暗闇が御馳走 その2 電気が愛おしい
太陽光発を入れてからのライフスタイルに、なにか変化がありましたか、とよく聞かれる。あったなどというものではない。電気が愛おしくなるのだ。電気を愛したなんて、初めてだ。ガキの頃に電気にしびれたことはあったが、しびれるように愛してしまったようだ。
わが農場で出来た電気、スリスリ(頭を撫でる音)、いい子、いい子である。どこかよく分からない発電所から来たものではなく、まさしく、今、現在、ただいま自分の家の上で健気に発電しているのだ。
技術的には、売電、買電の問題があるので、正確ではないが、なんとも言えない気分の良さがある。この電気支配社会に接続されていた生活のプラグを引っこ抜いた感じとでもいうのか。事実、いざという時には太陽光自家発電を、外部からの系統電力を遮断して、自分の家のみで使用できる回路がある。
以来、わが家の電気で白熱灯はほぼなくなり、暖色系の蛍光灯に変わった。消費電力が3分の1になるからだ。また、夜には、今、生活している場所に不必要な電灯は、玄関、ホール、ときには台所すらも消される。この前など、私が料理していたら、手元蛍光灯だけ残して、台所の電灯も切られてしまい、喧嘩になった。
ひと頃は、夜でも点いているのはリビングの一個と読書灯のみ、それ以外スッキリと真っ暗という時もあった。こうなると、表からはポツンと電気が一個ともっているタヌキ屋敷としか見えない。
夜に集金に来る新聞屋さんが、こわそ~に来る。なんせウチの家は三角大屋根で、草ボウボウ、家の中には電灯がポツンと1個で、あまつさえ大きな黒い犬は道に寝そべっており、まるで映画「サイコ」の館のようだからだ。う~ん、自分で書いていても、けっこうコワイぞ。
電気を熱源に変えるのが、もっとも電力ロスすることがわかったので、炊飯器は保温をしない。炊けたら、すぐに切る。保温ジャーは初めからない。電気絨毯はあるにはあるが、電気を入れたことがないただの絨毯。クーラーは極力 制限する。使っても、設定温度を高くし、扇風機を同時に回す。
わが家では、冬は家の中でも、毛糸の帽子を被り、ダウンジャケットを着て、ダウンの毛布にくるまっている。まるでテント生活のようだ。たまに「寝るな、寝ると死ぬゾ」などという遭難ゴッコをする(うそ)。
そう言えば、この百姓生活をする前まで、連れ合いも私も登山が好きだったが、帰農してからパッタリと行かなくなった。考えてみればまぁ、当然ではある。
こんな365日キャンドルライトのような生活をしてみると、夜の暗さというのが、案外楽しい。音楽をかけると集中できる。本も進む。
暗闇という異界が身近なものとなるのがわかる。うちなど、周りは里山で、人家がないので、異界に棲む者たちが、家の外に忍びやかにいる気配すら感じられる時がある。猫が軽く毛を立てる。犬が薄くうなる。
そう、暗闇は御馳走なのだ。
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コメント
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教官殿、共感
投稿: 余情 半 | 2008年6月16日 (月) 00時08分
今、中央線が信号故障で閉じ込められているところです。なんと、電気はあるが、信号は×。
そして、明日じゃない今日の9時にはキャンドルナイトのスタッフとして、芝公園に行かなくては・・・
話は変わりますが、先日「六ヶ所村ラプソディ」の監督・鎌仲さんのお話を聞くチャンスがありました。
スウェーデンでは、すでに太陽光、地中熱などを積極的に活用し、地下に埋もれている資源をなるべく使わないのだとか。したがって、スウェーデンのマクドナルドも屋根には太陽光発電、ヒートポンプも。そして、ハンバーガー1個は1500円だそうです。でも、中身はエコじゃないんでしょうね。
投稿: カズじい | 2008年6月21日 (土) 00時55分