自給率について突っ込んでみよう その2 麦の自給率は助成金では上がらない
昨日の私のエントリーを読まれた方には、多少のとまどいがあったと思います。
私が有機農業者であり、なおかつ、農業の自立を強く望む者でありながら、「自給率と米は関係がない」と言ったことです。これについて補足説明をしておきましょう。
世界の高騰を続ける国際穀物市場相場の2倍の価格で日本の消費者は麦を買わされているという事実がまずあります。これがパンなどの値上がりをもたらしました。次いで、割高感の出たパンから、米へのシフトが起きました。ダイエーで6月には20%の米の売り上げ増です。ある人の計算では食パン一斤で150円~160円。一枚当たり6枚切りだとして25~30円となり、ほぼご飯一杯の価格と同じになったそうです。
米食へのシフト自体は大歓迎です。米の粉化も賛成です。米を食の中心に置くことは、まっとうな食の復権にとって素晴らしいことです。ただし、小麦の価格上昇の原因が国産麦への補助金財源の捻出でなければ。 そしてそれに玉突き的に押されての米食シフトでなければ、です。
政府は米食が自給率と関係があるという因果関係に乏しい宣伝を止めて、現実を直視する説明を国民にするべきなのです。コメは国を挙げて責任をもって守る、農業と消費者、行政が一体となって穀物と油脂の国内生産をあげようと。そして、それが国産自給率の向上の道なのだ、と。
少し話題がズレるようですが、ご承知のようにパン食自体が、戦後のアメリカによる余剰の家畜飼料であった小麦(パン)と脱脂粉乳の給食への導入から始まっています。しかも有償で、けっこう高い価格で日本に恩きせがましく押しつけられました。私たちの世代が飲まされた脱脂粉乳はなんのことはない仔豚の代用乳なのです。私たち昭和育ちの子供はアメリカ産ブタ飼料で育ったわけです。ああ、そう考えるとムカっ腹が立つこと(怒)。
当時は、いや今もコメでしっかりと給食を供給できたのにもかかわらず、あえて学校給食にパン食を入れて、パン食教育をしたことで、戦後のコメ離れが生み出されました。パンを好む子供は、大きくなり、パン食党になり、またその子供もパンを好みコメをおろそかにしていったのです。北斗の拳の10年殺し(そんなのあったっけ)ではありませんが、米国による、日本を半永久的に「穀物の軛」で縛りつけるための食のねじ曲げではないかと私は思っています。
それは米国の穀物基地があってこその日本の食卓という構図です。パン、うどん、ラーメン、そば、ハム、卵、サラダ油、そして納豆、醬油、味噌に至るまでほぼ食卓の全域を網羅します。その意味で、コメントさんのおっしゃる指摘は、畜産だけの問題ではないのです。
さて、話しを戻します。1993年、ご記憶でしょうか。戦後最大のコメの大凶作の年です。政府は260万tもの外国米が緊急輸入しました。タイ米を一生食べないぞと決意された人も多かったようです。この原因は何だったのでしょうか?当然ひとつには、冷夏だったことですが、真の理由は、93年年の水稲の作付け面積がなんと通常の半分だったという驚くべき事実です。減反政策のため、約半分が休耕田として草ボーボーだったのです。農政の失敗による人災的凶作と言ってかまわないでしょう。
通常に水稲を作付けておれば、まったく米の供給に影響は出なかったのです。政府は米価を統制するために、大幅な減反を農民に強制的に押しつけ、結果として食料供給を破綻させてしまいました。1993年の教訓から、私は減反政策には反対です。これは農業の足腰を弱め、政府の統制価格に安住する弱い経営体質を生みました。そして農家の農業離れである兼業農家の増加をもたらしました。
ちょっと思い出して下さい。地域名を被せたナントカ米、美味しさを競うナントカヒカリとかいう米の質的な向上や地域ブランド化は、この悪しき食管(食料管理制度)がはずれてから、一斉に花開いたのではありませんか。それまでは、経営努力もなく作っていれば、丸ごと親方日の丸が買い上げてくれていたから日本農業の進歩が止められていたのです。
この、食料生産に対する統制と一対になっているのが補助金なのです。補助金は、政府が助成金という政策誘導をすることで、農政をする手段です。補助金自体はいいも悪いもありません。政府の政策としてはどの国もとっていることです。
問題なのはむしろ、その助成金という国民の税金が有効に使われていて、麦や大豆などの国内生産を推進したかです。結果はノーです。市場価格の2倍で買い上げるという市場原理を無視した支援政策をしても、麦の生産は伸びませんでした。大豆もしかり。農民は丸ごと買い上げてくれるうまみを知り、農家が言う「捨て作り」といって栽培努力をしないいい加減な栽培に走りました。そして反あたり収量も低く、質の良くない穀物を作った農家も多かったのです。
いいかげん、政府は気がつくべきです。農家を市場原理の外に置くのはやめるべきです。それは簡単なことです。つまりはいいものをつくれば高く売れる、経営努力をしてブランド化してみる、流通を工夫する、消費者と徹底的に話しあうなどの努力をすべきです。そして今多くの地域でこの努力が果実を結びはじめました。
様々な野菜や、特産物、米でできたことに麦などの穀物ができないはずがありません。馬鹿げて高額な麦輸入交付金を止め、輸入小麦の価格を国際相場にし、そして麦の国内生産を新たに考え直す時期だと思います。
その具体的な私のイメージは、また明日に。
写真は、今年のトマト。きれいでしょう。野菜ほど美しいものはないと思います。中段は花が咲くまえの菜種畑と母屋。その下はボリビアのウユニ塩湖近くの村の風景。最下段はウユニ塩湖の日没です。世の中にはすごい風景があるものです。
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おはようございます。
助成金のばらまき・・・とか、これからの農業にはマーケティングが必要とか・・・
色々と耳にしていましたが、そういうことだったんですね。
よく理解できました。ありがとうございました♪
明日を楽しみにしています。
投稿: ゆっきんママ | 2008年7月 6日 (日) 08時20分
今回の米の(一時的?)売り上げ上昇が、より純粋に「安い食料を求める消費者層の拡大」となっていくなら、日本の農業にとっては、むしろマイナスの動きかもしれません。
何しろ価格競争力といった面では、惨憺たる有様ですから。
日本でも、格差社会や貧困層の拡大が言われるようになってきて、「とにかく安く‥」と言うのは、今後更に拡大するはずの需要です。
勿論、ブランド化され、高品質な(しかし高価な)食料も、一定の市場を確保するでしょうが、「自給率を伸ばそう」といった面での効果はどうでしょう?
少々疑問に思います。
小麦と大豆に関して言えば‥
エダマメのような一部の例外はともかく、結局、加工されなければ、消費者に出回らない農産物ではないかと思います。
補助金を(農家ではなく)加工業者の方に出す手はあるかもしれませんね。
国産の大豆や小麦を使う業者に、(輸入品との)差額分の一部を補填する形で出すといった事です。
どちらにせよ、ある程度自由な市場があっての事でしょうが‥
市場原理が無ければ、価格競争力も無い‥これは、他の農産物、更には他の産業にも言える事でしょう。
市場原理‥またの名を弱肉強食とも言います。
投稿: | 2008年7月 6日 (日) 21時36分