たしてきた役割も理解してもらう。消費者や流通との提携産直も知ってもらう。大げさではなくて、国立大学の修士過程ゼミのレベルだと思う。
6月から8月まで、毎週1日3時間というハードスケジュールでいく。同時に会員からのアンケートに基づいて基本政策の大枠を作り、政策タスクチームを行政と作る。そして秋のオーガニックフェス。11月の素案の作成。
いや、とんでもないことを始めてしまったものだとわれながら思う昨今である。
写真はグアテマラのジャングルの中にあるマヤの遺跡の店で買ったジャガーの面
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有機農業の深く、素晴らしい豊かさ。
農法の難しさと価格問題。
行政の住民支配と財政的危機。
ともすると、ヒガミ根性と優越意識の行ったりきたり。お互いに、行ったりきたり。
今、はじめて真の課題を共有し、批判しあい、信頼しあう。
コラボレーション(協働)は、対立的存在の協創をいうそうだ。難しい。
投稿: 野生のトキ | 2008年5月30日 (金) 09時54分
わかった、このブログは一種の現代講座だ。だから、一端、長いブログだといつも確かめてから閉じて、あらためて読んでしまう。深呼吸と正しい姿勢。時間がないときに生半可に読んではいけない。いや読めない。日々勉強。よいしょ、馴れ合いではありません。
投稿: 余情 半 | 2008年5月30日 (金) 21時54分