チョーイチさんの三線その5 ハブ採りの誇り
チョーイチさんとモロミザキさんの違いは、たぶん狩猟民のようなクチョー(区長)と、農民であるモロミザキさんとの差だったような気がする。
クチョーにとってこのジャングルは恵まれた「猟場」であり、ハブが居てくれての生活だった。
ある時、泡盛を飲みながらクチョーに尋ねたことがある。「1日3匹捕まえたら、3万でしょう。毎日どうして猟をしないんですか?」
クチョーは、馬鹿かという表情をして、「それがお前らのようなハルサー(百姓)の根性だ。そんなに採ってみろ。ハブがいなくなる」。勤勉はある意味、悪徳なのである。だから、クチョーは、何日に一回しか「猟」をしない。仮に、今夜は2匹と決めたら、それ以上は採らない。採れなかったら、帰る。
仔ハブは捕らえない。いたしかたなく捕まえても、つまりバッタリと遭遇してしまった場合ということだが、捕らえた後に放してやる。捕まえてから放すほうが危険なのだ。放す時に、怯えた仔ハブの逆襲で、指を嚙まれることがあるそうだ。
クチョーが怒るのは、タクシーの運チャンのハブ採りだ。街場から来て、小遣い銭稼ぎが目的で、トランクに入れておいたハブ採り器を使って「猟場」を荒らす。ハブの猟場には、漁業権のようなものはないから、荒らしたい放題だ。
在の者ではないので、ルールを守らない。パイン畑やキビ畑にズカズカ入る者もいる。小さいハブも残らず殺す。保健所も小さなハブは血清がたいして採れないので、引き取らない場合がある。すると、悔しまぎれに地面に打ち据えて殺してしまう。
ある夕刻、私が町から「幻のムラ」に帰る途中、道端で座り込んでいるクチョーに出会った。座りこんで不機嫌そうにシマザキを呑んでいる。陽気なクチョーには珍しい。酒にはダラしない人だが、だいたいがジャングルの中の道で坐って飲むのというのは尋常ではない。
第一、通りかかっても簡単に車に乗らない人なのだ。テクテクと歩いているクチョーに、「乗りませんか」と声をかけても、大体笑って手を振る。借りを作りたくない人だ。そのクチョーが、今回はあっさりと乗った。
車に乗せて、聞くともなく聞くと、国道沿いの共同売店に酒が切れたので出かけたそうだ。すると道脇に、数匹の仔ハブが叩きつけられて殺されていた。
「なんんでぃいーんくとぅさぁ、くぬゲドウめ!」(なんということをするか!この外道め!)
チョーイチさんは、売店でスコップを借りると、彼らを埋めた。そして酒を買って帰った。途中、あまりにやるせないので、坐ってラッパ飲みにした。飲んでいる内に、眼から汗が出てきて仕方がなかった。ハブの仔だけではなく、死に別れた恋女房が脇に坐っていた。出ていったきり帰ってこない子供もやって来た。道の下の急流がザーザーと流れている。クワズイモが団扇のような葉を揺らす。
1本空ける頃には、腰が抜けた。あのまま夜になれば、母ハブに仇をとられるところだった。ありがとうよ、ナイチャー。
写真は、ヤンバル(山原)の茶畑と夏の雲。
*この「幻の村」は現存します。これからこのシマの人々を何回かにわけてご紹介しますが、関係者は大多数ご健在です。しかも、あまり書かれることを好まない人ばかりです。そのため、個人ブログですが、人物背景、人物名、事件関係などは、あえていくつかの人やケースを混在させたり、脚色を加えて書いていきます。ご了承下さい。
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時間があるとき、じっくり読ませていただきます。
投稿: 野生のトキ | 2008年6月18日 (水) 08時38分