署名ブログになった理由
私の農の心の師でした福島正信先生に哀悼の意を捧げます。享年95歳でした。師の業績は巨大過ぎてひとことでは言えません。また気持が落ち着いてからということでお許し下さい。
さて、 匿名ブログから署名ブログになりました。その第2回です。各方面(・・・なにをオーバーな)から、「ようやるな」、「勇気がありますね」などという声を頂きました。
だからというわけではなく、ブログの匿名性についてちょっと考えてしまいました。
現代のブログ文化の大発展のひとつの大きな理由は、その匿名性にあることはご存じのとおりです。なんと言っても気楽に書けます。通常の社会関係から、仮想電脳空間の中で「遊べる」という愉快さも手伝ったのかもしれません。極端にいえば私が、オレはフランス外人部隊出身だぁ、ジブチにカトリーヌが待ってるぜ(爆笑)などとダホラを吹いても、ひょっとしてまに受ける人が1万人にひとりくらいはいるかもしれません(いねぇよ)。 あ、カミさん、今の記述は、単なる例で願望ではありませんからね!
社会的な場所にいる人はためらわず匿名を選ぶべきです。さもないとなにも言えません。
では、今私のブログは何を目指しているのでしょうか。かなりはっきりと基調低音とでもいうべきものが出てきました。
ひとつは現代の日本農業の過去と現在、そして未来に眼を凝らすことです。ジャーナリストでも学者でもなく、ただいま現在、農業を営んでいる農業者のはしくれとして、日本農業に誠実に連れ添うことです。
これはコメのシリーズから続けて自由化問題に行く2週間の間に腹が坐ってきました。私はこう思ったのです。
もう「農民にはなれない」などとは言うまい、仮に現実はそうであったとしても、自分を受け入れてくれた村、その人々が享受する運命のごく一部でもわがものとしよう、と。そのために今自分ができるこのブログを使おう、と。
もちろんこのブログはオフィシャルなものではなく、私個人のものであり、その責任において作られています。個人的な生活もこれからどんどん書いていくつもりです。しかし、基調には日本農業の過去、現在、未来に眼を凝らそうという私がいると思って下さい。
つまんない~と言われそうですし、少ない読者がいっそう減りそうですが、大丈夫、たいしたことも書けませんから。そしてどこまでいっても、私は半分は町っ子で、町っ子と農民のF1なのです。
このような街と農の間に私はいます。
そのように思うと、匿名性には違和感が出ました。
私は、日本農業に対する意見に最大限耳を傾けようと思っています。私の考えと異なっても切り捨てたりはぜったいにしません。真正面から愚直に受けとめます。たとえば、この間の66ss様のご意見は、拝聴に値しました。なぜなら、そのように思っている都市生活者は、その過半数に及ぶからです。氏の背後に膨大な都市生活者の「農業不信」の厚みが見えるからです。
ですから、私は私の能力が可能な限り、論証とデーターを積み重ねるという客観的な方法でお話しました。それが成功したか否かの判断は皆様にお任せします。
そして、残念ながら、都市生活者をしてそのような「農業不信」を持たせる原因も、日本農業の中に多く内在しています。このようなことにひとつひとつ丹念に答えていかないと、わが日本農業は持ちません。
私は非力な、まったくイヤになるくらい力のない人間ですが、自分の愛した対象に対する言説には責任を持ちます。そして、気障なようですが、私が人生をかけて愛したのは農業です。
だから、匿名ではなく、私の名と顔を出すことにしました。それが私の流儀なのかもしれません。
« 農的食育の勧め 五味のプリンシパル(原則)から始めよう | トップページ | 皆んな百姓になれ!実践的就農マニュアル 第1回 就農は起業である »
「日本の農業問題」カテゴリの記事
- EPA発効 日本農業にはよい刺激となるだろう(2019.02.02)
- TPP 兼業を守ることが農業保護ではない(2016.02.06)
- コメントにお答えして エサ米は市場原理から逸脱している(2015.10.14)
- TPP交渉大筋合意 「完全敗北」だって?(2015.10.12)
« 農的食育の勧め 五味のプリンシパル(原則)から始めよう | トップページ | 皆んな百姓になれ!実践的就農マニュアル 第1回 就農は起業である »
コメント