巨大基地は芋畑に浸食された!
南ベトナムという今はなくなってしまった国にダナンという土地があったそうな。そしてそこには米軍のデッカイ空軍基地があったそうだ。当然、お百姓の農地をつぶして、ブルでまっ平らにして、コンクリートで固め、ブワァ~とジェット機を毎日飛ばして、自分らの国を爆撃していた。農民じゃなくても、かなり腹が立つ風景ではあるな。
で、噺はここからなのだが、周りの農民には基地内に一種の耕作権があったそうな。「黙認耕作権」と呼ぶ。農民が米軍の司令部にてくてく行って、地図など拡げ、「あそこ、うちの代々の墓と畑があったとこ。ちょっとだけ耕やさせて欲しい」なんて半分ホント、半分デマカセを言ってくる。しつこく何度も行って、行くごとに村人の数も増えるので、米軍も辟易してしぶしぶIDをくれて、鉄条網をフェンスの内側にもうひとつ張り、「ここから入ったら射殺するよ、いいね」とかなんとか言う。
いつの間にか基地内にお百姓の畑が出現したとさ
これが黙認耕作権というヤツである。つまり、表向きは禁止。しかし、墓参りのためとか理由をつけて黙認、実に大岡越前のような評定ではある。
百姓はさっそくイモを植えてしまう。植えたら勝ち。ツルが伸びる、どんどん伸びる。鉄条網に絡んで伸びる。鉄条網はまるで栽培ネットの如くなり、程なく鉄条網を跨ぎ越す。
そうすると、農民も「手入れのため」とか言いながら、勝手に鉄条網を超えて基地内に入ってしまう。とうぜん、警備兵に撃たれることとなる。すると村をあげて、遺影写真など掲げて、「ひどいことをする。ぐれてベトコンになっちゃうぞ」と大騒ぎをする。やがて米兵もイヤになって、基地内で農作業をしていても「黙認」するハメになる。
芋畑の下にベトコンのトンネルがあったてさ
さぁ、お立ち会い!いつのまにか繁茂した芋ヅルの下になんとベトコンのトンネルができていたのだ。実に良く出来た作りで、地上に出る揚げ蓋など土と芋ヅルが着いていて、素人にはまったく蓋だとわからない。そこから夜になるとベトコン(これは蔑称ではない。ベトコンをしていた当人がそう自称しているのだから間違いない)が、ドンパチやってはイモ畑に帰ってくるようになったそうな。あれあれ。
この噺の信憑性は保障致しません。よくある都市説ならぬ農村伝説かもしれません。しかし、この噺に多くのアジアのお百姓が喝采を叫んだのは事実です。
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