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2008年7月24日 (木)

サガミハラの記憶 第3回 ゲート前、深夜

Img_0012_2 そして深夜、基地正面ゲート前のすべての灯が消えました。

腕時計がなかったので時間は分かりません。たぶん12時ちかかったと思います。
周囲の街灯や僕たちを照らしていた警察車両のライトが一斉に消され、わずかに基地の光だけがおぼろに一個二個ついているのみとなりました。
それからたぶん10分もの間、おそろしいほどの静けさがあたりを包みました。実際は警察車両が警告をしていたでしょうが、そのようなものは僕にはまったく聞こえませんでした。今まで止まっていた鈍い灰色の機動隊の幾重もの隊列が、ゆっくりと前進を開始し始めました。彼らのヘルメットがズッズッと黒い津波のように押し寄せて来ました。

Img_0089

さて、映画「いちご白書」をご覧になったことがあったでしょうか。あの映画の最終シーンでの座り込み円陣を組む占拠学生の排除のシーンがありました。あれが座り込みという方法(戦術)です。

一般的には、座り込み自体はそれほど過激な戦術ではないと思われています。実際、それまでも僕はベ平連のデモなどでは気楽にしていました。しかし、ほんとうはとてもこわい闘争戦術だとその時に知ります。なぜならひとりが恐怖にかられて逃げれば、全体が崩壊してしまう危うさを持つからです。フランスの核基地反対闘争では、互いにベルトに紐を繫ぐ例すらあったほどです。逃がさないぞというのではなく、逃げない自分と逃げないあなたが、今この地で、この時間に一緒の運命にいるんだよ、という絆です。まるで心中みたい。そうです、それは一種の集団心中に近いのです(笑)。

そして、市民環視の中で白昼にするのとは違い、深夜、誰もいない軍事基地の前での「戦車を止める。ベトナムには送らせない」という実効性を目指してのそれなのです。これはデモンストレーションの域を離れていたようです。つまりは非暴力直接行動です。

歯の根が合わないほどの恐怖が僕を襲いました。耳がキーンと遠くなるような恐怖。双眼鏡を逆さに見ているような恐怖。武者震い、とんでもない。口がカラガラに渇き、自分が皆んなとなにをシュプレッヒコールしているのかもよく分からない。そして機動隊による実力排除が始まりました。


隊列の前と横から二手からごぼう抜きにしていくのです。それもただ引き抜くのではなく、ジュラルミンの楯を組んでいる腕と腕の間に叩き込み、編み上げ靴で顎や顔面を蹴り潰して排除していくのです。前のほうからブバッ、グシャという音と悲鳴が続く。暴力の前に僕たちはただ坐ることしかしていない。身を投げだすことしかできない。
ベトナムへと向かう戦車の前の単なる妨害物として我が身を投げ出しているにすぎないのです。

Img_0045 僕の身体はひきつぶされる自動車止めだ。

僕の身体はコンクリートブロックだ。
僕の身体は自動車止めだ。
人間ではない、単なるモノだ。

ただ、決意をして平和のためにひき潰されることを選んだモノだ。
この瞬間、ひとりのベトナムの子供が無事であることを祈ることのできるモノだ。

そして僕の番が来て、ジュラルミンの鈍い色をした楯が僕の腕から親指にかけて叩きつけられました。僕の左親指の爪はその瞬間引きちぎられて飛んでいました。
鮮血と、一瞬遅れての激痛!
そのまま隊列の外に連れ出され、僕は自分の爪をもがれた左親指を押さえながら、なおも続く機動隊の検問と称するジュラルミンの楯の間を通らされました。そしてそこで容赦ない殴打が両側から受けました。胃に食い込む編み上げ靴。倒れると髪をつかんで立たされ、なおも腹を蹴りまくる。

彼らもまた昨年の三里塚の東峰十字路おける神奈川県警の警官3名もの虐殺に対する復讐に燃えていたのです。あの時殺された警官は、交番の巡査でした。たまたま成田配備で応援にいったすぎなかったのです。しかも殺されたひとりの若い巡査には生まれたばかりの幼い赤ん坊すらいました。同期の仲間は慟哭したそうです。その中の幾人かはいたでしょう。

こんなことがわかるのは十数年も経てのことです。お分かりになるでしょうか?人が人を殴るのには理由があります。殺し合うには理由があるのです。人は皆、サディストでも、ましてや殺し屋でもない。むしろ情が厚い人こそがこんな状況で狂うのかもしません。機動隊員のひとりはこう言っていました「わかったか、おいわかったのかよ、セーガク!こら、わかったのかよ!」

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僕がかろうじて、「おれになんの恨みがあるんだ、おれは君らに石ひとつ投げちゃいないぜ、ただ、おれらは平和を、ただ平和を!」というようなことをかろじて叫ぶと「うるせぇ!」と楯で思いっきり頭を殴られて昏倒。

写真はウユニ塩湖の村。そしてこから地上最高度の塩の湖へと。

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コメント

こんにちは♪
ど!暑い日が続きます・・・
またまた模様替えしましたね。
沢山ステキなお写真をお持ちなんですね。
それにしても、熱い青春!
己のと比べると・・・己のは・・・お恥ずかしいかぎりです・・・

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