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ベンツからでは畑は見えない

Img_0029 私がGという農業団体を作った時に、相棒と誓ったことがふたつある。

それは一生涯現役の農家でいようということだ。畑にいないとわからないことが出てくる。その時々の気温の変化土の湿り具合植物の葉の反り方などから分かる水分含有、せん虫の出具合、アブラムシがいるかいないかから分かるチッソの多寡、天敵昆虫がいるかいないか、総じて圃場の「土」の出来具合・・・これは自分も畑の中にいて、仲間の畑に一歩踏み出さないとできない。

畑はそんなに簡単には分かるものではない。事務所にいて帳簿の数字だけながめていても絶対に分からない。畑が舞台だとすれば、あまりに多くの踊り子、振付師、裏方などがいるからだ。皆、私を見てくれ!と叫んでいるのだが、ヒトは鈍感なのだ。

だから、畑に出ないでいると、農家出身でも微妙に感覚がくるってくる。パソコンをとおしてしか農業を理解できなくなってくる。品質も落ちてくるが、単に規格の問題としてしか理解できなくなる。あるいは加工にまわせば的な対応しかできなくなる。

当初は微妙なズレが、やがてはとてつもなく大きな差になって出てくる。これが「畑から離れる」ということの結果だ。しかし、当人はそれに気がつかない。そのようにはなりたくなかった。

もうひとつ、相棒と約束した。地域のためになろうということ。自分のようなよそ者が言うのは、やや気恥ずかしかったが、自分ひとりや自分のグループだけが成長していくのではなく、地元という畑も同時に耕していくことをしたかった。Img_0061

仮に、急成長の農業会社があるとする。その架空の農業会社の社長は、最高級ベンツで生産者の畑に乗り込むとしよう。いかにも田舎的な、あまりに田舎的な見栄の張り方であるが、田舎では大いに通用するのだ。

なぜなら、それは、「成功」の記号だからだ。自分についてくれば「成功」するゾと、分かりやすく触れ回っていると思えばいい。一種の広告塔効果だ。経済的な権力の示威だ。だから村では小成功者はクラウンを、自分がグレートに成功したと思う者はベンツ買うのだ。外車でもまちがっても、サーブは買わない(笑)。小粋な車は権力の小道具にはならないからだ。次は家を建て替えて2億もかけるか・・・。

そのような形で成功した人の次は、経済的な小権力者から、政治的な小権力者に向かう。つまり、市会議員かなにかに成る道に、ほとんど法則的に進む。やがては地域の利権構造にもしっかりと食い込んでいく、とう言うかいかざるをえない。やがて、50代にでもなれば、息子に経済的な権力たる社長を継がせ、自からも県会議員か、国会議員の道を選ぶことになる。

なにひとつ変わらない。なにも変化しない。かつての30代の「農業の挑戦者」は、たぶん50代にはまったく別物に変化している。農業をエリアとしているが、既に農業者ではない、別なものにだ。

Img_0006 私が故伊藤幸吉氏を、いくつかの批判を留保しつつも、かつてのエントリーで書いたように、その死に際して涙が止まらないのは、氏が「うぶな心」を失っていなかったからだ。うぶな心とは牛が好きで、年老いても牛飼いだと思い、ケガを負ってしまうような「うぶ」なところだ。彼は、生涯を牛飼いとして始め、鳥飼になり、農的な権力者になり、大物国会議員までその記念パーティには馳せ参じるところまでいった。色々あったのだろうが、最後はひとりの牛飼いで死んだ。うぶな心とは初心のことだ。彼は最後まで農民だったのだ。

さて、私たちのグループの一番高い車は30万円の中古バンだ。清貧を気取る気はない。だって、ベンツやクラウンでは農道は入れんでしょう。こっちのうほが合理的なのだ。バンでも入れないような畑は軽トラで行く。畑にも入り、ときにはその場で野菜を食べたりもするので、ゴム長か地下足袋だ。ベンツで行ったらゴム長だと車内に戻れない。車内が汚れるから。クラウンを買った時に、毎回腹がたった。脱いだり履いたり。メンドーで、こりゃダメだ、使えん車だ。燃費は悲惨だし。だから、農家から軽く見られるのかもしれないが。

Img_0027 そしてわが社長は年中畑にいる。手はザラザラ、顔も真っ黒。ある時、期末に剰余が出たので税金対策でクラウンの中古を社用車にしたことがあったが、自分たちの納まりがあまりに悪いのでたった3カ月で手放して、その売った金で作ったのが左写真のヤード内のビオトープだ。今、アサザの花が咲こうとしている。無味乾燥なヤードが生き返った。また、私たちの霞ヶ浦再生のシンボルをヤードの中に取り込んでいる。こんな気持がいい「無駄」が好きだ。ビオトープは権力の小道具にならない。だから、それは理念というより、百姓の心意気なのだ。ビジネスマンにならんという。

写真は上段から、わがグループのトマト圃場。有機トマトは完全におてのものになった。中段は仲間のジャガイモのストック。次は農家の集荷場。下段はワカグループのヤードのビオトープ。こんなもん持っているのはうちだけだと自負する。ぐはは。

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日本の農業問題」カテゴリの記事

コメント

こんばんは!
実は、1日に何度かのぞかせてもらっています♪
すると・・・あれれ???新しく更新されたのかな?って思うと・・・写真が変わっているとか・・・
中々進歩的なブログですね♪
我が家のトマト・・・実はついているのだけれど・・・赤くなりません!

投稿: ゆっきんママ | 2008年7月21日 (月) 19時24分

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