山尾三省を読み直す
友人のひとりが帰農するという。来年から、今の職を辞して、本格的に農業の道に入るのだという。素晴らしいことだ。農の仲間が増える。拍手。
歳は私より多少若い程度だ。お互いに50の中頃になってしまった。
このあたりの年齢って難しいようだ。シルバーエイジ前夜、中年後期、人によっては青春の生き腐れ。
世間では「男の更年期」などと呼ばれるそうである。なんかバッチイ語感だね(苦笑)。昔の同級生などに会うと、皆いいオジさんである。腹なんかデプっとなって、おいおいお前、カレー臭だぜ、と冷やかしあう。どこか皆、病んでいる。身体に自信がある奴のほうが珍しい。もう孫がいる奴もいる。いてもおかしくはないが、お前、もうオジイちゃんか。
かてて加えて、オレをオジさんとは呼ぶな!なんて抵抗をして、精一杯ジーンズをはくが、惨めにもまったく似合わない。ジーンズのボタンの上にポンっと腹が乗り、これで球に乗りゃボリショイサーカスの熊だぜ。スーツのほうが様になっていそうだ。まぁ、気だけは若いのが救いか。エレクトリックギターも腹の上で弾くようだ。
そろそろ定年の年頃で、大会社や銀行に勤めた奴は、オレ今年でお終いと嘆く。パルシステム流にいえば、セカンドステージを真剣に考えねばならない年代なのだ。私は皆にやたらと羨ましがられる。なにか勘違いしているんじゃないか、農業は農業でけっこう大変なんだぜ、と返す。
しかし、時折考えてしまうことがある。既に、青年期にセカンドステージの生活に早々と入ってしまった私にとって、これからどんな人生があるのだろうか、と。
1年くらい旅に出たい。ザックひとつを担いで、ガジュマルの大樹の下で寝むりたい。波照間島の西へ行ってみたい。ラサから東チベットをバスで行きたい。ダライ・ラマの法話を聴きたい。心静かな仏教者になりたい。屋久島の「聖老人」と名付けられた縄文杉に拝謁したい。やりたいことはまだ積み残しがありすぎる。
山尾三省を再び読み始めた。『島の日々』。若い頃には解らなかったことが、しみ込んでくる。ただ、畑を耕すこと、ただ家畜に草をやること、水を汲むこと、淡々と土の上で生きること、それが希望なのだと、彼はいう。
土に合掌しよう
土の上に生きよう
土を価値とする新しい時代を準備しよう
土に大事にされよう
土の上で静かに生きる術を学ぼう
「太陽と土と」 山尾三省
写真・上は去年漬けた梅干しが食べられるようになりました。なかなかです。 下は石榴(ざくろ)の花。そろそろ実が膨らみ始めました。
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やったね。
故山尾三省
『アニミズムという希望―講演録・琉球大学の五日間』(野草社)
を読んで、苦しい時、勇気が湧いてきた。
人間は宗教感が必要。
投稿: 野生のトキ | 2008年7月 2日 (水) 08時25分
コメント乞食さんへ
最近やっとブログを見ることに慣れてきました。
なにかのぞき見をしているような感じがしていましたが
だんだん面白くなってきました。
しかし、ただただ圧倒されています!
かろうじて、写真に救われています。とくにあの蜂蜜には泣かされました。圧倒的な存在感で光かがやいていました。
投稿: 中島信之 | 2008年7月 4日 (金) 06時51分