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なぜ、日本農業は大規模化できなかったのか?その3 1.5hに農地が揃ったの謎

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 議論を進める上で、大変にありがたいコメントをいただきました。感謝します。

 自給的な経済がなぜ崩壊したのかの原因にふれた後に、コメントにありました「土地の流動化がないのが、大規模化を阻んでいる」というご意見にお答えいたします。

 農家がなぜ自給的な経済構造から、今のような中途半端な商品経済に漬かるようになったのか、その理由は簡単です。平均1.5ヘクタール(1.5町歩)という耕作面積では「自給とわずかの現金収入しかできなかった」からです。

 そもそもこの1.5ヘクタールという中途半端な面積で、なぜきちっと日本農民の耕作面積が揃っているのかということに、疑問をもたれたことはありませんでしたか?あまりにもピタッと揃いすぎている。自然では、こんなことはありえないと思いませんか。

 これには理由があります。占領軍GHQ、つまりは米国の押しつけた独善的な占領政策によるからです。GHQ民生局は、日本の土地制度を「悪」でありファシズムの温床として解体をしました。まことに傲慢なことです。

 軍事占領下における、当該国の内政に干渉するのはあきらかな国際法違反です。この問題には立ち入りませんが、日本農業と農村社会にまったく無知なアメリカ人がいじくり回したおかげで、戦後日本の農業は出発点からしておかしなことになったことだけは確かです。この最初のボタンのかけ違いによって、今に至る日本農業経済の脆弱性が構造化されてしまったわけです。まったくヤレヤレです。

 思えば、現在、イラクでやっている失敗にどこか似ている風景で、まことに歴史を省みない国といいますか、懲りない国です。イラク統治を、日本型占領モデルの成功例を踏襲すると聞いた時にはのけぞりましたね。そうかぁ、連中は日本の占領を成功と総括しているんだ・・あ然、ぼう然、がく然、そして大笑い。

 閑話休題。この1.5ヘクタールは「農地解放」という美名で実施され、日本の農地は細切れになりました。農地は二束三文で叩き売られました。私の仕事の相棒は旧地主でしたが、今でも子供心にムシロ旗で自宅が囲まれ、居間にまで土足で乱入されるような集団恫喝の記憶を苦々しく語ります。

 その後、彼の一家は鍬一本から買わねばならない生活に入ったそうです。かつての小作のガキ共は、彼をあえて対等以下の立場のようにくさしたそうです。

 面白いことに、秩父困民党などの明治期の民衆蜂起の先頭には、地主層が立っています。そして多くの死者を出しています。あるいは、現在の有機農業をしているグループのリーダーには、驚くほど旧地主階層が多いのです。その土地と人に責任を持ち、共同体を永続させる責任者の役割です。地主は単なる収奪者ではなく、地域に対しての大きな樹、いわば主護神の誇りという側面もあったのです。

 そのように考えると、地域の守り手である大樹を外国が手前勝手にファシズムと決めつけ、切り倒した後には、ゆっくりとした農村共同体の死滅が待ちかまえていたのです。

 さて結果として、非常に多くの小農(小規模農家)が生まれましたが、このていどの面積では、私の乏しい経験からも、自給とわずかな現金収入しか得られません。自給的な部分だけでも、当時の農家の平均的な所帯人数の6人~8人が食べるには、米作で2~3反、野菜や雑穀、芋類、果樹などで3~4反、すると商品作物に当てる部分は、わずか8反~1町反ていどになってしまいます。これは腰だめの数字ですが、大きくははずれないはずです。

 一方、他の敗戦国である独、伊に対してはこのような内政干渉まがいの農業政策は取られませんでした。たぶん事実上の米国による一国支配である日本と、英仏などの同じヨーロッパ諸国が連合して占領政策を敷いた差でしょう。ですから、独、伊には、戦前の土地所有制度である地主制が残りました。

 日本の地主制が、山林を除き徹底的に解体されたに対して、欧州は大規模な土地所有制が残ったわけです。これは、後に大きな農業にとってのプラスになります。つまり、日本の寸断された自立経営も難しい小面積の耕作規模に対して、その20倍以上の面積という圧倒的なアドバンテージがあるからです。農業では耕地面積の大きさは、そのまま競争力の指標となり得るからです。

 これだけは明確に言い切れますが、戦後の「農地解放」がなかりせば、日本農業の戦後はまったく様相を変えていたことだけは間違えありません。そして、紆余曲折の後に、今よりはるかに強く、そして自立した国際競争力を持つ農業だったことでしょう。この芽を潰したのは、世界最大の農業輸出国のアメリカでした。その理由は言うまでもなく、太平洋を挟んでの将来の農業のライバルをあらかじめ潰すためです。 

 かくして、戦後日本農業は農業経営としてそもそも成り立たないような小面積から出発したために膨大な数、当時の国民の人口の約6割もの小農を誕生させてしまいました。これが、先日頂いたコメントの「日本は他国より農民数が多い」理由です。

 現代の脱産業型社会の観点からすれば、自給的な循環型社会と生活を営む農民は豊かに思えるでしょうが、この豊かさの背後には、この方法でしか喰えないという哀しい農民の現実があったことを忘れてはなりません。農民は自給的な暮らしを賛美されれば、気分としては非常に誇らしく、反面、一抹の苦さも抱えていることをどこかで心にとめていてほしい気がします。その両面を見て初めて「農」が分かるのですから。

 皆様、お退屈でしょうが、今少しおつきあいいただければ幸いです。

                            (この稿続く・次回終了)

*本稿の初稿で「小作農」と記してしまいました。これは「小農」の間違えです。ニーニャ様のご指摘に感謝します。なお、上記は訂正済みです。

写真は、冬の母屋。

 

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コメント

なるほど‥戦後の農地改革が小規模な農家を大量に生み出したのは分かりました。
ただ、その後も大規模化が進まない理由にはならない気がします。
農業の大規模化の必要性は、随分前から認識されていたと思うのですが‥
「農業経営としてそもそも成り立たないような小面積から出発した」のは今更仕方ないとして、何故それを打破する気になれなかったのか?
今もって、耕す気は無い土地(耕作放棄地)にしがみつき続けるのでしょうか?

投稿: | 2008年6月27日 (金) 19時24分

 ブログ主さんの所見を非常に興味深く拝見させていただいております。
 ところで、「さて結果として、非常に多くの小作農が生まれましたが」とありますが、これはあえて「小作農」としているのですか。「小規模自作農」が大量に生まれたということではないでしょうか。農地改革は、不在地主制度等により重い年貢に苦しみ不作の時には娘を身売りするしかなかった小作農の解放ということで理解をしておりましたが。sign02

投稿: ニーニャ | 2008年6月29日 (日) 09時42分

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