ダッシュ村に住んでいた その1 品行方正ではないダッシュ村の住人になった
1983年、沖縄から帰って、ここ茨城で最初に住んだのは、共同農場のトリ小屋、その名もトリサマ亭でした。トリ様が住むからトリサマ亭と、じつに分かりやすいネーミングであります。
他にもいくつか建物がありましたが、いらなくなった農家の納屋を解体して作ったから納屋亭。壁にはなんと畳が張られているという素敵な家。マムシがいる谷に面しているからマムシ谷亭。亭主が悪酔いするとマムシと化すからだという説もあります。ひとりで瞑想したりするためのほろ酔い亭。ほんとうは泥酔亭でしたが。全部自分たちで作ったのです。
ああそうだ。イメージとしていちばん近いのは、品行方正ではないダッシュ村でしょうか。「鉄腕ダッシュ村」(日テレ日曜日夜7時)を数年前に観た時にたまげました。オレたちが25年も前にやっていたことが、今、こんなに多くの若者に関心をもたれているんだって、うれしいような、くすぐったいような。
品行方正ではないと言ったのは、TVダッシュ村は打ち上げで酒は飲まない、宴会はしないし、踊らないし、恋人はでてこないし、ヨガはしないし、肥えは汲み出さない、ビニールマルチをするかしないかで胸ぐらをつかまんばかりの議論もしない、そしてよくできた堆肥に接吻しない。
今となっては我ながら馬鹿馬鹿しい限りですが、私たちはそうして生きてきました。なにせ私たちは農の悪ガキでしたから。
TVダッシュ村は非常に良く出来ていますが(知らない農業技術を毎回再発見しています)、まるで理科室みたいなんですよね。人間臭くない。生活臭がない。タツヤは農業に欲しいキャラだなとか、松岡と長瀬、国分はこなすだろうが向かないだろうなとか。城島は下手だが農業向き(そう言って彼が喜ぶかは不明ですが)とか、まぁ色々とキャラを透かして見えてたとしてもですね。
農というのは善くも悪しくも、人間臭い生き方なのです。農業に憧れる人が思い描くような聖なることでも、崇高なことでもなく、人が人の顔をもってありのまま生きられるが故に素晴らしく、また一面人と人の根の部分が露になってしまうところでもあるのです。
私が沖縄から帰って入ったこの共同農場は、30前後の歳の連中が、「金なし、土地なし、技術なし、かと言って街に帰りたくもなし」で都市から田舎に住みつき、畑を耕し、小屋を立て、家畜を飼い、詩や音楽の夕べを持ち、生活を作っていったそんな場所でした。皆、金は見事なまでにないが、時間と好奇心だけは有り余るほどあるという生活を選んだ連中でした。
生活費は、沖縄時代は月に6千円(さすがにこれにはびっくり)、この共同農場時代は月に5万円。ですから金があればつい買ってしまうものも、全部いちから自分で作るという生活が必然としてなるわけです。第一、暇だしね。 金がなく、地位がなく、ついでにぜいたくにも暇だけがあるというのが自由になれる前提条件なのです。金を出せることによって失うものがあり、時間を買う如き生活にはそれなりのものしか我がものとはならない。
ですから、就農して大きなトラクターを買い込み、大面積に単作している奴がたまにいますが、同じ就農者でも、異次元だなと思います。なにが楽しいんだろう。工場労働と同じじゃないですか。いろいろあっていいので否定はしませんが、農の楽しさはその生活にありですよ。私は今までの都市の暮らしと根本的に異なる衣食住のスタイルが見つかってこそ楽しいのだと思います。
写真は、上から今の母屋。自作です。完成しないうちから壊れてきていますが、素人普請ですから、妙に頑丈ではあります。煙突は薪ストーブ用。今年もまたヒヨドリ様に巣を作られてしまいました。母屋建設はそのうちたっぷりとお話します。次はわが家の掛け時計。まったく好き勝手な時間を示して穏やかに笑っています。下段は、八角堂の扉。中古のステンドグラスが入っています。
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おじゃまします。毎日スゴイのひとことです。
ところで、「農というものは」のところの「また一面人と人の根の部分が露になってしまうところでもあるのです」とはどういう意味なのでしょうか。スミマセン 国語力がなくて・・
投稿: ニーニャ | 2008年7月12日 (土) 00時07分