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2008年10月

トリインフルエンザの謎 第3回 トリ型トリインフルエンザとはなんだろう?

_edited さて、インフルエンザにはおおよそ3種類あります。

Ⅰ まずひとつめはトリ型トリインフルエンザです(通常は「トリ型」といういいかたはしませんが)。

Ⅱ もうひとつはヒト型インフルエンザです。去年流行ったようなインフルエンザですね。

Ⅲ 今ひとつが「新型インフルエンザ」というまったく未知の新型です。これは後の回で詳しくご説明しますが、トリ型インフルエンザが、なんらかの哺乳類(たとえば豚など)を介して人間に移り、発症させると考えられています。そしてそこから人同士の感染に拡大していくと思われています。これを「人獣共通感染症」とも呼びます。

この新型インフルエンザがパンデミック(感染の爆発的拡大)を起こした場合、最悪はかつてのスペイン風邪に匹敵するのではないかという危機がささやかれています。

新型インフルエンザに入る前、元祖インフルエンザであるトリ型インフルエンザのトリインフルエンザをお話ししていきましょう。まだるっこいようですが、トリインフルエンザの性格の中にインフルエンザの謎の多くが含まれているからです。しばしおつきあいを。

トリインフルエンザの故郷というとおかしいですが、世界におおよそ二つあるとされています。ひとつは中国青海省の青海湖、そしてロシアのバイカル湖です。このふたつの湖から飛び立つ無数の渡り鳥の移動によってトリインフル・ウイルスが世界にバラまかれていきました。

この渡り鳥のルートは東西ルートはありません。渡り鳥は地磁気に沿って自分のルートを知りますので、地軸の北から南への感染ルートが主です。そこからいくつかの派生ルートが生れて、今やの感染を見ると、アジア全域、ロシア全域、アフリカの一部、そして欧州を覆っています。南北アメリカには感染はありません。

もっともひどい被害を受けたのは東南アジアと中国で、世界保健機関の統計によると、東南アジア各国で11月までに鳥インフルエンザで62人が死亡しています。また、アジアでは2003年後半以降、133人が高病原性鳥インフルエンザに感染し68人が死亡しています。(*高病原性とは「感染力が強く病気の原因となりうる感染症」という意味です。H5型とH7亜種が法定伝染病として指定されています)

ここで100人を超えるトリインフルエンザから感染しての人の死亡については次回に詳しくみます。その前に、トリインフルエンザの特徴をもう少し考えてみることにします。

トリインフルエンザのたぶん最大の特徴は渡り鳥の水鳥がウイルスの運び役となっていることではないでしょうか。水鳥がウイルスを保菌した状態で飛来し、水際の野鳥に感染させます。そして更に野鳥が家禽(かきん・家畜で飼われている鶏やアイガモ、アヒルなど)に感染させて感染を拡大していきます

_edited_2 わが農場のこの無粋な赤っぽい網は、防鳥ネットといって野鳥と家禽との接触を防ぐためのものです。家畜保健衛生所の強い指導がなされています。特に私の住む地域は霞ヶ浦、北浦という大きな湖にはさまれた地帯で、渡り鳥も多い地域ですので、厳重なトリインフル対策がなされています。うちの農場は尽きに一回の査察を受けるモニタリング指定農場です。

ところで面白いことは、トリインフルエンザは野生の鳥では、保菌していたとしても発症しないのです。

しかし、家禽は発症します。原因はよく分かりません。野生の鳥のほうが強健であるのか、あるいは家禽の飼育密度が野生とは比較にならないためか、家禽は罹っても野鳥はただ保菌しているだけという不思議なことが起きています。

また、トリインフルエンザに罹った家禽を移動したりすることで感染が拡大していきます。欧州への感染拡大は渡り鳥の移動では説明できないために、家禽の移動によるものだという見方もあります。人が長期間感染した鶏と触ったりするなどの接触(濃厚接触といいます)することで人にも感染することがわかってきました。

ちなみに、一昨年茨城を震撼させたトリインフルエンザ事件は、H5N2型の違法ワクチンが原因です。結局逃げきりましたが、それを不法使用し、地域全体に大きな打撃を与えたのはイセ・ファームと愛鶏園です。

■本記事は自動アップされています。次回は少し時間をいただいて、11月5日か6日にアップいたします。

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トリインフルエンザの謎 第2回 ウイルス、この奇怪な生物?非生物?

Img_0033_edited ここで、いい機会ですからかんたんに、インフルエンザの呼称についてご説明しましょうね。
普通H5N1とかH5N2、H7N1などと読んでいます。この記号の読み方ですが、H1とかH5、7とかつくのはこれはウイルスの「株」の名称です。H5からH16まであります。
次に来るN1とかN2はそのウイルスの感染が強いか弱いかの度合いを示しています。N1型が一番高いわけで、N2型だと弱毒でワクチンになどに利用されている型です。ですからH5N1は、H5というインフルエンザ・ウイルス株の仲間で、N1つまり一番感染力がモーレツ,だということになります。N1からN9まであります。
よく誤解があるのは、トリ型のH5やH7などの株と、ヒト型のH1などが同じインフルエンザとして理解されてしまうことです。いや、正確じゃあないな、同じ「インフルエンザ」には違いがないのですが、トリ型のインフルエンザはヒトに感染しません。逆もまた真なり。トリがクシュンといっても、ヒトには移ることはまずありえません。
それはなぜなんでしょうか?実はこれがウイルスの面白さです。
インフルエンザ・ウイルスは原則として、ひとつの自然宿主を持っています。けっこうああ見えても律儀な奴のようです。ヒト・インフルはヒトにだけ、トリ・インフルはトリにだけにしか罹りません。ウイルスはひとつの鍵孔に一つの鍵というほど、宿主とする対象の生物種は限定されているのです。これを「種の壁」といいます。ウイルスは「種の壁」に阻まれて、他の種類を異にする種に感染拡大ができないのです。トリ・インフルなら鳥類だけ、ヒト・インフルならヒトだけ。ね、分かりやすいでしょう。
ウイルスは地球最古の生物のひとつですが、非常に変わっています。自分の固有の細胞の姿を持たないんです。タンパク質と核酸しかないのです。ついでにいえば、生物と非生物のいずれにも分類できない(!)というまっことミョウテケリンな生きものなのです。
ウイルスは宿主の体内に侵入し、宿主のDNAに干渉して、その細胞を使って自分をコピーさせるという悪質なマルチ商法まがいの(やや違うけど)手口で繁殖していきます。これが感染がひどくなる(拡大する)という現象です。ん~、エーリアンみたいで不気味。
しかし弱点があって、寄生相手が決まっているうえに、空中に放出されてしまうと、自分の固有の細胞の「外殻」(細胞膜)を持たないために、たちどころに死滅してしまいます。自然界にあるウイルスというのは、ただ空中にプカプカ浮いていると思われるでしょうが、必ずトリやらヒトなどの自然宿主という住処(すみか)があるのです。そこが固有の形を持つバクテリアや微生物、土壌の微小生物、プランクトンなどとの大きな違いです。
そしてもうひとつのウイルスの特徴は、やはり固有の外殻がないためなのですが、変異するスピードが猛烈に速いということにあります。A型と思ったらAの変種株、あっと思ったらB型みたいな変幻を見せるんです。こりゃあ自分の型を持たない強みですよね。自分の固有の型を持っていたらこうはいきません。
結果、ウイルス由来であるインフルエンザには沢山の型(株)があります。ヒト型なら香港株(香港風邪)がどーしたの、ソ連株(ソ連風邪)がどーしたのと、今年のトレンドがあるわけです。これは鳥類のトリインフルエンザも同じで、青海株あり、゛韓国株、バイカル株ありです。
この「今年のトレンド株」を読まねばならない難しさが、株式市場ではないが、防疫関係者の永遠の悩みなのです。トレンド株を読み損なったら、せっかく金出して作ったワクチンはパーだもんね。
では、「新型インフルエンザ」といわれるものは一体なんなでしょう?次回はそこをおはなししましょう。
■本記事は自動で指定日アップされたものです。
写真はインゲンの花

