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2008年6月10日 (火)

雪の国の悲劇 第2回 1989年ラサ

チベット問題に理解をしめした希有な共産党幹部である胡耀邦氏が失脚をすると、一挙に暗転へと向かいます。

同年1月、唯一の希望を絶たれた囚われのハンチェン・ラマ10世は、勇気を奮って、共産党のチベット政策を批判します。もはや彼には、わが身を捨てての戦いしか残されていなかったのです。彼の最後の、チベット民衆へのメッセージは涙なくしては読めないものです。

そして、このメッセージを発した翌日彼は死にます。共産党は心臓麻痺による死と発表しました。謀殺であることは、疑う余地がありません。もちろんそのような発表を信じるチベット人はひとりとしておらず、世界も信じませんでした。

 そして同年4月、奇跡の友情で結ばれた盟友、胡耀邦氏が失意の中、パンチェン・ラマ10世の後を追うように死去します。

その前月、春浅いチベットで大規模な抗議が起きました。雪の国の心優しい

人々が、圧政に対して立ち上がったのです。いわゆるラサ暴動です。

 この時に、中国からチベットにいわば総督(チベット自治区党委員会書記)として送り込まれたのが、つい先日、日本に来た現総書記の胡錦濤氏でした。氏は当時46歳、この任務を昇進の大チャンスと考えて、張り切っていました。彼が来る前のチベットは、文革による徹底したチベット文化の破壊と虐殺の傷が癒えておらず、完全な軍政下にありました。
 高僧のあいつぐ処刑、しかもチベット民衆の前での公開処刑などで大きく揺れている時期でした。彼はこれを平定するために送り込まれたのです。

Lhasa00_f_2 写真は、ポタラ宮の屋上部分。現在のダライ・ラマなきポタラ宮は単なる観光施設となっている。高度3000メートルの蒼穹がまぶしい。

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