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2008年6月10日 (火)

雪の国の悲劇 第3回 胡錦濤氏の犯罪

5228  1989年2月。パンチェン・ラマ10世の命をかけた演説と、その直後の謀殺に抗議する怒りがチベット族の間に高まり、また時あたかも2月のチベット暦正月を祝う年間最大の宗教行事であるモンラムが予定されていました。

 これに対して、新「総督」胡錦濤氏は、全国各地からチベット族が集まり抗議運動に発展することを恐れて、あろうことかモンラムを禁止するという暴挙にでました。仏教が民族の背骨の民族に、その背骨を捨てよ、と。年に一回の最大の宗教的、民族的な祭祀を止めよ、と。

 これにチベット人の怒りが爆発しました。2月7日にチベット仏教の聖地ジョカン寺(チベット仏教の総本山)で大規模な抗議集会が、僧侶、市民によりもたれました。

 胡錦濤氏が、この平穏な僧侶を中心とする抗議行動に打った手は、このようなものでした。まず、文官でありながら、チベットに展開する中国軍の指揮権を自分に与える要求を党中央に要請し、党中央が認めるやいなや、軍と武警(武装警察・鎮圧用軍隊)をもってこのチベット僧侶と市民に襲いかかったのです。

 市民、僧侶はチベット民族の国歌「雪国の理想」を歌いながら、まったくの丸腰で軍と立ち向かいました。今まで大切に隠されていた何本もの色鮮やかな雪山獅子旗が、涙ぐましいラサの蒼穹にたなびいたそうです。

 1989年3月14日、チベット、ラサ。午後1時40分。胡錦濤氏は軍と武警に無差別発砲を認め、装甲車が民衆の中に乗り入れ、人々を虫のようにひき殺しました。装甲車の車輪は血と肉で滑ったそうです。本来、正月が祝われているはずの平和なラサの街は虐殺死体で溢れかえり、負傷者の助けを求めるうめきと血で染まりました。


 これが1989年3月14日のジョンカン寺における大虐殺事件です。そして中国建国以来初めての戒厳令がラサに敷かれ、徹底した摘発と投獄が行われました。この悲劇を現出させた張本人が、胡錦濤氏です。彼はこの「成功」をバネに中央に戻り、出世の階段を登っていきます。

 そして20年後のラサでの抗議行動に、最も恐怖し、常識を逸した弾圧指令をだしたのも、彼の背後にいつまでもとりついているであろう1989年3月の悪夢がなせるわざだったと思われます。

 また、ラサ暴動事件の直後の5月、胡耀邦氏を悼んで大規模な民主化要求闘争が北京で起き、これもチベットと同じように軍事的に残虐に制圧されたのが、第2次天安門事件です。このふたつの事件が、まったく同時期に起きた同じ根を持つ事件であることがご理解いただけたでしょうか。

 このようにして、1989年から2002年まで中国とチベット亡命政府との対話のチャンネルは閉ざされます。

 正義と真実を唯一の武器として闘う、心優しいチベットの人々に、安らぎと平和が訪れますように心から祈ります。
                (この稿終わり)

写真は、チベット国旗の雪山獅子旗。

 

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