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トリインフルエンザの謎 第1回特効薬タミフルに耐性菌が出た!?

Img_0056_edited_edited 「タミフル耐性」インフルウイルス、鳥取で高頻度…拡大警戒

このような大見出しが10月21日の読売新聞に載りました。私は読売をとっていないので、知ったのはつい先日だったのですか、幾人かの消費者から質問をいただきました。私は諸事情で、ブログの更新を休止していましたが、この件に関してだけお答えをしておきます。件の記事は以下です。

以下引用

 治療薬「タミフル」が効かないインフルエンザウイルスが昨冬、鳥取県で30%以上という高頻度で見つかっていることが20日、国立感染症研究所の緊急調査で判明した。

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 26日から岡山市で開かれる日本ウイルス学会で発表される。今冬以降、全国的に広がっていく可能性もあり、同研究所では引き続き監視が必要とみている。

 同研究所では昨冬、欧州を中心に耐性ウイルスが急速に広まっているため緊急調査を実施。全国の地方衛生研究所から送られてきたソ連型ウイルス(H1N1)1544株について、耐性株かどうかを調べた。

 その結果、全体では2・8%にあたる44株が耐性株だったが、鳥取県だけは68株のうち22株(32%)と、耐性ウイルスの割合が特に高かった。隣接している島根県(1・2%)や兵庫県(7・5%)では1割以下だった。

 タミフル耐性ウイルスは昨年11月以降、欧州を中心に世界中に流行が拡大。ノルウェーの67%をはじめ、欧州諸国全体で20%以上を占め、南アフリカなどではソ連型ウイルスのほぼすべてが耐性ウイルスになっている。

 鳥取県の耐性ウイルスは、主に小学生から分離した。欧州と米国でそれぞれ流行しているタイプが、同時に流行した可能性が高いという。

 今後、ソ連型ウイルスが流行した際には、タミフル投与が必ずしも有効な治療でなくなる可能性もある。

 同研究所の小田切孝人・インフルエンザウイルス室長は「全国的にはまだ割合は小さいが、今後の推移に注意が必要だ」と話している。

(2008年10月21日03時16分  読売新聞)
引用終了
さて、消費者の皆さんの恐怖の流れは、たぶんこういうことでしょうか。
①トリ-ヒト型のトリインフルが東南アジアで出ている。
②トリインフルのタミフル耐性株が出た。
③欧州で2割、日本でも鳥取でも32%がタミフル耐性株だった(上記記事参照)。
④もしヒト-ヒト型のトリインフル(新型トリインフル)が国内に入った場合、タミフル耐性菌が多いために被害が甚大になる。
では、この10月21日の「タミフル耐性ウイルス、鳥取で高頻度」という記事はなんなんでしょう?私も当初はこれが鳥取で渡り鳥などから採取された(分離された)タミフル耐性菌かと勘違いをしていました
ならば、重大事です。なぜって、日本にはトリ型トリインフルの耐性菌は侵入していないと言われているからで、もし侵入されているとなると防疫関係は、タミフルを飲みながらトリインフルの鳥と直に接して防疫業務をするわけですから、ドエリャ~ことになります。丸腰で強毒性のトリインフルと立ち向かうことになります。
私たち養鶏業も大変です。万が一大規模感染があった場合に自分と自分の家族を守る術がなくなるからです。
しかし、この記事を良く見て下さい。
>鳥取県の耐性ウイルスは、主に小学生から分離した。
えっ?「小学生から分離した」???そう、ポイントはここです。
これは鳥型インフルエンザですからH1N1ソ連株のようなヒト型株ではありません。また鳥取などの事例もまた、H5N1型耐性菌ではありません。ここがこんがらがっています。
この読売の記事の「小学生からの分離」は、意味簡単です。昨年流行した通常型のヒト型インフルエンザからタミフル耐性菌が出たということにすぎません。トリ型インフルエンザではありません。ですから、鳥類とは関係がありません。
■この記事はあと2~3回連載しますが、長文を分割して、自動で公開日指定をしております。申し訳ありませんが、11月4日以降までご質問にはお答えできないことを予めご了承下さい。

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11月6日頃までの更新停止のお知らせ

皆様。身体のメンテナンスなどの諸事情により、本日より11月6日頃まで更新を停止いたします。また元気になって戻ってきますので、しばしのお別れです。

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農業を、自分の国の「言の葉」で語ろう

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私は、横文字が嫌いです。な~んて言って実はよく利用しています。でもやはり、できるだけ使いたくありません。だってスカシているんですもん。なんか、カッコよく言いたい、これが外国が評価している概念だみたいな腰の軽さがミエミエです。

ところが、わが陣営といいますかエコロジー、オーガニック(ほら横文字だ)はその花盛りです(ため息)。いわく、フードマイレージ、CO2削減、低炭素社会、持続可能性、アニルマルウエルフェア、ライブストック、循環システム、パーマカルチャー・・・。

