自給率について突っ込んでみよう その3 ふたつの袋小路とは
自給率向上を考えているといつのまにか袋小路に入ってしまうことに気がつきます。北海道あたりで官とJA主導の巨大な穀物生産基地をつくればいいとなるか、あるいは、いつものお定まりの国際水平分業論です。
巨大穀物基地はその気になれば出来ないことはないでしょう。しかし、このような解決方法をとれば、官僚の決裁権限の肥大化が必ず副作用としてついて来ます。縦割りの省益、いや局益を墨守する官僚がこれを指導し、その分配などにおいて大きな権限をもつようになります。
するとどうなるのでしょうか?現代は官僚にとって冬の時代です。食管は既になく、減反といった食料生産の統制は既に先が見えています。そして、補助金の配分も、国が直接支払う形から、地方自治体に分権化が進んでいます。この中で巨大穀物基地を国が推進した場合、たぶん、国産穀物推進法のような法律が出来るでしょう。これは自給率向上のために、食料生産者に一定の割合で国産穀物を買い入れることを義務化するかもしれません。こうすれば確実に自給率はアップします。
そしてその決裁権限を官僚が担うことになります。国家官僚にとって、この国際的な食料危機の時代において、こんな法律を作らなくとも、畜産業や醬油、味噌、パン、麵類生産業者などに対しての国産飼料の分配権限を持つことは、事実上の生殺与奪の権利を得たに等しいことになるのです。これは時代の逆行でしかありません。前世紀の中葉の官主導型国家に逆戻りするのです。
では一方、その対極にみえる資本グローバリズム的な考え方に立ってみましょう。それはデビッド・リカードが1810年に唱えた「比較生産費説」以降綿々として続く国際水平分業論です。簡単に言えば、日本は自動車生産に特化し、農産品輸出国は得意な穀物輸出に特化し、互いに自由貿易で交換するのがいちばんハッピーだという論理です。このリカード説は形を変えて、200年後に甦りました。これがWTOの主導する資本グローバリズムです。
これに立つ人は経済界はとうぜんとして、経済学者にも実に多いのです。いや、むしろこちらのほうが多数派でしょうね。この人たちに言わせると、日本農業は比較劣位なのだから、比較優位の工業に専念することこそが、国が豊かになり、国民も幸福になれると主張します。そして農業は衰退し、遠からず消滅する部門だから、むしろ社会政策、つまりは福祉の分野に入れて考えてしまえと唱えます。
この考え方は、私たち農業者の神経をまるでキィーとガラスに爪をたてるようにいらつかせます。この人達は農業を生産だけの面でしか見ていないのです。日本農業がなにを保全してきたのか、なにを2千年有余の時間尺で継承してきたのか、その歴史や価値、そして構造をまるでわかっていないのです。マッカーサーと同じです。一切を平板な算盤勘定だけでみています。農が保全してきた日本型エコシステム(別な機会に詳しく説明します)、人と自然との関わり、継承されてきた工芸、芸能、そして福祉、さらには農の中で得られる深い精神の安らぎといった経済「外」的な価値を完全に切り捨てた議論です。まったく素晴らしく貧しい考え方です。
グローバリズム論者に言わせれば、肉や卵などは国産する必要がなく、アメリカから全部買えばいい。醬油も味噌もどうせ米国産大豆が原料なのだから、国産する必要もなく、全部アメリカの日本法人から輸入すればいい。野菜もどうせ肥料は外国産なのだから、中国から輸入すればいい。コメもカリフォルニア米がうまいし、安いのだから全量輸入するほうが消費者の「利益」だ、と、まぁこんなことになるわけです。もうひとつひとつ反論するのもメンドーな議論ですが、実態は限りなくこのような形になりかかっているのです。いや、逆に実態を論理にすると、こうなったというところです。
この2ツの道はどちらも袋小路です。方や、前世紀の遺物である官僚主導型農政の復活、方や日本農業不要論です。では私たちはどうしたらいいのでしょうか?
稿を改めて、明日にその先をお話します。
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