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2008年6月26日 (木)

なぜ、日本農業は大規模化できなかったのか? その2 農家の自給自足はすごかった

                                            やや本筋から離れるようですが、なんでこんな低所得で農家が暮らせるのかは謎ではありませんか?Img_0008 どこかに隠し金がある、先祖の遺品を喰い売りしている?

 違うんです。農家は衣食住をほぼ自給自足できてしまうのです。現代においてもです。都市の人にとって夢物語ですが、農家はまぁ、なんとなくという感じでできているのです。

 なかなか面白いですよ。まず、主食の米は、文句なしに100%自給可能です。昔は一日に1一升飯を炊いていたそうです。一升、一升ですゾ!当然電気釜ではダメで、ガス釜。まぁ、20~30㌃も自給田んぼがあれば、喰い盛りの部活高校生が2、3匹いても大丈夫です。ただし、出荷米は減りますが。

 小麦を作れば、うどん、パンができます。今はいい品種がでてきています。ソバも簡単な作物です。種になってからが大変ですが。芋もはずせないでしょう。芋があれば、おやつに主食の代役に、はたまた豚も飼えます。餅米は5畝(0.5㌃)も作れば、死ぬほど餅が食べられるでしょう。農家は一家に一台餅つき器があるのですよ。

 野菜も100%大丈夫。肉、卵も、まぁ大丈夫でしょう。裏庭のトリ小屋に10羽も飼っておけば、部落内に配るほど出来ます。産まなくなったヤツから締めればいいわけです。豚肉はこれとの交換で、たまに喰えるでしょう。肉などたまでいいのです。魚は裏の湖や小川で釣ってきましょう。釣るのがメンドーなら、漁師さんと、お互いはね出しの品と物物交換をすればいい。

 味噌は、自分の所の大豆で楽々と出来ます。米国大豆で作った市販品など足元にも及びません。醬油もかつては、醬油屋が村々を巡回して絞っていました。

 お茶も生け垣にしている茶の若葉を摘んで(ちょうど今頃)、かつては村の焙煎所に持っていってお茶にしてもらっていました。そうそう、餅米も、地元の煎餅屋に持ち込んでいたそうです。さすが、これらは今は消滅。残念。

 果実は、栗、柿、ユズなど豊富。わが地方など、これに出荷ハネ出しのメロン、イチゴが村内で行き交います。

 酒すらも、これは自給するといかんらしいのですが、昔は平気の平左でした。芋焼酎、ドブロクなどあたりまえに作っていたのです。実際、売り買いしなければ、税務署も目こぼしだったということです。

 油は菜種から素晴らしい油が採れます。腰のあるいい菜種油が絞れました。わが家も今年、絞りました。これも昔は各地にあったそうです。

 このように考えると食に関しては、あたり前といえばあたり前ですが、完全自給自足が可能です。可能でないものは村内の物物交換、都会の方の好きな表現でいえば、「地域貨幣」的な発想で楽勝に乗り切れます。

 ただし、以上はあくまでも理念型で、実際これほど自給自足をしている農家は皆無ですが、今でも都会の人とは質量ともにレベルが違うことはわかっていただけたでしょうか。

 余談ですが、実際うちのカミさんは、村内の社交ダンスクラブでもうかれこれ10年以上もやっていますが、クラブがある2日間に、うちの卵と交換して来る農産物の多いこと、多いこと。時には、野菜、餅のたぐいはとうぜんとして、湖のコイの甘露煮まで来ますからね。今はジャガイモとキャベツの洪水で、出荷コンテナ2杯ずつは貰ったかな。おかぁちゃんらは、この物物交換したくて、クラブをやってんのかといった感じです。

 つまり、農家というのは生活費を信じられないくらいかけずに生きられる人達なのです。

 暮らすことは全部自分の圃場と村内の中でなんとかなる。しかし、そこから余るというか、足りないのが、なにを隠そう子供の教育なのです。これがいちばん堪える。教育はわが民族のいいところでもあり、弱点でもあります。

 次回、なぜこの自給自足構造が崩れたのか見た後に、次々回でご質問の「なぜ農家は土地を手放さないか」に迫ります。

                             (この稿続く)

写真は、村の谷津田に続く小道。私の大好きな散歩道。

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コメント

ちょっと見なかったら、菜の花は咲き、
蜂蜜は絞ってるし、農村の風景は移り変わってますね。
農家は豊かになるべきだ、そして、豊かになれる。
大規模じゃなくても、温帯地域の豊かな農村があるはずと思っていました。自分が餓鬼のころは、朝に泥鰌を用水路に仕掛けた網からあげるのは子どもの役目。もちろん、その泥鰌は農協に出荷してました。そして、味噌も醤油も作ってましたね。そこまで、やらなくても村の名人と物々交換。それこそが、農家の醍醐味。きっと卵だけじゃなく蜂蜜でなんかうらやましいものをゲットするんでしょうね。
米国を羨ましがってはいけません。本当は農作物を作るのに適してなんかいないと思います。先住民のことは抜きにして、彼らは貧しい広大な土地に移り住み、作れる作物は限られた中で、小麦を食べ、牛を食べ、やっと今にたどり着いたんでしょうから。

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