まぁ理念としてはそのとおりなのですが、もともとこんな概念は日本の農業の中にあたりまえにあったのですよ。それをCO2から説き起こして、フードマイレージという定規を使って断罪し、畜産にはアニマルなんとかや、ライブストック、「持続可能性」などという生硬な訳語にしてしまう。

これでは外来の思想や言葉の輸入をもって知識人足り得た明治開化、ザンギリ頭の時代への逆戻りです。それらはもともと日本にあったオリジナルな農のあり方を西欧人が吸収して、横文字化した後に、おもむろに海の向こうから日本の知識人が逆輸入したわけです。 

さて、ある農水官僚出身の国会議員と話をした時に、彼が実にエラソーに言っている言葉が、元来日本であたりまえにしてあった言葉だと気がつきました。

彼は自分が発案したというフードマイレージから説き起こし、今ある欧米のローカル・ファーミング・サポートという運動は、自分が外国に紹介したものだと妙に胸を張りました。彼のように頭がよろしくない私は、フードマイレージをミニマムにするてっことは、自分の地域の中での生産-消費-廃棄-再歳循環のことでしょう。よくいう地産地消とどう違うのと思いました。

あるいは「提携」という生-消の連携も、もともと日本の、特に少数の消費者を対象に出来なかった時期の有機農業運動が作り出した言葉です。それを彼は横文字に訳したに過ぎない。

ハッキリ言って、アッチがコッチをパクったんです。その国会議員は単なる「翻訳者」にすぎないのではない。本来教えたのは日本農業。欧米的な大規模収奪型農業に行き詰まって、コッチに助けてもらったのは欧米なんです。

それをまたなんで、外来語、横文字で逆輸入するのか。まことに卑屈な!欧米に認知されて初めて日本人が何者であり、なにをなし遂げてきたのかが分かるというのでしょうか。倒錯していませんか?

このような「訳語構造」を変えていかないと、知識人のフィルターを通したことが時代を先導するようになります。かつて日本のマルクス主義はそのような知識人偏重型シフトによって自滅しました。知識人のみがその理念の語り部となってしまったからです。

自分たちの「農」の中の生々しい言葉を作っていきたいですね。それは迂遠な途ですが。フードマイレージ、ライブストックなどということの意味を、練れた自国語、つまりはわが国の言の葉に変えて溜めていきませんか。それだけで豊かになれるような気がします。

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ことばの花々

_edited 現代詩というのは難解だとか、なにを言っているのかさっぱり分からんということを言う人もいます。

ん、そうかな?詩というのは確かに文章のエッセンス、いわば大吟醸のような性格もありますから、とりつきにくいのは確かです。

しかし、詩のスゴサというのは心にダイレクトに来ることです。もともと人類は詩が基本だったようです。結婚の祝婚歌、子供が誕生した誕生歌、死者が葬られていく時の哀しみの歌、離別の歌、愛するする人に会いめぐり合えた歓びの歌。

私見ですが、詩が人類の原型で、散文はその後にできたような気がします。

私が敬愛する茨木のり子さんの「詩のこころを読む」(岩波ジュニア文庫)はこのように書き出しています。

いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい時にはまた、生きとし生ける者への、いとおしみの感情をやさしく誘い出してくれもします。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。

ひとつ詩を詠みます。吉野弘さんの詩です。詠むと言ったのは、詩は言葉に出してみるのが作法だからです。声に出してみると、言葉が目の前に浮遊するような気持になります。頭の中だけで読んでいると、言葉は浮遊しません。自分の声で感動できるのです。どれを選ぶか迷うほどなのですが、今の私と、そして若い人に宛てる詩です。

                「自分自身に」    吉野弘

他人を励ますことができても

自分を励ますことは難しい

だから・・・というべきか

しかし・・・というべきか

自分がまだひらく花だと

思える時はそう思うがいい

すこしの気恥ずかしさに耐え

すこし無理をしてでも

淡い賑やかさのなかに

自分を遊ばせておくがいい

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秋の空は高い、飯がうまい!

_edited秋の空というのは高いですね。そして雲の美しさも一年で一番です。こういうのを日本晴れと言うのかしら。

今村は芋の収穫の真っ盛りです。雨が多いので、その合間に掘り出していきます。雨のために土が柔らかくなって、芋にへばりついてくるかんじです。同じ収穫量でも湿った土の分、ずしりと重いのです。腰にきます。洗い上げて、計ってダンボールの出荷箱に詰めて、長かった芋の栽培も今年はお終いです。一部はケアリングという保管庫に入れて越年です。

芋に関しては、米と違って堀りたてより、年越しのやや水気が抜けたほうがおいしいと僕は思っています。甘味が凝縮するとでも言うのかしら。食べ方はなんて言ってもやっぱり焼き芋でしょう。うちではオーブンに入れて250°で30分焼きます。ゆっくり加熱しないと芋のでんぷん分解酵素アミラーゼが活発にしならないのだそうです。

昨夜は、秋の野菜味噌汁を作ってみました。サツマイモは皮をむき、一口大に切って、水にさらしておきます。さらさないと黒くなりますよ。具は秋の野菜オンパレード。にんじん、ごぼう、タマネギ、ねぎ、それとお豆腐にこんにゃく。これだけでおかずになっちゃいますね。昨夜はこれにサンマの塩焼きと新米でした。日本人に生れてよかったぁと、しみじみ秋の夜。

沖縄や南九州では、芋ご飯を作ります。さつまいもをサイコロ切りにしてさらし、出し汁、酒と塩を少々くわえて芋をと炊きあげます。食べる時にゴマをハラハラとかけて下さい。

栗が大量に採れたので、煮て、殻からスプーンでこそいでジャムにしました。大部分はプレーンですが、一瓶はラム酒、一瓶はココナツ酒をちょびっと入れてみました。蒸し器でしっかり抜気して食品庫に。

中国の猛毒インゲンのことにコメントしようと思ったのですが、あまりに続くのでややげんなりこっこ。皆さん、自分の国の風土から生れた食をたべましょうよ。外国からの農産品はまずいだけじゃなくて、その国の汚染やテロ(今回はたぶんテロ)まで持ち込んでしまうんですから。

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富山和子「川は生きている」を読む 第5回 Aさんへの手紙

