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2008年7月11日 (金)

ダッシュ村に住んでいた その2 トリ小屋の住み心地は?

Img_0002_1 さて、話を戻しましょう。この農場の中に私たちが住みついたトリサマ亭がありました。もとヤマギシ会式のトリ小屋だからカマボコ型屋根のついた長屋式の鶏舎です。屋根はスライドして開けられますが、壊れていて、いったん開けてしまうと閉まりません。まことににしまらない話しです。手作りのトリ小屋なので、まぁよくあることです。

10部屋連なっていて、その余りの11号室が私たちの部屋でした。初めの頃はその一部しか使えず、壁があるのは四畳半のみ。あとは壁のない土間が台所で、冬の間は冷蔵庫がそのまま温蔵庫になるといった、なかなかワイルドな暮らしぶりでしたが、いくらなんでもこれではということで、仲間と一緒に部屋作りに取り組みました。

Img_0004 とは言ってもその頃の私たちは、先住者たちの大工の腕前にいたく感心しながらの下働きで、たいした戦力にはならなかったと思いますが。大工のイロハはこの時に覚えました。

大工の世界が尺間法であり、センチでは使えないこと、トンカチを玄翁(げんのう)と呼ぶこと、その重さによって打つ釘の長さが違うこと。水糸の出し方、垂直の取り方・・・。これが今にして思えば、この時から10数年の長きにわたる農的大工生活の始まりでした。

全部で10坪ほどの鶏舎のひと部屋のうち、6坪分の床を作り、内装には拾ってきた白い壁紙付きの合板を張ると、これがとても鶏舎とは思えない新居になりました。カマボコ型屋根に内張りをしたわけですから、部屋は当然カーブした天井になり、気分の良い住まいでした。ちょっとスタジオ風(どこが)。

タダ同然でできた部屋ですから、いくつか難点がありました。最大の問題はともかく寒い。土間との仕切りがないので、ピューピューとすきま風が吹き込むのです。ときには雪さえも。とりあえず毛布を垂らしたのですが、いつぞや寝ている時に、夜、吹雪になったとみえて室内に粉雪が降り積もっているのです。横に寝ている連れ合いを見ると、顔に薄っすらと雪がかかり、スノーマン状態。鼻の穴から、ヒュルル~と息が漏れているのをみてほっとするやら、可笑しいやらでした。Img_0021

その年はとりわけ寒冷だったとみえて、毎日夜は平均マイナス10度以下でしたので、布団の淵は毎日凍ってバリバリ。しかたがないので、羽毛服のフードを被ったまま寝ていました。ある時、夜帰って唯一の暖房具であるコタツを開けると中から当時飼っていたサンチョが飛び出してくるという椿事もありました。コタツから飛び出した猫ならともかく犬(それもシェパード)というのは、後にも先にも、初めてでしたね。

次なる難問は、壁がペラペラのベニヤ一枚で音が筒抜けだということです。しかもこのお隣さんの朝がめっぽう早くて、寝坊ができないことでした。トリという隣人は、早寝早起きで、今時なら3時半には雄鳥の起床ラッパ、コケコッコー、ケコケコ!から始まります。それも一羽だけではなく、10数羽のオンタンが波状的にがなりやがる。こうなると、もうこちらもおちおち眠れない。こんなに朝っぱらからうるさいのは、トルコの安宿でコーランの詠唱をがなる拡声器の下の部屋に泊まった時以来です。といって、「おいこら、うるさいんだよ」と壁を叩いても虚しですね。

私たちはこのトリ小屋生活をいたく気に入っていましたが、ある時親が来て「私たちの終戦直後の焼け跡生活でも、これよりずっとマシだった」とさめざめと泣かれてしまいました。隙間風が吹き込むトリ小屋と玄米、廃鶏肉がちょびっと入っただけの野菜の煮つけが相乗効果を上げたのでしょうか。Img_0013_1おまけに、これを盛りつけた友人の陶芸家が茶色を得意の色調としていたので、食卓は渋紙色でしたからね。

そうそう思い出しました。その時に農場の連中が仲間の親を歓迎しようと、ギターと詩の夕べをやったのも逆効果だったのかもしれませんね。親は翌日農場の皆を連れて寿司に連れて行ってくれました。実は、自分がいちばん食べたかったのかもしれませんが。それからもう二度と、親は私の農場には来ませんでした。

写真は、メキシコの猫の陶器。眉がある!中段は八角堂の外観。左の樹は勝手に生えているミズナラとサクランボ。よく見て頂くと、サクランボが実っています。中段は母屋の正面にかかっているトリのワイヤーワーク。最下段は薪ストーブ。

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コメント

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こんばんは♪
きっと、大変なご苦労があったのだと思います・・・
が!
ごめんなさ~い!
読みながら・・・笑ってしましました~!
でも!
ご両親の気持ちをお察しすると・・・
胸も痛みました。

追伸
あの~ブログ・・・リンクさせていただいてよろしいでしょうか?

喜んで!どんどん素敵な人の素敵なブログとリンクしていきましょう!

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