風土と畜産について考えてみた 第1回 紅葉と虫の音
昨日はすごい雨でしたね。ちょうど私たちが表で作業をしている時が、豪雨で、もう横殴りの雨。こんな時は、わが生業も因果だなぁと思ってしまいます。しかも表の作業を終えたあたりで雨が上がったつうのは、なんてイジが悪いんだ!
もう、わが里は紅葉のまっさかりです。夜ともなるとまさに満天の星の下に何種類とも知れない虫の声です。今、「虫の声」と言って、ふと和辻哲郎さんの「風土」(岩波文庫)という本を思い出しました。
和辻さんは欧州に行った時に、欧州の夜に「虫の声」が聞こえないことに気がつきました。そして欧州人が、私たち日本人がこよなく愛する(扇風機にまで虫の音モードをつけてしまうくらい!)虫の音を単にノイズとしてしかとらえていないことに驚かされたことを書いていらっしゃいます。
紅葉も同じことで、欧米人には、紅葉を愛でる感性が希薄です。ましてや日本人のように、紅葉の季節ともなれば、大挙して紅葉の名所にもみじ狩りに行くなどという習慣は、彼らの想像を絶するのかもしれません。私たち日本人は、この列島の褶曲の多い、霞たなびく山がちの島国の中で特異に発達した感性をもった民族なようです。
そう言えば面白いことに、日本人は外国に移民してしまうと、日本で生まれ育った1世の世代は頑として日本人そのままですが、2世、3世ともなると急速に現地化が進みます。現地の人に溶け込んでいってしまうのです。これは同じ中国や韓国系の移民たちと比べると分かるそうです。
一方、日本に移住した韓国系のひとたちなど3世ともなると、民族意識はあるもののどこから見ても日本人です。どうやら日本人、あるいは日本に住む人達は、この日本という風土に居る時において「日本人らしさ」を持っているのかもしれません。
和辻さんは、日本の「風土」をこのように美しく説明しています。
「気候もまた単独に体験せられるのではない。それはある土地の地味、地形、風景などとの連関においてのみ体験せられる。寒風は山おろしであり、からっ風である。浜風は花を散らす風であり、あるいは並をなぜる風である。夏の暑さもまた旺盛な緑を萎えさせる暑さであり、子供を海に雀躍せしめる暑さである」
「我々は花を散らす風において歓び、あるいは痛むるところの自身を見いだすごとく、ひでりの頃に樹木を直射する日光において心を萎えさせる我々自身を了解する。すなわち我々は風土において我々自身を、間柄としての我々自身を見いだすのである」
私たちが愛する日本の風土と、すぐれて風土の産物である農業の関わりを、新たなシリーズとして「日本風土と農業」として始めます。今回のシリーズでは特に私の専門である日本畜産に焦点をあてます。日本畜産の特異性と問題点、それがなぜ形成されたのか、できれば風土との関わりの視点から見れたらなと考えております。
解決まで踏み込めないかもしれませんがいくつかのトライ&エラーを紹介していければと思っています。
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