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Aさん。
今度機会があってあなたの生れた国に行くことになりました。あなたの国にはVAC(Vuon・Ao・Chuong)と言って、「栽培」、「魚養殖」、「畜産」を通して循環させるやり方があるそうですね。素晴らしい方法です。ぜひ拝見したいと思います。
日本は今まで循環型農業-漁業-林業を大事にしてきた歴史がありました。
たとえば、このシリーズのどこかでふれるでしょうが、山を手入れして豊かにしていくと、その山から流れ出す川もまた豊かな滋養分が含まれるようになります。腐植物質やミネラル分、そして適度なチッソ分が、川の水として途中の田に注ぎ、人々の飲み水となり、そしてやがて海に注ぎます。
この滋養分に富んだ河川の水は最終的に海の植物プランクトンを豊穣にさせ、それを食べる「魚が湧く海」をつくるのです。
このような見事な流れ、生きものの鎖がズタズタになってきています。
林業があり、農業があり飲み水があり、沿海漁業があるというふうにバラバラにあるのではなく、「川」という文字どおり一本の流れで繋がっていたることを、現代の日本人は理解できなくなっているようです。
言い換えれば、人が生きるということ、その糧を得ることということが、実はその国の地形的成り立ちと不可分であり、その中でこそ農業や林業、そして沿海漁業が位置するのかを考えてみたいというのが今の「富山和子」シリーズです。
農業は、その置かれた地形に規定されます。万国普遍の農業などありえません。農業はすぐれてその地域の産物なのです。
あなたの国にも、私の国と同じようにその国、その地域の成り立ち、地形、生態資源、そして人の「志源」があるはずです。
あなたの国に行ったなら、私の関心はまずその国の地形と、人です。
それがわかれば、なぜそのような産業ができたのかわかります。あなたの国の山岳の標高、川の流れの速さ、治水のあり方。どのような林業があるのかも知りたい。
そして田んぼや畑の作られかた。そこからため池があっての養殖など。これらが絡まり合って初めて「有機」なのです
Img_0037_edited このように考えると「有機」とはその土地の文化そのものだと分かるでしょう。
Aさん、有機農業ということを化学農薬を使わないとか、化学肥料を使わないというふうに狭く考えてしまってはいけません。
えてしてそのような傾向に走ってしまいます。しかしそうではない、ほんとうの「有機」というのは技術一般でも、ましてや表示一般でもありません。その土地の成り立ち、人のあり方、そしてその中で産業のあり方を絡ませて実現していくことなのです。
そして志源とあえて付け加えたのは、いくらシステムがあっても、例えばHACCPやISO、JASがシステムとしてあったとしても、つまるところ志の源(みなもと)がなければ意味がないからです。
今の中国をご覧なさい。今中国の農産製品を買おうという勇気のある日本の消費者は限りなくありません。今ある商品も不良在庫になっているようです。今後も企画をするのがむずかしいでしょう。Img_0050_edited
なぜか?今の中国の食品産業には大きく志と知見が抜け落ちているからです。一見近代的なシステムがあるようでも、その芯になるものがありません。それがない人たちが、システムを構築しても持続できないでしょう。そのような志が欠落した人は、やがてそれに馴れるとそのシステムの裏をかくようになり、不正を考え始めるからです。そして、やがて破綻します。
有機農業は志です。狭く我のみを高しとするのではなく、地域の自然や人々、産業と繋がろうとする志を持つことです。
あなたの母国に行ける日を楽しみにしております。

■写真は秋茗荷の花園。さるすべりが咲く村の墓地と村の田んぼ。

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富山和子「川は生きている」を読む 第4回 これは川ではない、滝だ

富山さんはこの本を次のように語り始めました。 [引用開始]

むかし、ある外国人は日本の川を見て、驚いて言いました。

「これは川ではない、滝だ」と。Img_0022_edited_edited_edited_2

それほど日本は山が険しく、川は短くて急なのです。雨が降っても、水は洪水となって一気に海へ突っ走り、後はたちまち乾いてしまう暴れ川です。ヨーロッパのライン川やアフリカのナイル川のように、国から国へと悠々と流れていく外国の大河とはまるで性質が違うのです。[引用終了・平仮名を漢字にしてあります]

下のグラフをご覧下さい。各国の主要な河川の勾配が示されています。日本の安倍川は標高800mからわずか10㌔足らずで海に流れ込むのがわかります。たしかにこりゃ「滝」でありますな。

うちのカミさんがコスタリカくんだりまでラフティング(ゴムボートでの河下り)に行ってきましたが、帰国してテレビで日本の河下りを見ていて、「わざわざ、地球の裏側まで行くこたぁなかった」とぼやいていました。

カミさんの愚痴はともかく、日本の典型的な大河である信濃川をみてみましょうか。これも標高800m強から流れだし、約300㌔でストンと海にゴールです。欧州のロアール川は確かに標高はアルプスですから1200mと高いのですが、ゆるやかに落ちて河口まで1000㌔弱かけて下っていきます。東南アジアの最大の河川であるメコン川は、標高わずか100mから流れだし、実にえんえんと1000㌔有余をかけて河口に達しています。いかがでしょうか、日本の川が世界でもいかに特異な存在であることがおわかりいただけましたでしょうか。ま、言ってみれば急峻な山岳にへばりついていて、川が滝のように河口に流れ込むような国なのです、わが国は。

_edited_2

富山さんは著書「水と緑の国、日本」という著書の冒頭に、これを凝縮してこう書いています。 [引用開始]

およそ日本文化を理解するにあたって、予め知っておきたいことがある。

日本は地形急峻、川が短く、雨は梅雨と秋の台風時にまとまって降ること。[引用終了]

このような大量に降り注ぐ雨水はどのようになるのでしょうか?たぶんほおっておけば、急峻な山岳を鉄砲水のようにして下り、川の周りに水と土砂をバラまいて、数時間後にには河口に達してしまいます。まこと、ジェットコースターのような河なのです。

富山さんは、このそのままにしておけば暴れ馬のようなわが国の河川をどのようにして日本人が手なずけてきたかを語ります。それもハンパな手なずけ方ではなく、暴れている河を手なずけ、そして「味方」にしてしまったのです。

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富山和子「川は生きている」を読む 第3回 森と雨の国日本

  _edited_edited_2                                             皆さんは、わが国の国土 を外国人から聞かれたら、なんと答えますか?政治や経済、社会ではありませんよ、念のため。

世界で最先端の工業技術立国かな?コンクリートで覆われた国?あるいは、海岸線がやたらと長い海洋国家?そして温帯域で最大の島?

