茨城トリインフル戦争・第1回「週間金曜日」不掲載原稿復刻す!
国民の多くは、わずか2年前の2005年夏から翌年6年暮れの知事の終結宣言まで茨城県で起きた茨城県トリインフル大発生事件、いや、現地のある人が恨みをこめて呼んだ「茨城トリインフル戦争」を忘れ去ってしまったかにみえる。
この「戦争」が何によって引き起こされたのかの真相を、数回に分けてみていきたい。
全国一の採卵鶏産地の半数が殺処分された
飼養規模1千百万羽、全国一の採卵鶏の規模を誇った茨城県のほぼ半数もの560万羽もの鶏が「殺処分」に付された。この数字は言うまでもなく、日本畜産史上、空前の数字であり、今後も破られることはないであろう。
この殺処分は県の職員だけではとうていできず、発生の中心となった小川町(現小美玉市)では、土木組合、そしてなんと陸上自衛隊の160名が災害派遣の名目で出動した。このような畜産防疫事件で、自衛隊が正式に出動したのも日本では初めてのことである。
また、処分、補償などで一説100億円以上の公費が投じられ、40を超える農場が殺処分か監視下に入った。そしてその半径3㎞以内のすべての養鶏場は移動禁止措置を受けた。
経済的な被害総額は算定しようもない。たぶん数百億円規模と推定される。これをもはや一地域で起きた単なる畜産事件として済ますのは難しいであろう。それは実は、この地域に己の私利のためにウイルスという名の魔を人為的に呼び込み、あろうことかそれを拡散させた者と、拡大を防ぎ、この巨大な悪を告発しようとした者との間の「戦争」だったのである。
本稿は2007年3月に「週間金曜日」3月号に掲載するために書かれた。しかし週間金曜日編集部との意見の相違により、不掲載となったものである。ここに改めて世に問いたい。
写真は、束の間の晴れ間の下の蓮根とせりの田んぼ。
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やりましたね。
ついに、真実をさらしましたね。
鳥インフルエンザと戦う養鶏者。
そのまえに、不正と戦う生産者。
農の現場で起こった出来事。
マスコミが知りえて公開しなかった事実。
これは、すごい。
投稿: 野生のトキ | 2008年6月 5日 (木) 09時58分