村に養蜂家がやって来た!そしてヤギ汁の大宴会!
恥ずかしながら、実は私、養蜂家になるのが帰農した頃からの夢でした。養蜂家って農業の変わり種なんですよね。
なによりも、一カ所に定着しません。これは街の人にはピンとこないかもしれませんが、スゴイことです。農業というのは自分の圃場の土に依拠しています。言ってみれば、土に生えている樹のようなものです。樹がどしっと動かないように、お百姓もあまり動きません。
仲間のかぁちゃんに聞くと、県都である水戸に年に一回行くか、行かないか。近くの鹿島ですら月に一回行くけっなぁ・・・とのこと。うちの夫婦のように、年がら年中、アッチに行ったりコッチに行ったりと遊びまわっていないことだけは確かなようです。
さて、養蜂家は「旅をする農家」という不思議な人たちです。農業の定着という宿命から唯一日本で解放された農業人種なのです。かつて住んでいた沖縄のヤンバルに来た養蜂家のザキミさんもそんな人で、沖縄のウリズン(若夏・5月)の頃に山イッパイに咲くイジュという広葉樹の白い花をミツバチに吸わせるために年に一回来ます。トラックに30くらいの巣箱を乗せて、選挙の候補者よろしく手を振りながらムラにやってきました。
その夜は三線と踊りの大歓迎会です。こういう時のウチナーの凄まじいまでのエネルギーには圧倒されます。
宴のメインディシュ(てなもんか)はヒージャージル(ヤギ汁)です。ザキミさんが来る日はあらかじめ分かっていましたから、前もって用意してあった若いヒージャー(山羊)をツブします。これがオキナワ流の最大のもてなしで、その準備に朝から大変。この準備自体からもう既に祭が始まっているようです。
山羊をゴツンして、逆さにして血を抜きます。この血は洗面器に集めて後から別な料理に使います。毛はバーナーで焼き、皮を剥いでと、やることが一杯です。男衆は、器用に出場包丁を使ってスイスイと仕分けていきます。
そして一番ジョートーロー(上等)の肉は、刺身にして、一番偉いクチョーが食べる。
このヤギ刺身は珍味。オキナワではワサビはほとんど使わず、酢味噌に泡盛を入れたタレで食べます。
次いで、タマキンも茹でてスライスし、まだ子供がいないリョーイチさんに食べさせます。白子風です。そして皆んなで大笑いしながら「チバリヨー、リョーイチ!チバリヨー!」(がんばれ、リョーイチ!)。新婚間もないリョーイチさん夫婦は真っ赤になりました。何に頑張るのか、まったくもう。子供がタマキンスライスを盗み食いしようとすれば、「お前にはまだ早い」とハタかれます。
洗面器に取った血もチーイリチー(直訳すれば血炒め)にして、テキトーに野菜と炒め合わせて食べてしまいます。これは鮮度が勝負なので、さっさと料理してしまいます。なんせ、当時この「幻の村」には電気がなかったので、冷蔵庫などないのです。チーイリチーはレバーのような味と、モソモソとした食感で、案外いけました。
後の肉と臓物は、肉は骨ごとブツ切りにして、煮こぼして茹でます。臓物は丁寧に小麦粉をまぶしてよく水で洗います。腸の中は特に丁寧にウンコを出してきれいにします。フテンマさんの奥さんはこの達人でした。慈しむように、ヤギの命を受け継ぐように、丁寧に、それは丁寧に洗浄していました。
調味料はハードボイルドにも塩だけ。これをコトコトと、薪で3時間くらい煮るとこれぞオキナワのもっともディープな食といわれるヒージャー汁の完成です。フーチバ(よもぎ)としょうがをゴソッと入れて食します。
煮えたヤギ汁の味見は、不肖ハマタヌが命じられました。「うりぃ、ナイチャーの兄さん、食べてみなさいよぉ」とクチョーの厳命。周りの村の仲間がニヤニヤと笑いながら私を観察しています。「ムリに食べんでいいからねぇ。吐き出したらもったいないよぉ」
確かにあの匂いはすごい。ワキガがすごい外人さんを、1週間ほど山羊小屋に閉じ込めたようなフレグランス!大部分のナイチャー(本土人)はだめだそうです。しかし、ウルムチ、カシュガル、ラサ、トルコといった羊文化圏で鍛えあげたこの鉄の胃袋の私にとってなんのことやあらん!
