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2008年8月29日 (金)

皆んな百姓になれ!実践的就農マニュアル 第8回 どのように村とつきあうか

Img_0013 昨夜、なめかたフロンティア農園構想の委員会が開かれて、私も出席しました。

このところ、私は「表現は丁寧に、しかし、言いたいことは言う」というふうにしています。私は歳より若く見えるようなので(これは農村では不利ですぞ)、こしゃくなと思われたかもしれません。

この「こしゃくな」感は常に私に対してもたれていたと思います。なんのツテもなく、親戚のひとりもいないくせに村に入り込んで、農家でもないのにえらそうなという視線を25年間強弱はありますが受けつづけてきました。いわゆる「よそ者」ですね。

私の場合、ひどい時には、ある土地トラブルを発端にして、ある人が煽って、立ち退き陳情までくらったことがあります。看板を立てられるわ、立ち退き署名を集められるわ、いやまったく。

ただ、当時はもう入植して20年めあたりでしたので、こちらもそうそうナイーブではありません。50歳を超えてガメラよろしくがっちり甲羅を被っている部分もあります。それに私と相棒が作った出荷組織は村の中でも屈指の大きさの農業団体ですので(自慢じゃないよ、ほんとだかんね)、くれば来い、やるならやってみろという感じでした。

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さすがに村の行政が中に入って、村八分一歩手前で穏便に解決されましたが。前回でも書きましたが、このような時に自分の農場に「逃げ込める」というのはほんとうに助かりました。農場が借り物なら、下手をすれば、村から叩き出されかねないケースです。おーこわ。

これが経営基盤が脆弱な入植初期なら話はまったく違います。私のところから百姓になっていった研修生夫婦も、同じような目に合いました。平飼養鶏を周りから反対されて、公害養鶏出ていけ!というようなバッシングを受けました。平飼のどこが「公害」なのか知りませんが、研修生の対応が生硬だったこともあって、ともかく気に入らないというわけです。理屈ではないから困ります。この時は、私と当時区長の住職さんが間に入ってなんとか折りあうことができました。私たちがいなかったら、彼らも叩き出されていたことでしょう。

村を甘く見てはいけません。警戒する必要はまったくありませんが、あなたが村の「外」に住んでいて、たまさか訪れる旅人ならば、村は最大の笑顔をみせて歓待するでしょう。村のホスピタリティほど心に染みるものはありません。

しかし、いったん村内に新住民として入ると、立場は微妙に変化します。村はあなたを共同体の中で位置づけようと試みるからからです。村という共同体のどこに位置づけるかを、あーでないこーでもないとなっとくするまで詮索するかもしれません。平たく言えば、序列を決めたいのです。

Img_0011 村は共同体です。字ごとの班、田んぼの改良区ごとの地域組織、講という互助組織、消防団、青年団、出荷組織、JAの部会、PTA、ママさんバレー、果ては代議士の後援会・・・・・無数の縦横の糸で緊密に繋がっています。

新規就農者が飛び込まねばならないのは、こんな緊密な関係の中なのです。

特に農をめざす人は、えてして職場でのしがらみを嫌悪して田舎に来るというケースが多いようですので、都市のしがらみを飛び出して、もうひとつの、ある意味都市などとは比較にならない強烈なしがらみ社会に入ってしまうわけです。

では、どのようにこの村とつきあうのかですが、結論から言えば、「遠からず、近からず」です。距離を一定開けて、しかし、礼節をもってつきあうというごくシンプルなことが私のお勧めです。

私の地域ではないのですが、ある入植者は勧誘されるがままに地区の班に入り、そこまではいいのですが、あらゆる付き合いに出るようになりました。彼は熟年就農でしたので、そのような地域での付き合いが大事だと思ったようです。

Img_0016 半分は正しく、半分はやりすぎです。そこまで村と間合いを詰めてしまうと、もう逃げられません。彼は酒が飲めないのに、毎日引っ張り出されるは、家には野菜や漬け物の手土産をもってご近所が、これまた毎日毎日「見学」にくるわけです。まぁ、要するに暇で、好奇心ムンムンなのですよ。悪気はゼロです。

ちなみに季節の野菜、漬け物と揚げ餅はわが村の地域貨幣のようなもので、さんざん行き来します。うちの冷凍庫には向こう1年間分のかき餅の材料が眠っています。

あ、そうそう蛇足ですが、村に入って、他人の家に行く時は必ず手土産を持参のこと。出来た作物や卵ていどでいいのです。頼みごとがある場合は、酒一本が村の常識。都会の感覚で空手で行くと、陰で「なんだべぇ、礼儀さ知らないっぺ」とやられますからね。

話をもどしましょう。毎日やられたほうの奥さんは、いたって普通の都会のサラリーマンの妻ですから、半年持たなかったですね。旦那も、これまたいたって普通の都市のジェントルマンでしたから、同じくぐったりとへばった。今はぐっと距離を開けて静かに暮らしているようです。

ただ、これもまだ純農村だからいいので、山間部に入ったら逃げることはまず不可能。私の友人ですが、ラジカルな就学拒否主義者だったのですから、さぁ大変。小学校が子供不足で廃校になろうという時に、入ってきた彼が子供を学校に通わせないのですから、大騒動でした。非常にタフな個人主義者ですから耐えましたが。

というわけで、村とは親しくすることは大いに結構ですが、一線を引くこと。同じ日本語をしゃべる外国の人ていどに思って付き合い始め、やがて肝胆合い照らす友人も多く生まれていくことでしょう。

Img_0024 入った当座はなにせ、あちら村の衆は私ひとりを認識すればいいのですが、こちらは覚えきれないわけです。だから知らないので軽トラで行き過ぎようものならあーた、「挨拶もできない馬の骨」とやられます。ですから、私は道場橋という私の字に入る橋を渡ったら最後、全員に軽く会釈する習慣をつけました。橋を渡ると、誰かは知らなくとも、「おはようございます!」と会釈する。なかなか大変。

あ、書き忘れた。ママさんバレーとか、ダンスサークルとかは非常に貴重な村との絆ですので、機会があれば入ったほうがよろしいかと。

まぁ、無理をしないことですね。どうせ骨まで村の人になりきるのは無理ですから、一線を画して礼節をもって、村という新天地に根を張っていって下さい。

写真は、村の祭礼風景。

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