解答はいくつもあるでしょうし、育った地方でも答えは分散してしまうかもしれません。私など海岸に近い地域でしたので海洋国家と言われると、なるほどと頷いてしまいます。

色々な見方があるでしょうが、あんがい忘れられていることがひとつありましか。な~んだ?

富山さんは、それを美しく短い表現にしました。それがシリーズ2回の表題である「水と森林の国、それは稲の国」がそれです。この表現が秀抜なのは、単に「水の国」でもなく、「森の国」でもなく、それは「稲の国」だという流れを表現しているからです。これがわが国の自然生態系の仕組み、エコ・システムなのです。

いや、それにしてもいい言葉だなぁ。「水と森林の国」かぁ。まるでフィンランドか、スウェーデンみたいだなぁ。太古のグループ・サウンドを歌いたくなります。「♪森と泉に囲まれた、ブルブル、ブル~シャトウ~」。ああ、ほとんどの人は知らんよね、この歌。ブルーコメッツっていうんですが。ま、いいか。

Graph_shinrin_ritu2_2 バカを言ってないで先に進めましょう。そこで調べてみました。日本の森林率(*国土に対する森林の占める割合)は、いかに!

残念ながら僅差でフィンランドには負けました。しかし、スウェーデンには勝ち、銀メダル。すべての先進諸国の中では圧倒的に高ポイントです。森の国でハイジがスキップしているようなスイスなんて3割ですよ。「暗きバイエルンの森」のドイツは、これも3割ていど。イエローストーン公園があるアメリカも同じ。わが国は他の諸国の倍以上の森林率をゼイタクにも有していると考えていいでしょう。

ウエールズ人のCWニコルさんが日本に帰化した理由を知っていますか。それは日本が母国のケルトの森と酷似していたからだそうです。彼はケルト族の宗教と神道を同じく森林宗教と考えています。

では、この広大な森林に降り注ぐ雨の量を見てみましょう。富山さんのお作りになったグラフです。

_edited_2 グラフのいちばん上の▲がついた線がわが国です。日本は6月と9月をピークにして行くところ無敵の多雨の国だと分かりますね。こんなに雨が降る国って日本くらいじゃないのかな。

今回をまとめれば、世界でトップクラスの雨が降り、が故に森林率も高い。

ではこの雨がどのように川を流れて行くのか、次回に先生の本で学んでいきましょう。

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本ブログ大推薦!鯉淵学園で有機農業を学びませんか!

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鯉淵学園    社会人研修コース(作物栽培部門)

 有機農業や自然食品”などに関心がある人、“田舎暮らしで家庭菜園”を楽しみたい人、これから“本格的に農業をしたい”と考える人などを対象に、主に週末に研修する「働きながらでも勉強できるコース」です。 

■本ブログも自信をもって推薦できる就農校の鯉淵学園です。非常に貴重な有機農業コースをもっています。日本でもいくつか就農校はありますが、しっかりと有機農業を基礎から学べるのはこの鯉淵学園と日本農業実践学園くらいではないでしょうか。社会人でも学べるコースもあります。無手勝流もいいのですが、しっかりとした技術を学んで就農することが、失敗のない方法です。私も2年間研修しました。

ぜひ就農希望の方はその門を叩いて下さい!

  ご一緒に、これからの農業人生を考えませんか 

 研修コース 

<有機・週末1日コース>

  研修内容  有機野菜栽培(田舎暮らし諸技術を含む)

  研修時期  毎週土曜日 または日曜日の1日(希望選択)、実習中心の研修

応募資格  18歳以上の方(学生、社会人、職業の有無等を問わない)

授業時間  午前9時~午後4時半(参加開始時間は、受講者の都合で自由)

学期設定  半年単位(15回、開講期日指定)

       年4学期の開講(2期以上の継続も可)

       4~9月期、7~12月期、10~3月期、1~6月期

定  員  各学期 15名まで

    1期 6万円(申込時に納入)

     土曜日受講の場合、毎月2回土曜日に開講する市民向け「有機野菜栽培講座」(講義、    90分)を一緒に受講できる。<別項、別途教科書代 3,000円>   

<有機・週末2日コース>

研修内容  有機野菜栽培(田舎暮らし諸技術を含む)

研修時期  毎週土日の2日、実習中心の研修

応募資格  18歳以上の方(学生、社会人、職業の有無等を問わない)

授業時間  午前9時~午後4時半(参加開始時間は、受講者の都合で自由)

学期設定  半年単位(30回、開講期日指定)、年4学期の開講(2期継続可)

            4~9月期、7~12月期、10~3月期、1~6月期

定  員  各学期 15名まで

    1期 12万円(申込時に納入)

     講義は、毎月2回土曜日に開講する市民向け「有機野菜栽培講座」(講義、90分)    を一緒に受講する。<別項、別途教科書代 3,000円>

<水稲栽培、果樹栽培コース>

  研修時期  上記2コースに準じて、週1日コース、週2日コースを設けるが、                開講日は 月~金曜のうちの1日、または2日。

    研修内容  有機稲作/慣行稲作(減農薬)、果樹栽培(減農薬)

応募資格  18歳以上の方(社会人、職業の有無等を問わない)

授業時間  午前9時~午後4時半(参加開始時間は、受講者の都合で自由)

学期設定  半年単位(15回)、年4学期の開講(2期以上の継続も可)

       4~9月期、7~12月期、10~3月期、1~6月期

定  員  各学期 20名まで

    1期 6万円(週1日)、同12万円(週2日、申込時に納入)

        別途教科書代等の資料費を徴収する場合がある(2~3000円程度)

<市民向け 「有機野菜栽培講座」(講義)>

  講座内容  有機栽培技術の基礎、土づくりや病害虫回避の工夫等の講義

  研修時期  月2回、土曜日午後1時10分~2時40分

応募資格  18歳以上の方(学生、社会人、職業の有無等を問わない)

定  員  各学期 30名

学期設定  半年単位(10回)、年2学期の開講(カリキュラムは別途作成)

4月中旬~9月、10月中旬~3月

    1万5千円(半年)

                その他、教科書代 3,000円

 応募手続き 

  応募される方は、本学所定の 「受講申込書(下記)」 に必要事項を記入して、学期

  開始の前月の20日までに、本学研修部に提出してください。

  申込書提出先 〒319-0323 茨城県水戸市鯉淵町5965

             鯉淵学園農業栄養専門学校 研修部

                   (鯉淵学園農業栄養専門学校・社会人研修コース)

                    受 講 申 込 書

                                ( 申込者記入年月日:平成  年  月  日 )

