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2008年7月27日 (日)

三省の死

Img_0021_3 私たちの50代世代は案外簡単に鬱病になる。
一種の更年期なのだと思う。更年期という言葉は面白い。

「年」を「更」新するということだろうか。
もう一回生き方を更新しろという風にもとれる。
私も自分の生き方を更新したい。25年間やってきて、農の楽しさや農業問題にどっぷり漬かったが、今、目の前に大きな壁がある。
いつまでもGを言っている自分もいやだ。いつまでも有機農業や環境をわかったようにしゃべっている自分もいやだ。
わかったつもりの自分がいちばんイヤだ。なにもわかっていないのに。
ただ無駄に25年間農業に漬かっていただけなのに。

できるならば、生まれ変わって、まっさらになりたい。
今の私にはべっとりと手垢のように「俗」がこびりついている。名誉心、功名心、体面・・・そして屈折した自我。Img_0023_2

かつての軽トラで入植地を求めて放浪した時のような初々しい感性に戻りたい。
有機の畑を初めて見た時のような震えるような感動を呼び起こしたい。
エレクトリックギターを初めて持った時のようなドキドキ感が、今こそ欲しい。ニールヤングや大江健三郎を知った時の心。
山尾三省の詩の朗読会を、農場の夕暮れに聴いた時を思い起こしたい。彼の詩を読む声を思い出したい。

今、私の中で薄れていき、弱まり、消えていこうとしているひりひりするような始原の皮膚感覚。
魂の深いおののき。どきどきする気持。
未来への尽きない願望。大きななにかの一部であることへの切望。
そして、苦難を楽天に変えるなにか。


空気のようなゼロに戻れるならと渇望する自分がいる。
ヨガもやりたいが、なにより旅に出たい。帰りの切符をポケットでまさぐるようなそれではなく、長い長い旅がしたい。


Img_0018 三省の最後の文章を読むと、彼が進行性癌に冒された時の混乱が書かれている。

そして彼は長男の太郎に詫びてすらいる。「貧乏でごめん。すまない」。そうか、三省にして「貧乏」に苦労したのだ。三省をある意味、導師のように考えて自分がいた。

しかし、違った。三省は悩み、生きる確証を得るためにとぼとぼと途を歩むひとりの旅人だったのだ。


彼の末期に、この地の帰農仲間が集まって、暗い畑の隅で車座になり「気」を集めた。
この世から去りゆく三省の魂が安らかにと。そして彼の魂は、私たちが生きる限り続くと信じて、祈った。

彼がこの世を去った時刻に、皆なにかを感じたという。そういうことはあるのだ。彼の魂魄が地上を離れて、天へと駆け登っていくその時に。

写真は、凍土から出る芽。そして農場の冬の夜明け。

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» 山尾三省「永田浜 正月」より [あしおと(Binten)]
わたしたちは この青海の「願い」から生み出されて 四十六億年をかけて はるばるここまで  たどりついた 「願い」の果ての  またひとつの 青く染められた わたしたちという  尊い「願い」なのであるから                    「永田浜 正月」より抜粋 ... [続きを読む]

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