さて、自給率というテーマを単独で追いかけていくと袋小路にはまってしまうことがわかってきました。おかしな言い方になるかもしれませんが、「自給率の向上」をいったん頭からはずして考えたほうが、かえってほんとうの国内自給に近づける気がしてきました。
私はこのシリーズの第2回で、「農業を市場原理の外に置くな」と提唱しました。これに対して「市場原理とは弱肉強食のことではないのか」というコメントも頂戴しております。なるほどなと思いながら、果たしてそれだけなのかと考えてしまいました。私は現在ある市場批判よりも、むしろそれをどう変えていくのかに興味を持ちます。
なるほど前世紀、いや現在に至るまでもそうですが、量販店チェーンの市場原理は、品質を問わず、ひたすら安く、もっと安くという価格競争を前提としていました。結果、食品の原産地偽装、表示偽装、果てはまがいものを平然と流通させるという食のモラルの荒廃にまで到り着いてしまいました。量販店がそのチェーン展開力の力で、納入業者を買い叩き、叩かれた業者は品質の低いものにシフトし、果ては偽装に走ってしまいました。この腐り切った根はそうとうに深いと思われます。
今までの食の流通の構造は、量販店が全国、いや全世界から安いものをかき集めて、値決めをし、量を集積し、安価に提供するという原理で動いています。この原理の中で、量販店に権力が集中するという歪な構造を作られました。「量こそが力」、すなわち権力です。これが古い市場原理でした。
私は今こそ21世紀の新しい市場原理を作る時だと思います。そのキイワードは、ズバリ「地域」、ローカルエリア、そして「農」からの食の再構築です。抽象的に言ってみても理解されにくいでしょうから、具体的な事例を上げます。
今、つくば市で「パンの街」というプロジェクトが起きています。これは当地の独立法人の農業研究所と地元の農業者が提携をしてパン用最適小麦を栽培し、さらにそこで終わらずに、地場のパン屋さん10数軒が、話しあってその小麦を使った各店が独創性のあるパン作りをしています。なかなか評判が良く、地域の目玉ブランドに成長しつつあります。
また、こんな事例もあります。愛媛県今治市では、農業試験場でつくられたその土地の風土に合ったパン用小麦ニシノカオリを地元で栽培し、その小麦を用いて学校給食用のパンの製造をしています。かつては米国産小麦だけでしたが、平成13年度の作付けが1.2h、そして現在ではなんと15hまで拡大してきています。それまで一粒の小麦も今治市では栽培されていなかったことを考えると意義深いことです。また大豆も米国産のものから小麦と同様に地元産のサチユタカを使い、平成13年から学校給食に供給をしています。
この今治市の実例は、惚れ惚れするくらい素晴らしい実践です。大規模穀物基地は地域を耕しませんが、このような地域に根ざした穀物生産は、まるでそこに吸いつけられるように多くのものを引き寄せ、束ね、相互の壁を溶かし、混ぜ合わせ、そして豊かになっていきます。新たな価値の創造による「市場」の誕生です。
「市場」の意味の転換が行われたのです。これがローカルエリア・マーケットの誕生です。これが来るべき未来に向けたもうひとつの市場原理です。
私の住む村でもこんなことを考えています。わが村では耕作放棄地が激増しています。もう待ったなしで、たぶん数年後には1000hの大台に乗るとすら言われています。今まで手入れをしてきたじぃちゃん、ばぁちゃんの身体がきかなくなったからです。草刈りができないのです。
これだけでは泣き節です。もうダメだ、助けてくれと。しかし、そう眼をバツにしないで、このような参った状況を価値に転じてみましょう。価値を逆転してみると、1000hの広大な面積の土地が作付けを待っているのです!ラッキー!ごめん、じっちゃん。許せ、責任をもって耕すから。そしてじっちゃんにも悪いようにしないからさ。
耕作放棄地に植える作物は条件があります。なんて言っても雑草対策が必要です。草刈りが出来なくて放棄したわけですから株間、畝間がないものがいい。除草作業のない「面」でダーっと栽培できる作物がいいのです。ひと季節放っておいてもいいタフな作物が適しています。そうなると限られてきます。