  1.有機・週末1日コース     3.水稲栽培、果樹栽培コース

希望コース

        土曜   日曜 )

                   4.「有機野菜栽培講座」(講義)

  (○印)

2.有機・週末2日コース       (週末土曜、月2回)

                                   4月期、10月期の年2期

希望学期

   4月期    7月期     10月期    1月期

  (○印)

  (4~9月)   (7~12月)  (10~3月)   (1~6月)

(ふりがな)

 

   

  氏 名

 

(上半身無帽正面)

  申し込みの3ヶ月

昭和

  以内に撮影したもの

           年   月   日生

平成

                 (     歳)

  最終学歴

           立        学校         学科卒業

(〒       )         電 話(           )

 

                           携帯電話(           )

(〒       )         電 話(           )

緊急連絡先

                           携帯電話(           )

職業(○印)

 現職あり・無職

就農希望

  自営・法人就職・田舎暮し等

         ※ 職業についての質問欄は、回答記載については自由です。

  詳しいお問い合わせは、上記研修部または事務部まで、電話またはEメールでお問い

 合わせください。関連資料をお届けします。

       電話 029-259-2811  Eメール kyoumu@mail.koibuchi.ac.jp

          http://www.koibuchi.ac.jp (申込書類のダウンロード可)

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富山和子「川は生きている」を読む 第2回 水と森林の国、それは稲の国

01jpg_edited 外国から帰ってきて、真っ先に飛行機から見えるのが青々とした山々、そして急峻な山ふところにまで伸びている水田です。この圧倒的な緑の風景こそがわが日本です。

たとえばそうですね、バングラデシュの上空を通過したことがあります。緑は見えません。見えるのは大蛇のような褐色の大河が、ほんとうに蛇のように絡まりあい、合流し、また離れていく風景です。その周辺にはわずかに田んぼが見えますが、日本のようにどこまでも続く水田とは趣を異にしています。

タイ北部はどこまでも続く褐色の荒廃した土地。ロシアのアジア部では行けども行けどもツンドラと針葉樹。人の気配さえ見えません。アメリカのヒューストンから出れば、たちどころに砂漠です。所々に丸く灌漑された農場が点々とばらまかれています。

有機農業立国といわれるキューバにも使われていない土地が目立ちました。山ははげ山が目立ち、その懐はただの野原にすぎません。私たち日本人は、どうしてあの山に植林をしないのか分かりません。樹が育てば、土壌が出来、土壌が出来ればいい水が湧いてきます。いい水があれば米がとれるのです。キューバが米をベトナムから輸入する必要がなくなります。キューバの大変なところは、大規模国営プランテーションでオレンジやグレープフルーツ、砂糖を輸出して外貨を稼ぎながら、その反面、米が自給できていないことです。

キューバの有機農業政策は憲法にも謳われているほど徹底していて尊敬あたわざる所ですが、肝心な自然と農業とのつながりという核心部分が理解されていない気がしました。キューバを無条件で持ち上げる人は日本でも多いのですが、キューバに教えることも日本はやまほどあります。

それはさておき、山があって、森林があり、そしていい水が湧いて、米ができる。こんな私たち日本人には自明なことが、世界の多くの人にはまだ理解できていないようです。いいかえれば、これが日本人が世界に誇るべき独特の自然生態系モデルなのです。最近流行りの言い方で言えば日本型エコシステムです。

このように言うと、えっ、思われる方も多いと思います。森なんかそりゃあ杉なんて植えていても、前からあったもんでしょう?水や米なんか珍しくもないし・・・。さてそうでしょうか。ほんとうに手つかずの自然のままが日本の「自然」だったのでしょうか?そこから考えていきませんか。

では、次回は日本の国土と川がどんなに世界のフツーと異なっているのかを見ていきましょう。

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富山和子「川は生きている」を読む 第1回 農業者になってから分かった本

_edited_4 富山和子さんという、たぶん日本という風土がなければ生み出せなかった素晴らしい研究者をご存じでしょうか?

私は「米は生きている」という著作に出会ってから、富山さんの本をむさぼるように読みました。私の米シリーズは富山さんに教えられた多くのことを自分なりにかみ砕いて書いていったものです。今までばくぜんと「そこにある」としてしか感じていなかった「たんぼ」や、「川」、そして「森」、そして「道」すらもが靄を晴らすように鮮明に私の頭の中に見えてきました。

白状しますと、私は彼女の本を学生の時にも読んでいました。その時にはなるほどなるほどと思いながらも、まぁそんなもんか~というていどのかんじしか読後感に残らなかったのです。私が先生の本を実感をもって受けとめられてきたのは、実際に農業に関わってからです。ああ、ほんとうにそうなっているという新鮮な発見が、先生の本の中には詰め込まれていたのです。

さて、今回は富山和子さんの多くの著書の中から、代表作のひとつ「川は生きている」を読んでいきましょう。この本は1984年に講演録から書き起こされ、1996年には25刷もした本です。

先生は研究室でパソコンの前でじっとしている学者ではありませんでした。全国を歩き回り、川を踏査し、山に登り、日本の風土がどのようにしてあるのか、どのように作られてきたのか、誰が作ってきたのかを解きあかしていったのです。先生の手によって、日本の風土の精緻な自然メカニズムが明らかになってきました。

次回から、先生の本を羅針盤にして日本の自然のメカニズムをみていくことにしましょう。

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男の子のための料理教室

_edited ブログ仲間のゆっきんママさんのお子さんが料理を作りました。豚肉のキムチ豆腐炒めです。

かなりお題としては難しいのではないのでしょうか(笑)。豆腐だよ、豆腐を炒めよという母親からの課題。これができる人って、奥さんでもそうそういないぜ。

私など自慢ではないですが、小学校の年頃など出来たのはインスタントヤキソバだけです。フライパンに水入れて、沸かして、麵を入れてかき回してソースをパラパラ入れるだけだもんねぇ。これでも立派な男の子の料理でした。その後、あまりにソース味麵だけでは寂しいので、キャベツやソーセージをいれたりしました。

女性は誤解していると思いますが、料理って、案外男の子は好きなんですよ。プラモデル感覚で作る子もいます。特に科学実験が好きな子はハマります。だって料理って、材料を切る、揃える、そして仮にその後炒めて、後に煮るというのなんか、まさに科学実験の世界です。男の子は無条件に実験は大好きです。

