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2008年7月31日 (木)

日本の野菜は高いのか?第2回 ジャパン・スペック

Img_0010 前回で、日本の野菜が高いとすれば、それは煩雑な流通にあるのかもしれないと書きました。

では、なぜ、そのように複雑な流通になるのかを考えてみましょう。

その理由は、実は日本人の極端なまでのキレイ好きにあるのではないかということを考えてみます。

Img_0029 葉に穴ひとつあればクレーム、傷があれば返品、量販店にかぎらず、生協でも日常的に繰り返される風習です。その都度、頭を下げて返金、クレーム処理です。まったく品質に関係のない見てくれだけで日本の消費者は大騒ぎをするため、流通が農産物規格を厳しくチェックする必要が生まれたのです。

だから、日本には、世界一煩雑で精緻な農産物規格が存在します。ごぼうなどは10種類ちかくあってごぼう鑑定士が村にいるほどです(笑)。葉物なら、丈は30センチまで、葉に穴があってはならない、大根は大きさはここまで、肌がツルツル虫喰いひとつあってもいけない。

ホウレンソウでは穴(食痕)の直径まで規定されているのです。たかだか、葉の穴が大きい小さい、ゴマの色の違う粒が数粒あったたということが、どんな食卓に影響を与えるというのでしょう!くだらない!このような日本の消費者の過度な清潔癖が日本の農産物をダメにしているのです。もうあの膨大な規格表をお見せしたいくらいですね。味や栽培方法といった本質的なことはまったく違う次元で「規格」という首かせがガチンと締まるのが日本の農産物です。これに農家や流通の労苦と時間が注がれ、価格を押し上げている大きな原因となっています。

実際農家は畑にいるより、納屋で選別している時間のほうが長いと揶揄されているほどです。すこしくらい安かろうと、あのチマチマとした選別作業はしたくないというのが、農家の本音なのです。

これが世界でもっとも悪名高い「ジャパン・スペック」(規格)というやつです。これは農産品以外にも海産物、畜産物などすべての食品を覆っています。中国のゴマ加工工場で、ピンセットで一粒一粒色が違う粒を摘まみだしていたというビックリ仰天な光景もあるそうです。こんなことで価格を押し上げ、農家や加工業を苦しめてなんの意味があるのでしょう。その分しっかりコストは乗ります。つまり消費者にとっても高いものを買うはめになるのです。

Img_0075 このような消費者の清潔癖のために農産品や水産品が高くなったとして、それが第1次生産者と流通のみを責めるのはお門違いだと思います。消費者の意識構造が変わらない限り、日本の食品は永久に「高い」と言われつづけるでしょう。

少しずつですが、消費者の意識も変わってきています。上の写真のように葉に穴があるのは初めは気持が悪いし、嫌でしょうが、理由がわかれば納得できますでしょう。

食育教室や野菜ソムリエなどの動きの中で少しずつ消費者も「キレイで安いことだけがいい」という平板な見方から変化をし始めてきました。ほんとうに素晴らしいことです。このような「眼」が育ち、農と消費者とのつながりが強まらないところで、高い安いを言うこと自体がおかしいことに気がつき始めたのです。

高くて良質の国内産か、安いが危ない輸入ものかという二者択一ではなく、第3の道が拓けてきたのです。地域の中で地場農業と組んで、良くて安い、しかも顔が見える農産物を得る道が拡がってきつつあります。この道をもっと拡げて、踏み固めていきたいですね。私は外国に日本の農産物を輸出するなどということより、この地域内での農産物の動きを活発にしていくほうがより素晴らしいことだと思っています。

お断り 本記事は昨日エントリーしました記事を、あまりに長かったので、読みやすくするために2分割して加筆修正しました。

写真は私たちのグループの堆肥生産センター、下は有機トマトの栽培畑。最下段は、仲間の生産者の紫キャベツ。非市場出荷です。実例として出しました。

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コメント

こんばんは♪
私も、野菜のソムリエの授業で初めて規格のことを知って驚きました。
消費者もこれからはもっと色々な事を知るべきだし、意識を変えなくてはいけないと思っています。
私のブログにも書きましたが、文句を言う前に、まず現実を見る(知る)べきですよね。
それに、こういったことって、生産者の方たちからは言いにくいですよね。(そういう意味でハマタヌさまは素晴らしい)
なので、消費者である私がみんなに言っていかなくてはって思っています。

細分化された規格、お説の通り食品の本質とはなんの関係もないところで決められたり決まったりしているものです。もう意味や由来がわからない規格もあるはずです。でも価格と同じで誰かが決めたはずです。案外つまんないことです。そのために、いやそんなことのために、ここに描かれたようにへとへとに作業しています。
それは生産者であり労働者です。中国や東南アジアでも農産物や水産物の大規模な食品工場で、恐らく人々は何故そこまでするのか納得しないで、言われるがままに黙々と作業をしています。標準化、マニュアル、ワーカー、管理基準、資本があればよいのです。規格に合わなければ排除する、あるいは遡って作らせない(農産物の場合)。「くだらない!規格」なのですが、「許せないという許さない消費者」がいることも事実です。売り場はセルフで、対面も対話も世間話も身の上話もなくなりましたから、ただただお金を落としてくださる消費者=神様なのです。売り場は迎合し、無機質な見た目きれいなだけの、立体前進大量陳列、且つ流通規格(大根の葉っぱはだめ、胡瓜の曲がったのは箱に沢山入らないからだめ)にフィットしたものだけを生産と製造の現場に求めているように考えます。「揃っていなければならない」のです。そのうち、胡瓜はどのくらい曲がっていいのかという局地戦になり、曲がらない胡瓜をつくれる農業技術に発展しました、みんなへとへとにばらばらに努力して働いています。きっとどこかのリゾート島か高層マンションのスイートルームで投機に現(うつつ)を抜かしつつ「賢い消費者」は“みずみずしい胡瓜”を賞味しているというのに。
少なくとも生産者は日本では少数ですし、あの中国でも大丈夫かなという勢いです。作る人が少なくてそれを消費する人が圧倒的に多い逆三角形の構造です。「生産者は逆襲する」でしょう。ヨーロッパでも韓国でも始まっています、日本の漁民も画期的でした。
食糧争奪戦が始まってはいけません。戦争につながります。石油でこりごりです。これからの「軍用道路1号線」と「サガミハラ」はどこにあるのでしょう。

煩雑な流通経路に関しては、輸入される農産物も同じでしょう。
何しろ、同じ店頭に並んでいるのですから。
それも含めて、競争です。
それでも、国産の方が高いなら、それはやはり生産者の効率の問題ではないでしょうか?
「俺のせいじゃない!」と叫ぶのは自由ですが、それでは何にもならない気がします。
もし、「自分達の方が正しい」と信じるなら、完全に自由化してみてはどうでしょう?
結果は、市場が出してくれると思いますよ。

どうも、物価水準というものをご存じ無い方がコメントしている様に思います。
規格の話も問題なのですが、1次産業の商品には原価が適正に反映はしていませんし再生産分の金額も付加されていません。
本来は経済活動として交換自体が発生し無いのです。
対価を支払って無いのに消費者気どりなのが一番問題でしょう。

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