チョーイチさんの三線その3 孤独という悪虫退治
数年後、 チョーイチさんがひとり住むシマに来たのが、モロミザキさんだった。
シマとは、沖縄独特の言い方で、こちらの大字ていどの語感だと思えばいいだろう。だいたい15~20所帯といったところだ。いわゆる火の見櫓から見渡せる距離内におさまっている。私は、「火の見櫓の字」と言っている。この字ごとに寄り合い所があり、3つくらい合わさって小学校がある。まさに日本の草の根だ。
モロミザキさんが来た時、チョーイチさんは「いちおう」喜んだ。いちおうというのは、チョーイチさんは、既にそれなりに「孤独という悪虫」を馴致させていたからだ。
ところで、人をもっとも蝕むのは「孤独という悪虫」だ。私も罹ったことがある。いや、今でもたまに再発することがある。つい最近も症状が出た。このような村、しかもその隅に住み、社会と隔絶した生活を送っていると、人は不安になる。確かに、自由ではあるのだが、自由の代償は大きい。社会的な関係が極端に少ないのだから。宇宙空間の中に住むように、上下縦横が分からなくなる不安にさいなまれる。
私のように、誰がどう見ても社会的な組織に適応できないタイプで、しかも、高校時代から逃走人生を意識的に選んだつもりの人間ですら、このていたらくなのである。笑って下され。帰農志願者が、なんとはなしに、ひとつの地域に集まるのはそのためだ。
もし、私が百姓でなければ、草、虫、鳥、樹が好きでなければ、あるいは、鳥飼いが職業でなければ、私が飼う犬や猫、山羊がいなければ、そしてなにより連れ合いがいなければ、私はとうの昔に街に尻尾を巻いて帰っていたことだろう。自分に対しての言い訳はいくらでもつくから。
そうなのだ、ため息と共に、つくづく人は独りでは生きられない生物種なのだと思う。孤独実験25年めにして、正直にそう思う。そう言える程度、私は強くはなってきてはいる。こうして去って行った帰農志願者は、掃いて捨てるほどいる。私が帰農は必ずカップルでしろ、と口酸っぱく言い続けているのにはそれなりの理由があるのだ。
だから、チョーイチさんの中にも、「孤独の悪虫」が棲んでいなかったはずがない。チョーイチさんは元来、腕のいい造園師だったのだ。この「幻のシマ」に来たのも、これと思った苗樹を植えて大きくする場所が欲しかったからで、初めからハブ採りだったわけではない。
恋女房だったそうだ。のろけは散々聞かされた。「あいつのほうがワンを先に好きになってね」、「シマ一番のチュラカーギでね」(美人)。ああ、うっさい。しかし、いい加減に聞いていると、いきなりカチャーシーの「カジャディ風節」(かぎやで風節)を耳元でジャンカジャンカやられて、追い返されてしまう。わがままなオジィである。
カチャーシーとは、宴の最後の曲。沖縄の嬉しい時、めでたい時、選挙に勝った時(沖縄人は異常に選挙好き)に最後に演る曲。同時に踊らねばならない。そしてだんだん演奏が速くなり、舞い手と奏者の競争となる。大体が皆酔っているので、ひとりふたりがひっくり返えることになる。負けると、またまた呑まされるという美しくも、オッソロシイい習慣がある。
(もう一回いくか、ちゃーならんさ)
*ちゃーならんさは仕方がないかの意。
写真は、ヤンバル(山原)の森。というよりジャングル。かつて私はこの中で暮らしていた。
*この「幻の村」は現存します。これからこのシマの人々を何回かにわけてご紹介しますが、関係者は大多数ご健在です。しかも、あまり書かれることを好まない人ばかりです。そのため、個人ブログですが、人物背景、人物名、事件関係などは、あえていくつかの人やケースを混在させたり、脚色を加えて書いていきます。ご了承下さい。
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