本があれば、今度は教科書どおりの化学実験といった要領で大さじ1、小さじ3とやります。精密に計って、それだけで可愛いですね。男の子がサジを持って、額に汗をかいて懸命に計っているのですゾ。次に何度の熱で熱する、と指定しようもんなら、温度測定もしかねないかもしれない、あはは!笑っちゃぁ悪いが可笑しい。

こんなバカを経て、やがて男も自分の中で料理が男の必須条件だと分かります。ですから、男が料理をさせないとゼッタイにダメ男になります。料理はテーブルについて口をあければ、ママ(奥さん)が出してくれる人としてのハンバ者になります。

そして、歳をとると、そういう奴に限って未だに子供の味覚から出られないのですから困る。好きなのは焼き肉、カレー、ラーメン。味覚は単純。脂っこくて塩っ辛い味が好き。野菜は嫌い。

逆に、通ぶってウンチクを垂れる。うまいまずいを言い散らす。偏食を恥だと思わない。まったく、わが同性ながら最悪ですな。

なぜでしょうか?自分が食という名の自然と格闘したことがないから、なんでも言えるんです、男って存在は。ただし言うだけ。言うだけのグルメなど死んだほうがましです。言うだけだったらなんでも言える。


男は力仕事と料理が出来てナンボの者。そのように子供の頃からまじないをかけて下さい。

だってそうでしょう。一番おいしい時期に、どのようにして食べるのかを女性だけに独占させてたまりますか!

■本稿はゆっきんママさんの素敵なブログに対してのコメントに加筆いたしました。ありがとうございます。

「お野菜を食べよん!」http://oyasai-tabeyon.no-blog.jp/

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慶祝 、金融帝国の瓦解!あたりまえの世界が戻って来るのかもしれない

Apx200810070001 別な記事を準備していましたが、昨日の東京証券市場など、軒並みの暴落だそうで、米金融安定化法がまったく効かないことが分かってしまいました。実は、私の親戚で株に全財産を入れているというおっとろしい(じゃりんこチエ風)人がおりまして、まったく命知らずの蛮勇であります。全財産がキッチリ半分になったそうです。なんともかともです。

今後の展開は私などには見当にもつきません。ただひとつこう思いました。

まともな時代が来る予兆だと思おう。「金利が金利を生む」という倒錯した世界が終わる胎動なのだと。金が金を産み、金融工学という魔法の杖からは、巨利が生れました。マネーゲームで穀物を買い占め、石油に投機し、世界中の農民漁民や庶民に塗炭の苦しみを味合わせた奴らが、今度は逆に悲鳴を上げてのたうち回っています。

ウォール街では投資銀行の上位5社が破綻するか、救済されて細切れになり、その影響はEUにまで連鎖していっています。遠からずロンドンで、中国で、香港で同様な現象が見られることでしょう。かつて80~90年代にかけてイヤというほど見せられてきた光景の全世界バージョンなのかもしれません。あるいは、世界恐慌の淵で留まるかもしれないし、滑り落ちるのかも知れません。

いずれにせよ、時代は替わりつつあります。金融は人体でいえば血流に例えられるそうです。健全な金融は、必要な投資活動や企業の運営に必須です。さすがの農本アナーキストの私もそこまでは否定をしません。いわば「社会の黒子」的な役割をもっているのです。

しかし、それが倫理の枠を大きく逸脱し、己のマネーゲームに狂奔し、あろうことか実体の経済、つまり農業や製造業を支配し、リーマンブラザースのトップが79億ドル(102円のレートで8058億円!おいおい、もう一声で年収1兆円だよ)もの年収を稼いでしまうという腐敗した世界が、私たちの眼前でガラガラと崩れていっているのです。

グローバル経済の名の元に、食糧をマネーゲームの対象とし、原発ビジネスや排出権ビジネスまでをも投機対象としてきた金融帝国に大きな亀裂が走っています。京都議定書の背後には排出権ビジネスで巨利を貪ることを考えたリーマンがいたと言われています。排出権ビジネスや原発とワンセットになっている京都議定書は崩壊寸前となりました。日本農民の敵であるWTOにも衝撃が走ったはずです。

世界の景気は確実に景気後退に向かうでしょう。その幅や時期はまったく分かりません。しかし、石油市場は既に敏感に反映して急落し続けています。現に、ニューヨーク原油先物相場は10月3日、1バレル=93.88ドルと、7月11日につけた最高値147ドルの3分の2以下の水準にまで下落しました。穀物相場も同様です。次の四半期(穀物相場は四半期単位)は確実にかなりの低落が予想されます。危機の淵に片足を突っ込んでいた農漁業、製造業は一息つけるでしょう。

景気後退による消費の低迷は必ず来るでしょう。しかし、今のような乾いたタオルを更に絞るようにして耐えている原料高経営よりははるかにマシです。いいもの作れば売れる。正直に表示する。常に自分たちの顔を見せて売っていく。そして嘘はつかない。汗したことが報われる。こんなあたりまえのことが、あたりまえに「戻る」時期が来たのだと思います。

もし彼らウォール街の金融資本が血流というのなら、私たち農民漁民、製造業者のモノ作りの者たちは世界の心臓なのですから。

これを慶祝と呼ばずして、なにを慶祝と言いますか。世界はゆっくりと変わりつつあります。

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拡がれ、緑提灯!

_edited 大きなシリーズがひとつ終わるとホゲてしまいます。なんか山登りで縦走といって嶺から嶺を歩いた後のような感じとでもいいますか。次になにを書こうか空白が生まれちゃうんですよね。

そんな時に、地元の店で緑提灯の店に入りました。地元食材を使っていますというのが、緑色の提灯の横腹に星印で記されているのです。たとえば、わが店は★★★だから5分の3は地元食材だぞというふうにですね。これはややっこしい認証システムではなく、店主の心意気を示すものです。カッコイイじゃないですか。安い中国産の冷凍食材で固めたような全国チェーンには出来ないマネですもんね。

今私の住む地域で行方(ナメカタ)農業フロンティア構想という取り組みがなされています。これは市の行政がどうやって地場農業を強くしていくのかというプロジェクトです。私もこの委員に委嘱されています。やりがいのある仕事です。

このような緑提灯は、どんどん拡がって農産物直売所にもぶらり、保育園にもぶらり、旅館にもぶらり。

これは単に郷土愛だけではなくて、地場の食材が鮮度も良くて、しかも作った人の顔や地域が分かるからです。私はここでは農薬がどうしたのというレベルの話をしたくありません。大切なことは、地域の食材を、地域で食べていくというつながりができつつあることなのです。