皆様の期待に反してわしわしとたいらげてしまいました。わ、はは。しかし、周りの村の連中はまだニタニタしている。「ハマタヌさん、今晩大変よぉ」・・・なんのこった?
え~、その宴が終えた(2時だぜ、2時)夜、分かりました。全身がぽっぽとほてるのです。血行がすさまじい勢いで廻る、廻る。地球は廻る。私も廻る。酒ではない血行流通。
そして訳もなく、ウヒャヤと笑いたくなる。ヒージャー汁がヌチグスイ(命の薬)というのがしみじみ分かりました。ありゃ合法ドラッグですな。昔、イトマン(糸満の漁師)が、子供を潜水で使った後に、体温を戻すために喰わせたという理由が分かりましたね。そして数日間、私の全身からあのヤギ・フレグランスが漂っていたらしく(当人はわからない)、奥方にアッチに行けと嫌われました。
さて、この養蜂家のザキミさんがなぜ大歓迎を受けるのでしょう。それは農業の大きな助け役になるからです。そう、受粉係なのです。
カボチャ畑の横に巣箱を置いてあげるので、リョウイチさんは大助かり。タンカンを作っているフテンマさんも大歓迎。
一種の花咲爺です。季節とともに来て、農家の役にたつから大歓迎されて、毎日酒宴を開いてもらい、しかも健気な従業員は餌いらず、だって勝手にそこら中から餌を採取するわけですからね。ニワトリではこうはいかない。餌を買ってこなきゃいかん。
そして、従業員のハチたちがが腹いっぱいになって、蜜をしこたま蓄えたら、そろそろこの土地にも飽きたんで別な土地へと旅だって行く。ああ理想的な人生ではないですか。
もちろん、現実の養蜂家の生活は厳しいそうです。トラックで寝る日も多いし、重い巣箱の移動で腰にも来るそうです。第一家族は学校の関係で連れてこれないので寂しいんだと、ザキミさん。
しかし、だとしても、フーテン農家の養蜂家、いいよなぁ。
写真は私の養蜂のお師匠のキラさん。蜜が溜まった巣箱を遠心分離機にかけているところです。中は遠心分離機の中に蜜が溜まっているのが分かりますか?下は、採れたばかりの自家製の蜂蜜。
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コメント
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愛読中です。いや中毒中です。おもしろい、というか知らない世界が見えてくるのでへぇ、ほーです。声もでないときがあります。不義理にもいちいちコメントをいれないのはそのためです。ときどきひっかからないわけではありません。
『はからずも20余年もお百姓をしてしまったフリムン(沖縄語でアホウ)の日記だ。体験した沖縄噺や、自分の百姓体験、村の噺、はたまたその時に思うことなどを書いていこうと思う。ズボラな性格なので毎日更新はないかもしれない。なにとぞ、ご愛読下さい。コメントをいただければ、これにすぐる喜びはない。』というごあいさつに始まりました。
湧き出てくるとはこういうことをいうのでしょうか。ズボラどころか日に3度の投稿もあったり、メンテナンス工事があったりで、かれこれ40日も更新されています。ネタと突貫工事が尽きぬようでこれからも楽しみです。
クミコさんという今をときめくシャンソン歌手のライブを昨夜楽しんできた妻の話。同い年だそうです。ファンから贈られた曲の披露があったそうですが、そのひとは長く主婦をやってきて、あるとき曲をつくってみたら瞬く間に40曲もできたそうです。子ども3人を育てて日常に埋没していたとき、そういえば若いときに自分のやりたいことがあったなぁ、ということであるときをきっかけに湧き出てきたそうです。その話とダブって、「人生のなかでなにか蓄積されて表現してみたかったこと」誰にもこういうことがあるのかなぁと思った次第です。「はからずもの人生」を振り返る時にきたのかもしれません。
「フーテンの寅」にあこがれつつも、うなづきつつも、自分はそういう人生でなく「寄らば大樹の陰」で生きてきましたからとにかく「へぇ、ほー」なのです。
もしよければ、同内容を私のブログでも紹介させていただきたいと思います。
投稿: 余情 半 | 2008年6月29日 (日) 09時41分
私もヤギ汁食べた事あります。食堂のおばさんは、当然のようにヤギ汁を同席した男性の前に置いたので、「それは私が頼んだ」といってたいらげました。塩としょうがを自分で好きなように入れて調味してといわれました。なかなかワイルドに臭くてよろしかったです。スタミナ食だったんですね。
投稿: ニーニャ | 2008年6月29日 (日) 10時16分