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2008年7月 9日 (水)

農家の果報 疑問にお答えして

Img_0004 コメント様からいただいた疑問にお答えします。

>広い世界では太刀打ちできないので、狭い世界に閉じこもる‥それこそ、袋小路でしょう。

そうでしょうか。私は違うと思います。もともとの食のあり方はその地域に根ざしていました。地域の食をその地域で食べる。これが基本形なのです。日本の場合、それが全国流通、特に低温流通の普及でいったん崩れ、さらには低賃金を求めて東南アジアに行きました。海老や鶏肉などがそうです。そして海老などはその土地の水田が成り立たないほど破壊をしてしまいました。このことは下記の痛切なブログ記事に書かれています。ぜひご覧になって下さい。「はぐれおいどん余情半」http://kantannihasinjinai.blogspot.com/

また、野菜や食品加工業もまた中国に大量に移動しました。国内の大手食品会社一社が移動すればその現地工場の周りに下請けの会社が作った生産拠点も同時に移動して、いわゆるクラスター(ぶどうの房状)の地域ができました。これについてはこのブログをご覧下さい。第一線の食品加工とその流通に関わっている方のブログです。

田畑住まいの未来http://blog.livedoor.jp/nobu23/

一方、戦後ほぼ一貫して穀物は米国の中西部がくしゃみをすれば日本は風邪をひくといった構図です。最近も中西部の大洪水で、日本は大風邪を引きました。これらは、国内的には、農業生産-農産加工という食の基本ラインが崩れて来ていることを示しています。食の空洞化現象です。

Img_0005 一方外国、特に東南アジアから見れば、日本による地域の破壊です。儲かるのはプランテーションを経営する華僑などの一握りの人間だけ。数年間で養殖場は使い物にならなくなり、再生不可能な水田だけが残ります。地元民は解雇されてしまいます。残ったのは使い物にならない水田と、解雇された村の人々。

米国ですら、原因的には自業自得なのですが、バイオエタノールにシフトしすぎてしまいトウモロコシ⇒大豆⇒牧草⇒トウモロコシという輪作体形が崩れてしまいました。トウモロコシの連作が始まったからです。このままでは遠からず土壌が持たないとさえ言われています。砂漠化につながりかねません。世界のパン籠の砂漠化です。

このようなことがグローバル、つまりは地球規模で一斉に起きています。そのことは米国ですら認識し始めていて、その反省からローカル・ファーミング・サポートのような新たな動きが出てきました。つまり、地元の農業を支えよう、その中で自分も農業と関わろう、一緒に汗を流して、地場で出来た農産物を共に食べよう、そういった動きです。実は、これは日本の地産地消運動に学んだと言われています。米国の辞書には「TEIKEI」(提携)という言葉が載っているそうです。一方、欧州はむしろTEIKEIの元祖日本より先行して、ローカルエリアマーケットがしっかりと市民社会の中に根づいています。Img_0018

結局、「自給率」とはある種の抽象的な数字なのだと思います。国家レベルで考えることも大切ですが、仮に国家的な穀物生産基地を作って、この歴史的に蓄積されてきた食の歪みを修正できるでしょうか。

私はできないと断言できます。それは身体のあちらこちらが痛んでいる人が、食事や睡眠、運動などの日常生活を見直さず、高価な元気ドリンクを飲むようなものです。

食の歪み全体を修正できないところで、自給率の向上がなったとしても、それは無意味です。農水省が掲げた自給率50%が達成されたとしても、それは単なる官僚の手柄にしかならないのではないでしょうか。

自分の地域の中の循環の環づくりは決して袋小路ではありません。例にとった今治では、麦の作付け面積だけでゼロから15hまで拡がりました。数学的にはどうか知りませんが、15倍です。従来の農水省の補助金農政の方法だと、この地の農家に100%の補助金を出して政策誘導をします。鼻の先に金をひらひら~。しかし、たぶんそれは成功しません。なぜなら農家にとってなんの社会的責任もないような恣意の判断だからです。

Img_0014 しかし、今治市全体での取り組みとなり、自分の子供も通わせている小学校でも給食で食べさせるとなると個人の恣意では済みません。しっかりと作って、シッカリといいパンを作ってもらうべぇとなります。たぶんJAはいい意味での面子をかけてやったのではないでしょうか。それこそが農家の誇りです。

これは農業がこの地でこう叫んでいるに等しいのです。俺らはお荷物ではないぞ、俺らはくたばってはいないぞ、俺の背中は曲がっていないぞ、俺らこそが地域の核だぞ、と。一粒の麦、一個のパンに今治の農家はそのメッセージを託したのだと思います。それが農家の果報です。プライドです。

ご理解頂けましたら幸いです。ご質問はいつでもお受けいたします。投稿、ありがとうございました。ぜひまた頂けましたら幸いです。そのうちハンドルネームをつけて下さいね。

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コメント

少なくとも、ヨーロッパ程度の効率と価格競争力を持った上で地域経済と言うのなら、それはそれでいいのです。
むしろ、グローバル化一色の経済より、望ましいでしょう。
しかし、現状はどうでしょう? その今治の15hにしても、小麦の価格が国際相場並みで成立できますか?
自らの非効率の言い逃れの場、広い世界での競争を避ける為の地域経済なら、それはやはり袋小路だと思いますね。

遠い国から運ばれてきた食べ物を口にできたのはその昔王様しかいませんでした。社会の進歩は自分の国でとれるものよりも、遠い国でとれるもののほうが安いなんてことが可能に。それはやはり進歩だったのでしょうが、同時にさまざまな弊害も起きていることがやっとわかってきました。
作る人の顔が見えるものを食べるという安心。その風土の中でできるものをその風土の中に住む人が食べるのは古来から体にいいとされてるそうです。フードマイレージの問題。etc 私は、地域経済の活性化は希望こそすれ、袋小路とは決して思えないのですが・・
 

 ここで言っているのは、豊かさの指標でしょうね。
何をもって豊かと言い表すのかじゃないですか。
 地域の活性は、市場価格とは別の、豊かさを伴うから。そう言い切ることが、出来るって。
 もしかしたら、地域独自の通貨ができるし。

私には、逃げるため、避けるための地域経済にはちっとも思えませんけれど・・・
どころか!
とてもアグレッシブで・・・
行政からのトップダウンではなく、地域からのボトムアップ!
誇らしさが伝わってきます♪

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