安全ということは、まず自分の地域の食材を食べる中から始まると思います。今まで大消費地の市場動向しかみて居なかった農家や団体が、自分の地域での農産物消費に真剣に取り組むよくきっかけになりそうです。

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田んぼの旅 最終話 田が豊かになることで、お百姓も生き物も豊かになる

_edited 生き物がいない田んぼ

そういえば、小さな魚、例えばメダカなんかは珍しくなったな、とお百姓は思いました。

いちばんの原因は、言うまでもなく、世界一の頻度と濃度で散布される殺虫剤などの農薬です。この殺虫剤をかけると、今までうるさいほど飛来してきたゴイサギやマガモなどの野鳥は、てきめんに近寄らなくなります。殺虫剤で死んだメダカやヤゴ、クモ、バッタなどの死骸をうっかり食べると自分も死ぬことを体験から知っているからです。

かつて佐渡島ではトキは別に珍しい野鳥でもてんでもなかったようです。しかし、昭和30~40年代のDDTの大量散布で一挙に全滅に追い込まれました。多かれ少なかれ全国の村でも同じことが起きていました。農家は腰の曲がるような炎天下の重労働から解放されたかわりに、「生き物がなにひとつ住まない田んぼ」を手に入れたのです。そして肝臓や腎臓を壊す日本農夫病が頻発しました。今は農民自体がトキみたいに珍しくなっちまった、とはこのお百姓のひとりごとです。

 次の理由はアレだな、とお百姓は用水路と田んぼの落差の部分を見ました。今の田んぼの大部分は基盤整備されています。これは農水省の肝入りで、一枚一枚チョコマカとあった田んぼを機械が入るように大型化し、ため池プールとポンプハウスを結ぶコンクリートの用水路網(あるいはパイプライン)を作ったことです。確かに便利にはなったのですが、いいことばかりではなかった。

用水と田んぼの魔の落差

 そのひとつが田に水を入れる用水路と田んぼの間に落差がついてしまい、用水路から田んぼにメダカなどの小さな魚が入ることができなくなったことです。その用水路自体も護岸がされて野鳥や昆虫などにとっては巣をつくったり卵を産みつけたりしにくいものに変わってしまいました。また、水の流れがない田んぼで産卵して、川で成長しようとおもっても、またこのギャップが禍して川に出ていけなくなるケースもでました。つまり、今まで自然に行われてきた河川と田んぼの循環が断ち切られたことで、生き物の産卵→孵化→幼虫→羽化の流れが寸断されてしまうか、捕食する生き物がなくなることで生育条件がなくなってしまったのです。

田が豊かになることで、お百姓も生き物も豊かになる

 それにしてもオレの田んぼの基盤整備はひどかったなぁ、とお百姓は思い出して今さらのように腹がたってきました。だって、そうだろ、暗渠(*あんきょ/排水をよくする目的で布設される地下の排水路)に川のジャリまじりの砂を大量に入れたんだぞ。おかげでと床土の下20㌢はジャリになてしまった。あの時にはほんとうに怒って、土地改良区(*基盤整備の単位)にどなりこんで「オレの田んぼを元に戻せ」と叫んだもんだった。だって、砂地に作った米がうまいわけがないもんな。

 そうです、よく勘違いされていますが、実は田んぼに生きる生き物の利害と農民の利害はそんなに差はないのです。おいしい米も生き物も豊穣な田んぼ、それこそが「いい田んぼ」だとお百姓はひとりごちました。 

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田んぼの旅 第5回 なぜ赤とんぼはいなくなった?

  _edited_2                                                                                              

なぜ、アキアカネはいなくなったのだろう?

今は村内でもこのお百姓の田んぼと数カ所にしかアキアカネ(赤とんぼ)は出てきません。きっとコンバインのせいかもしれないとお百姓は思いました。

この10年ほど、村ではコンバインでの収穫があたりまえになりました。コンバインがバリカンで刈るように稲穂の波を押し倒し、食い取り、あっという間に稲の茎をバラバラに切り刻んでいきます。それまでバインダー(*結束機)で稲束にしていたのですが、コンバインを使うと稲刈りがほんのわずかの手間で終了してしまうのが魅力です。

 藁の神秘

バラバラにされてしまった稲藁は、昔のように藁細工を作ることもできません。そういえば、ジッチャンはオレが子供の頃には藁で正月の飾りを作っていたよな、とお百姓は古い記憶を引っ張り出しました。お百姓が大きくなった時には完全に消えていましたが、野菜の株間にはこの藁をたんねんに敷いていったものです。

それでも、自家用の畑はジッチャンが作っていたので、敷き藁を使っていました。ある時、その敷き藁をはがすと、藁に無数の白いニョロニョロした糸がたくさん着いてきました。気持ちわりぃと当時子供のお百姓は、エンガチョとばかりに敷藁をふんづけたのですが、考えてみればあれは畑を豊かにしてくれる枯草菌(納豆菌の一種)だったのです。

 労働力の軽減を得て、そして失ったもの

コンバインで収穫するようになって、お百姓は腰が折曲がるような稲刈りの重労働から解放されました。それはいいことです。今でも、沖縄の村では稲刈りで曲がってしまった腰を伸ばすために、稲刈り後の休みを皆でとることを「コシユックイ」(腰ゆっくり)と言うほどです。だからコンバイン自体が悪いわけではないのです。第一、コンバインまで否定してしまっては農業は成り立ちませんもの。

しかし、稲藁を使ってたい肥を作ったり、納豆菌の出る敷藁(しきわら・株間に敷く被覆用の藁のこと)にしたり、藁細工を作ったりもできなくなりました。日本の農民文化がひとつ消えました。この田んぼに捨てられた藁は、春先には雑草(昭和天皇がおっしゃるとおり「雑草」という名前の野草はありませんが)の種を燃やすということで、火が着けられます。

 さっき言ったように、アキアカネは稲刈り後の田んぼに卵を産みつけます。これは田んぼを中心に生きているほかの生き物も同様です。ところが、この野焼きならぬ田焼きで産みつけられた卵は大部分燃えて死んでしまうわけです。

お百姓はコンバインは使いますが、稲刈りが終わった冬になると田んぼに水を張って田んぼ全体を一回発酵させるようにしています。そうすると、サヤミドロのような藻類がまず生まれ、ついでプランクトンが発生し、それがヤゴやちいさな魚の餌になることがわかってきました。

まるで曼陀羅絵だなと、お百姓は思いました。

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