雛が入りました! その1 きらきら光るような命の塊
それは生命力が産毛を着ている輝くエネルギー。走り回る命。まだ頭の先に殻が残っているような赤ん坊。
手で強く握れば簡単に死んでしまうようなふわふわな瓜のような縦縞の入った雛を、これから大人の女性に育てるまでの約半年、彼女たちは私の関心の中心に居座ります。
特にこの瓜坊の縦縞がなくなって、堅くて強い翼が彼女たちを守る30日くらいまでは気が抜けません。
強い雛と弱い雛があります
雛は育種技術が発達した今も、個体の形質はデコボコです。ある者は強く、大きく、そしてある者は弱く、小さく。これはたぶんクローン技術でもないかぎり当たり前の自然の摂理なのだと思います。

一方、ドジで小さな雛は昼にたいして食べられず、寝る時も温源から最も遠い、ボタモチ円陣の外縁の一等寒い場所で寝ざるを得ません。同じ餌をやっても大きな雛はトウモロコシのような腹の足しになるものを食べ、哀しくや弱い雛はパフパフの糠ばかり食べるはめになるわけです。
まして、私が温源(なんてことないリサイクルショップで買ったコタツですが)の温度設定に失敗したりしたとして、お~寒い、あ~凍えるということになってしまえば、まっ先に必要な温度を得られないのはこの弱い雛ということになります。こんなことが続くとたった1カ月で、同じピヨピヨでも、方や大きく、方や惨めに小さいということになるのです。
そして、このような群の均一な発達(揃一性)に失敗すれば、産卵のピークは上がらず、もうメタメタな群(ロット)となります。これはニンゲンにとっても困る。だって儲からない(笑)
鳥飼の仕事は、生き物を「見る」ことです
よく、新規就農者に聞かれます、養鶏家はなにを毎日するんですか?
そりゃいくらでもありますよ、餌やり、卵拾い、選別、出荷作業、緑餌集め、村中を回っての野菜くずの収拾、ヒヨコ育て、そして畑作り。
でもこれではなにも言っていないに等しいのです。ほんとうにしなければならないのは「見る」ということです。毎日群を見る、毎日見る、餌をやりながら見る、すぐ来る奴と来ない奴を見る、通りすがりでも見る、やがて見ることによって群に何が起きているのかがわかるようになります。
一般の人が見ればだだボーとして鶏舎を見ているボケに見えるでしょうね。確かにボケには違いがありませんが、その時、なにを鳥飼は何を見ているんでしょうか?
いじめられている個体、食べられない個体には注意がいります。この個体は速やかに群から保護しなければなりません。その判断が遅れるといじめ殺される可能性すらあります。
集団的に生きる生物には、群の中で弱い個体を排除しようという意志があります。自然界において、それは群にとってお荷物だからです。それを簡単にさせてたまるかというのが、私親代わりのニンゲンの立場だと思っています。
写真は、上は着いて1時間の休憩をしているところです。蓋を半開きにして蒸れないようにしてあります。長野からの3時間の旅でした。中は保温器の中に入れていきます。この時期はほとんど温度を入れません。下は餌つけが始まったヒヨコ。まだ環境に馴れていないので、やや不安そうです。
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コメント
「夜店で買って育てたら雄鶏だった」というパターンを見聞きしていましたからひよこはかわいくても飼ったことはありませんでしたが、どこそこの家の縁側の下では飼っていたように思います。あれはひよこのうちはかわいいのですが、そのうちおっかなくなって、それに追いかけられたし。貝殻つぶしてなにか草か野菜か混ぜていました。たまごを産むためだと、あの「あんちゃん」の家で教わりました。
ブログ主さまはお百姓さまになりましたが、学校の先生だったらよかったのにとも、ふと思いました。こどもたちをひとりひとりとしてみることのできる先生です。
投稿: 余情 半 | 2008年7月13日 (日) 17時27分