ギター談義をしたい
ギター談義をしたい。
楽器はいいのを買ったほうがいい。ゼンゼン違う。
私なんぞ、最初のエレクトリックギターはトムソンなんて聞いたこともないラワンで作られたギターだった。今思うとひでぇしろもので、すぐに歪むは、反るは、すねるは。しかしなんせ、アンプまでついて(これもすげぇ代物)たしか7千円だったっけ。でも大事にしたな。毎日眼鏡のおまけの布で拭いた。
グレコのギターを高校2年だった、夏休みにバイトして買った時など至福だった。上の写真のエピュホンの赤いSGタイプで、それだけでうれしかった。タイプというくらいだからグレコは堂々とパクったのだ。今やると、訴えられます。4ツもボタンが着いてるんだぞぉ。何に使うか分かんないが。色も渋くて黒だぞぉ。ほんとうに嬉しくて毎日なぜて、弾いた。
アンプもティアックという国産中堅のメーカーのツインスピーカーを友人の兄貴から手に入れた。故障していたのでタダ同然に譲ってもらった。たしか50Wの出力で、がたがただったが修理して、色もペタペタとエナメルで黒に塗り替えた。すごい大音量が出て狂喜したが、すぐに父親にうるさぁ~い!と禁止されてしまった。まぁ当然である。
しかたがないので、農家の友人の納屋で思いっきり音が出せた時は、ああこれで死んでもいいとすら思った。あの時のギャ~ウ~ン!というエレクトリックギターの雄叫びは今でも耳に残っている。納屋の60Wの裸電球はアンプを使うとふっと薄暗くなった。なんだべぇと友人の父親が飛んできた。
このグレコ嬢は毎日枕元に置いて寝た。ある意味ガールフレンドより大事だったかもしれない。この17の私が、もしグレコが人格をもっていたら、結婚したいと言ったろう。永遠の愛を誓ってしまう。そんなかんじ分かるだろうか。好きで好きでたまらなかった。
藤沢の歯医者の息子(脱走委員会の奴だ)など、ほんとうに「スージー」なんて名前をつけおった。なんつう、こっぱずかしい感覚だ。そして演奏の前にはギターにキスをするのだぁ。ウゲゲ~。気分はわからんではないが、フツーそこまでやるか。私のグレコ嬢は幾度にもわたる引っ越しの中で生き別れになってしまったが、この歯医者の伜は、近年会った時にもいまでもスージーは床の間に飾ってあると言っていた。嘘だろう!しかし、あいつは私と違って、生まれてから今まで自宅から一歩も動かないから、ありかもしれない。
さて、あせってグレコさんと結婚すると、後で後悔するはめになるだろう。上には上がわんさか素晴らしいギターがあるのだ。
グレコを買った半年後、 藤沢の楽器屋で飾ってあるフェンダーを見つけてしまったのが、私の不幸の始まりだった。
なんていうのか、街でとてつもない美少女に出会ってしまったってかんじかな。映画「ニューシネマパラダイス」でシチリアに北部から来た金髪の少女が突然現れたという気分だろうか。
もう一目惚れ状態。たぶん私はヨダレを垂らしていたであろう。ああ、グレコにあせってプロポーズしなくてよかった。こりゃ、グレコの比じゃない。グレコがモー娘の誰かだとすれば、フェンダーは蒼井優であるな。もっとも、彼女はマーチンのタイプだが(これについては異論あり。いや、テレキャスだという友人もいます)。
で、店の親父にすがりついて、触らせてもらった。テレキャス(テレキャスター)だったが、そのズシッとした重さ、そしてラージヘッドのカッコよさ、大人になったら初ボーナスをはたいてでも買おうと思った(←買えない)。ガキの頃に大人になっからコロッケと魚肉ソーセージを山盛りで喰うぞってなもんだ。
色は確か渋いトーンのチャウダーホワイトだったかな。今思うと、母親をだまくらかしても買っておけばよかった。今持っていたら、50万でも買えないんじゃないか。ちなみに当時でも10万を超えた。初任給が1万円前後の時代にだ。だから、今の貨幣価値で換算すると、軽く100万を超えてしまう、ギョ!
だから、ザ、フーや、ジミヘン、近年ではクラッシュがステージでギターを壊すのを見ると怒りで震えた。いかに神様仏様ジミヘン様だろうと、許し難い暴挙である。恋人を衆人環視の中で自ら殺すようなものではないか!
私は壊すギターはすり替えだと思いたかったが、後に詳細に映像を見るとホントにやっていやがる。悪い意味でクレージーだよ。どうして愛器を壊せるんだ。あんなことをしたからオーバードラッグになるのだ、まったくもう。無駄死をしおって。彼のエレックトリック・レディランドやウッドストックの歴史的演奏など、今聴いても鳥肌が立つ。生きていたら、クラプトンみたいに渋いギターリストになったのだろうに。
毎日最長で5時間弾いたが、いっかなうまくならなかった。これは拓郎がオールナイトニッポン(今や伝説だろ)で、誰かの質問に答えて、一日5時間、それを1週間やってダメなら、タンバリンにしなという厳しいお言葉をまねしたのだ。
1週間、きつかった。指は切れるし、最後のほうはハシを握るのも痛いくらいだった。 だから奥さんをくどく時にギターを使えなかった。今に至るも彼女は私がギターを弾けないと思っている。人生とはそんなものである(おいおい、いきなり悟るなよ)。
で、私はタンバリン奏者に転向したというわけだ(笑)。
あれ以来、私はギターコンプレックスでね、秘密だが。まじに20年間くらい触っていなかったんだ。
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コメント
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こんばんは♪
何かなつかしい名前が並んでいますね。
と言っても、私の場合は耳にしたことがある・・・という程度で、全く詳しくはないので、談義はできませんが・・・
エリッククラプトンのCDは1枚だけですが、持っています。
「tears in heaven」を聞きたくて♪
投稿: ゆっきんママ | 2008年7月20日 (日) 22時07分
ようやく見つけましたよ。
でも絡める話題が2年前の記事だよ!
ギター談義しましょうよ。
ジミが生きてたら、ロックはもうすでに終わっていて、新しい音楽が始まっていたとおもいますけどね。
それがカッコいいかどうかはわからないですけどね。
僕はあれからレスポールカスタムを手に入れて修理して使っているんだす。多分70年代製。トラックバックしようと思ったけど、やり方を忘れているという。ではまた。--kata
投稿: zumastudio | 2010年2月21日 (日) 13時05分