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2008年8月 7日 (木)

米、この奇跡の穀物 その4 田んぼの底は焼かない陶器

Img_0038 書き始めて、コメを知る旅のシリーズ第1回としようかなと思っています。

コメを考え始めると単なる穀物の域を超えて、生きものとの曼陀羅、そして日本という不思議な島の文化の作られ方にも及んでいってしまいます。こうなると本一冊書けそうな気さえしてきます。それほどまでにコメというのは奥ゆきと拡がりが深いのです。

さて、昨日投稿いただきました余情半さんがご自身のブログhttp://kantannihasinjinai.blogspot.comでバケツ栽培のコメ作りに挑戦されたことを書いています。私からみれば、本職の農家のやっている田んぼのほうがよほど簡単なんです。規模がまったく違うだけです。

私はバケツ栽培をやったことはないのですが、たぶん水管理が大変だろうなとは容易に想像がつきます。本物の田んぼの床は粘土です。それに対してバケツは鉄板です。この違いがわかりますか?そう、鉄板は水を吸わない。より正確に言えば、吸収したり、吐き出したりしないのです。天然の粘土は、顕微鏡でみると、多孔質といって無数の微小な孔があります。そこから空気や水を吐いたり、出したりしている天然のフィルターや弁の役割をします。過剰ならば吸収し、少ないと吐き出します。

大雨の後などは、田んぼの堰を切って放流すればいいわけですし、渇水の時には堰を開けて水を取り込みます。ですから、水管理は馴れれば楽な仕事で、むしろ田んぼの状態や稲の観察することが農家の仕事だといえます。

Img_0106 ただ、このように練り込まれた床土になるまで、大分手間がかかっています。先祖代々、毎年春には水を入れ、代かき(しろかき)といって床土を練っていく作業をします。これによって、言ってみれば、毎年陶土をこねている状態になっていくわけです。

陶芸家がなぜいい田んぼの粘土を珍重するのか、その理由がお分かりになりましたでしょう。田んぼの底は焼いていない陶器のようなものなのです。だから水がこぼれず、しかも空気と水が行き来出来ます。

では、この水がどこからくるのでしょう。実は、若い農家はここが分かりにくくなってきています。初めから基盤整備されて、汲み上げポンプ場から地域の田んぼ全体にパイプラインで水が送られるようになってしまったからです。確かにこれで、農家の朝と夕の日課だった水の見回り作業から解放されたことはたしかです。

しかし、同時に「うちのコメを作る水がどこから来るのか?」、「どこの湧き水や川の水が自分のコメを育てているのか」ということが理解できなくなってきています。かつてはきれいな水でコメを育てるためにした冬の裏山(里山)の手入れや河川のメンテナンスがどんどんと忘れ去られていくのは悲しいことです。Img_0002

ところで、私は帰農した最初の年からえんえん数年間も「田んぼ作り」をしたことがあります。え、珍しくないだろうって?う~んとね、私の「田んぼ作り」は文字どおり何もない原っぱを耕して、水を川から引いて田んぼにしたのです。

私が最初に借りた昔「田んぼ」だった原っぱは最上段の写真の棚状の段々畑の上5枚でした。だいたい20アール(2反)くらいだったかな。ここは地主さんも手を焼いていて放り出してあったところで、ここなら年貢(賃貸料)はいらなかっぺというご好意で貸して頂きました(後から考えるとアタリマエだ)。

しかし、すぐに後悔しましたね。だって、腰まで野草が伸びているただの原っぱだもん。桑の木さえはえています。これを刈るだけで一大事。しかもトラクターなどなかったのですべて人力です。刈り払ってから、一本一本根を抜くのですが、春といっても今思い出しても大変な重労働でした。抜根しようとして、マンノウという鍬が1本柄の根本からバキッと折れたこともあります。金属部分など毎日のようにグニャと曲がって、うちへ帰って玄翁(トンカチのこと)でたたき戻すのが日課となりました。

Img_0004 そしてその後に「田んぼ」に水を呼び込むのですが、その田んぼもどきの土地には近くに川や農業用水がないのです。たしかにこりゃ、貸してくれるはずだ、とため息が出ました。方法としては50mほど遠くにある小川から水路を作るか、そこからポンプで汲み上げて、大きなホースで送るかだと初めは思いました。しかし、高低差があって高い所に低い所から水を送るのはそうとうに大変なようです。しかたなしに断念。ああ、水がなければ田んぼは出来ぬ、田んぼが出来ねば、コメは食えぬ。

写真は典型的な段々の谷津田の6月。次はハーブ畑。バジルです。次は昨日の頁トップの田んぼを別な角度で見た光景の5月。中段はヤマツツジ。

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コメント

おはようございます♪
こちらのブログを読んで、いただいたコメントをお伝えします。

見てきました。生産者さんのブログ。
目からうろことはまさにこのこと!!
給食にもっと米を、余っているし、安いから・・・そんな理由で食べたがる子供がいますか?自分の子供に食べさせようとおもいますか?ところが、同じお米について、こんなにミラクルな穀物、世界一美味しい瑞穂の国の米って聞いたら、誰だって食べたいですよね。こんな風にお米について話を聞いたこと無かった。ありがとうございました。

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