農家に嫁ぐということ
街から農村に入る方法のひとつに、村の男性と結婚するという方法があります。実際に、都会から極小ですが、村に嫁いだ方はいらっしゃいます。私も沖縄では、入り婿になるしかないと言われました。沖縄では「ウチナームコ」といいます。要するに縁組で、村に入るという方法です。
実はこの方法こそ、もっともしんどい方法です。具体的にみてみましょう。まず、嫁とは真っ先に起きて、今時なら4時でしょうね、そして家族全員の朝食を作らねばなりません。風呂は最後です。まかり間違って、寝過ごしたり、初めに風呂に入ろうものなら、なんと言われるか。
また、夫の財布は代が変わるまで彼のものではありません。ほんのこずかい銭ていどしか父親から与えられません。もちろん、衣食住にかかる費用はなしですが、息子の家庭の独立という概念は存在しません。働いていても、賃金に相当するものは、代替わりする時までないということになります。ですから、農家では40代になっても、こずかいを親からもらっているという人が珍しくありません。
一方、若奥さんのほうは、仮に街で働いていて賃金を別途にもらっているとしても、それを自分の若夫婦の家計にだけ入れると、舅姑との間にヒビが入ります。
いわゆる「かまどをゆずってもらう」まで、家計のやり繰りも、代替わりするまでさせてもらえません。メニューも勝手に決めることができない場合があります。
村は月に2、3回は冠婚葬祭がありますが、そこでの下働きは全部女性です。組内(班内)の葬式などになると、前後3日間は細々とした共同の女性だけの仕事があります。村内のつきあいをおろそかにすると、村で生きて行けません。
朝起きて台所に行くと、親戚のオヤジがあたり前のような顔をして酒を呑んでいた、などとという風景がままあるのです。農業を一緒にすれば、一時間に数回通りかかる村の知り合いから声をかけられ、ついでにお茶になだれ込み、村中の全員が自分の私生活のすべてを知っているという「恐怖」と闘わねばなりません。実際は考えすぎですが。
女性は女性だけの、村の中の横のつながりが唯一の息抜きの場です。「若妻会」と言います。お金を溜めて旅行に行ったり、会食に行ったりします。組合の婦人部もそのようなことをしていますが、ここは年齢の上下があるのであまり羽根を伸ばせないでしょう。
また、ママさんバレーや、社交ダンスなどに頑張る女性も多いようです。理由は、そこしか息抜きの場がないからです。
都会からこのような環境に嫁ぐと、そうとうな確率でノイローゼになります。ひどい場合は、即離婚です。即離婚というケースだけで、2、3組私は知っています。逃げられた亭主には、永遠に連れ合いは来ません。
封建的と決めつけるのは簡単ですが、長いしきたりというのは堅牢にできていて、そうそう簡単に変えられません。まさに好むと好まざると、という世界なのです。
ま、というわけで、私は街で育った女性が、農家に嫁ぐということはまったくお勧めしていません。まさにラクダが針の穴を通るようなことです。
写真は、村の峠から見下ろした空を写した水田。
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本当に、そうだ。
佐渡でもほぼ同じだった。
ただし、今は違う。
嫁達が反乱し、文集などで書きまくった。
うちの親もそのクチ。婦人会長で夜な夜なそとで会合を開き、NHKラジオでも喋りまくった。
今は、たいがい姑の方が小さくなっている。
さすがは、沖縄だな。根性が違う。
投稿: 野生のトキ | 2008年6月13日 (金) 15時54分