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2008年6月 2日 (月)

学校脱走委員会の後日談

Img_0023_2  学校脱走委員会の後日談をしよう。

 美術部長は、後にある国立大学の美術史の教授となった。この事件の半年後に、私が本格的な校内反乱組織である高校全共闘を作った時も、律儀につきあってもらった。しかし大学に行って連絡が途絶えた。

 なぜ彼が、私とこんな二人三脚をしたの分からなかった。だいぶたって再会した折りに、酔っぱらって聞いてみたことがある。「なぜ、オレとあんな危ないことをしたんだ」。

 彼、答えて言った。「退屈な学校から抜け出すには、お前について化学室の窓から出るしかなかったんだ」

 歯科医の息子は、二浪したあげく聞いたこともない歯科大学にもぐり込み、今は父親の跡を継いで診療している。彼は2回目の脱走で、バイクという新兵器を使ってスティーブ・マックインよろしく逃げて成功した。校内反乱組織には、当然こなかったが、誰も文句は言わなかった。好きなエレキはいまでもやっているそうである。今でも診断書は大量に発行しているのだろうか。藤沢近辺の方、あの歯医者は危険ですぜ。

 生徒会長は、校内反乱組織には加わらなかった。現在は商社マンになって、サウジアラビアだったか、オマーンだったかであこぎな仕事をしている。ボーボワールのような女房をもらったが、離婚したという。前回会った時に、「あの脱走がオレの人生最大の冒険だった」とウルウルしていた。あいかわらず情けない実存男である。

 パチンコヤンキーは、頼みもしないのに校内反乱組織に加わってくれた。後に、もっとも縁がなかったはずの本の世界に入り込み、今は書店チェーンのえらいさんをしている。いかなる心境の変化があったのか、聞くと怖そうなので聞いていない。

 そして私は、ご承知のとおりに有為転変の後に、しかるべくしてお百姓になった。10年ほど前に再会した時には、全員がのけぞっていた。

写真は恐竜の頭蓋骨モデル。当時の私たちのようだ。

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コメント

可笑しい~!ただひたすら可笑しい~!
ここ数日・・・自給率のこととか、鳥飼い哲学の話とかを読ませていただいたので・・・
一気に頭の中が混乱~!
でも、私も・・・今でこそ、子どもたちの未来のために何かしたいと思い、勉強したり、活動をしていますが、学生時代はパッパラパ~でした。
多分、あまりあの頃勉強しなさすぎたので、今、それを取り返すがごときの知識欲が出ているのかなって思うくらいです。
私より少し年上でいらっしゃるようですが・・・オリビアハッセー女ながらに大好きでした。
「What is the ~?♪♪♪」すっかり忘れてしまいましたが英語の歌詞を必死で覚えましたもの。

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