思いつくのは、麦や大豆、菜種です。これらの作物はビシッと繁茂して、雑草をまったくというわけではないですが、寄せつけません。そして、舌でガシガシ草を食べてくれる牛の放牧はどうでしょうか。この面制圧型の小麦、大豆、菜種などを耕作放棄地に作付けたら、耕作放棄地はまた黄金の穂波に飾られます。品種は地場の風土に適したものを選ぶべきです。収量だけで判断すると、途中で病気が入ったりしますから。そのために、県試験場や独法などとの協働が必要です。研究機関をアカデミックな天上からひきずり出しましょう。
では、誰がこの作業をするのでしょうか。そもそも農家が出来なくなって放棄したのですから、農家にというわけにもなかなかいきません。そこで、私は地元の土建屋さんが面白いと思っています。今、公共事業の緊縮で地元の土建屋さんは泣いています。しかし、つねに従業員を雇っていなければならないので大変です。重機の維持管理だけでも大変だそうです。この土建屋さんに播種、管理、収穫を依頼してみたらどうでしょうか。これは既に牛久市で実現しているアイデアです。
そして、収穫できた小麦や大豆、菜種などからは色々な加工品ができます。パン、うどん、豆腐、納豆、菜種油などなど。更に食品加工のプロとジョイントすることで、更に可能性は拡がります。これらの農産品を地元の加工場にお願いします。学校給食センター、パン屋さん、お豆腐屋さん、油屋さんなどで加工します。その過程で製造廃棄物が出るでしょうから、それも地元の農家で家畜の餌や肥料に利用していきます。製造工程で出た食品残さなどは有効な家畜飼料や肥料になります。このように地域での生産-製造-廃棄物利用-流通-給食センター・台所-廃棄再利用という大きな流れを創っていきたいと思っています。
出来上がった製品は、地元の学校給食でまず使用します。子供たちにとってこれほどの食育はないでしょう。学校菜園などでも野菜や穀物を作る学校の菜園化が見えてきます。父母も休日に来て耕せる。遠い市民菜園に行かなくとも、自分の子供たちの学校菜園を耕す。これがほんとうの「理科」ではないのでしょうか。
そして剰余は、地域ブランド化して県内で販売します。このためには商品開発のプロフェショナルが必要です。流通のプロではなく、「商品を作る」、しかも農の立場に立ったプロが必要です。
また、 その商品流通にあたっては地域量販店と地域生協、有機農産物宅配などの協力が必要です。この大きな環を作るためには、県や市とのコラボが必須です。行政の協力なくしてはこの実現はありえないことです。行政が本来いるべき位置は、その地域の活性化のために民と民を結びつける機能です。
私はその民間側の立場で、有機農業推進フォーラムを作りました。まだ行政の意識は追いついていないのが実情ですが、具体的に話し合っていきます。このように、ローカルエリア・マーケットは、その地域に生きる生産者、流通、消費者、加工場、研究所そして行政が、経験、知見、そして各々のネットワークを集めて作り上げるゆるやかで大きな環そのものなのです。
本日はこのシリーズの最終回としてローカルエリア・マーケットの鳥観図をお話しました。横文字はうさんくさいのですが(ごめん。本来私は和文字が好きです)、あえて「地産地消」という表現を避けました。この表現は人口に膾炙しているので便利なのですが、反面、流行の言葉と化していて、かえってイメージが狭まるような気がしたためです。
また、この構想全体において、重要な部分をなす里山有機農業公園やJAとの連携、牛の草地放牧、アイガモ水田、代替エネルギーなどは煩雑になるので、残念ですが今回は説明を割愛いたしました。
また、ゆっくりとお話いたしましょう。農の時間の中では、時間は逃げませんから。末永く拙ブログとおつきあい下さい。宜しくお願いします。
写真説明。わが農場の昼下がり。2番目は出荷時期を迎えたトウモロコシ畑。3番目は旧家のたたずまい。4番目はわが農場の菜種畑。まさに菜種色の海。最後は、私のうちの納屋です。どこもかしこも農場は濃厚な緑に覆われています。
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