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2008年8月25日 (月)

皆んな百姓になれ!実践的就農マニュアル 第4回 僕たちの失敗  

Img_0001 今日は書くのがユーウツだなぁ・・・。ま、これから農に入る人たちの参考になればということで、心に鞭打ちましょうゾ。

農地の収得に私は大失敗をしました。まず、結論から言えば、「共同」という方法を安易に使ってしまったことです。第2に、土地の仲介者に白タク、つまり無免許の札付きの男を立ててしまったことです。第3に、その経緯の中で妥当な調停者を立てられず、結果として就農仲間から孤立する道をえらんでしまったことです。

「共同」という言葉ほど、当時の私にとって輝かしい言葉はありませんでした。同じ帰農をめざす若者たちが、互いに助け合って、新たな都市と農の文化の融合をめざし、旧弊な地域を変えていく、まぁそんな夢とも理想ともつかない「気分」を持っていたわけです。私が30歳を少し出た当時でしょうか。

Img_0099 当時、私はKさんが運営する共同農場の研修生2年目でした。いわゆるトリサマ亭時代(7月15日号を見てね)です。鳥小屋生活からもそろそろ足を洗って、自分の自立した農場を考えねばならない時期です。土地の物色は各方面にしていたのですが、当時は「新規就農」という言葉自体がなかった時代です。世間はまったく無理解で、都会から来た毛色の変わった奴ら程度の認識でした。

いまでこそ、私たちの世代が四半世紀やってきて、有機農業団体を作って都市流通と大規模な産直事業を興したり、この土地にあった有機農業の技術を定着させたり、あるいは地元の特産品を作ったりと、それなりに地元に残すべきものは残してきていますから評価が変化してきています。しかし、当時は完全な白紙状態、あるのは奇妙な生きものを見るような好奇の視線だけだったような気がします。この雰囲気を理解いただけないと、なぜ私が失敗をしてしまったのか、おわかりにならないかもしれません。

私は沖縄でまったく土地が買えなかったこともあって、農地取得には必死でした。農業というのは、あたりまえですが農地がなければどうにもならないのです。また借りるといっても、今のように地主さんのほうから借りてくれという時代でもなく、偶然に出てくる物件待ちの研修生時代でした。

このような時に、まったく天の恵のように農地物件が出たという話が持ち込まれました。面積は1.6㌶(1町6反・4800坪)、筆は分割されておらず一筆、北に向かっての緩斜面、周囲に既存の農地や家屋なしという、まぁ誂えたような条件でした。そして、初めから価格も提示されていて、反あたり170万円、ただし、分割は認めず、一筆の購入のみだという条件です。トータルで2700万円という価格です。

Img_0001_2 私たち夫婦は狂喜しました。やっと出てきた!これで晴れて本物の百姓になれる、と。しかし、問題は土地価格です。1反あたりの170万円という価格は当時(1985年バブル期初期)としてはまず妥当に思えましたが、なにせ30そこそこの収入もない青年にとって2700万円は天文学的数字でした。

当時、なにせ私たちは共同農場から研修費として月に5万円を頂戴して生活をしていたわけで、2700万円などというのは、これでラーメンが何杯食べられるの?の世界です。今となれば、農林公庫から低利で借りるなりなんなり、方法はいくらでもあるのですが、当時は哀しくや5反歩を所有し、営農実績が必要という農業者資格もなく、借りるに借りられなかったのです。

くく~、もう一生自分の農地を持てないのかとガックリきた時に、農場の責任者のKさんからこんな案が出されました。当時の彼の友人で就農して2年目の東京農大出の若手農業者のFさんという人がいる。彼と土地を二分割して買ったらどうか、自分が仲介に入って悪いようにはしない。

分割するとひとりあたりの面積はそれでも8反です。充分とは言えぬものの、どうにか農家経営が可能な広さです。後から借りるなり、買い増すなりをしていけばいいと考えて、K氏に感謝をして受諾しました。

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ところがこの案にはとんでもないオマケが着いていたのです。資金集めを始めて数カ月後、Fさん側から、資金集めで大口の金融公庫から農用地として1町歩を担保物件としてほしい。ついては1町歩を自分の名義にしてもらえないかだろうか。

よくご理解いただけないかも知れませんのでもう一回リピート。Fさんがいう私への追加提案は、要するに、自分は8反歩分の金しか出さないが、名義は1町分ほしい、と!

今考えてもそうとうに強心臓な提案ですなぁ。土地は法的には、とうぜん名義が先行しますから、いくら金を出したなどというのは当事者間の内輪の話に過ぎず、常識はずれもはなはだしいわけです。F氏はこの不平等な資金と名義の関係を、責任を持って3年以内に等価交換などの方法で修正をするからと強調しました。

この非常識な提案を飲んでしまったのは、ひとえに私の心の中に根を張っていた共同への憧れと、既に土地を探し出してから3年間にもなり、Kさんの共同農場にもそうそう長居ができないというあせりからでした。

Kさんの「悪いようには しないから、自分が責任をもつ」という言葉に後押しをされるように、この不平等条約にサインをしてしまい、私は自分の資金集めに奔走することになったのです。しかし、その数年後には大きな落とし穴が待っていることになります。

写真は、農場の四季。上からヤマザクラ咲く春。菜花の葉が出てきた3月。菜花燃える5月。そして秋の播種風景。これが今回の話の舞台です。

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コメント

おはようございます♪
私たち夫婦も、だまされてウン千万円の借金を作りましたよ。
忘れもしない・・・
次男を事故で失った2ヵ月後・・・悲しみのずんどこ・・・いえ!どん底(余情半さまの影響で)にいた時・・・1本の電話が・・・
「お宅の家、 差し押さえましたから・・・」
その日から地獄のような日々が始まったのです。
続・・・・・かない!
生きていると色々な事がありますよね・・・

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