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2008年12月10日 (水)

日本畜産・この矛盾に満ちた存在 第1回 日本の畜産は「農業」なのか?

_edited_4 前回の「風土と畜産」の続きとして、よりわが国の畜産に踏み込んだ新シリーズを開始します。

題してやや自虐的で恐縮ですが、「日本畜産・この矛盾に満ちたもの」です。

私は畜産家、それも養鶏を専門にしています。畑や田んぼはありますし、かつては出荷もしていましたが、まぁ自給ていどの規模にすぎず、片手間の域を出ません。現金収入は平飼養鶏を柱にしています。それは今でこそ2町歩(2ヘクタール)ちかい畑をもっていますが、それもここの何年かの話で、長年わずか5反歩(50㌃・約1500坪)、それも実質的にはその中の母屋や庭、果樹園などの部分を抜かすと、たかだか3反歩という水飲み百姓の5反歩にも満たない超ミニサイズの農家だったからです。3反歩の畑では天地が逆転しても食べられるはずもありません。

さて、畜産をやって25年にもなりますが、私は日本畜産という分野は果たして「農業」なのか、それとも違うのか自他ともによくわからない位置にいると思いつづけてきました。いちおうJAや農業委員会、行政、農林公庫などは堂々と農業の範疇に入れてくれています。ありがたや。しかし、先鋭な消費運動家や有機農業の論者の中には、「畜産などは輸入加工業にすぎぬ」と一刀両断にする人も多々います。このブログ゙でもそのような内容のコメント投稿を頂戴しました。

私もある有機農業関係の集まりで日本農業についての意見を言った時に、ある畑農家から露骨に「でも、ハマダさんはヨウケーでしたよね」と妙に小馬鹿にしたような表情を受けた時もありました。かの米沢郷牧場の故伊藤幸吉さんという農業界の巨人ですら「今まで畜産をやっているだけで、なんども悔しい思いをしてきた」と親しい人に述懐しているのを人伝てに聞いた時に、今まで遠くにいたこの巨人が奇妙に身近に感じたことを思い出します。

Photo あえて誤解を受けることを覚悟で言えば、日本の畜産家のもつ非修理主流は差別意識はそうとうに根深いものがあります。時にそれは、耕種農家(畑専業農家)に対する対抗心として出たり、人一倍の権力志向や成功への欲求へつながる場合もあります。

ではなぜ、日本の畜産家が正門から堂々と「我らはこの国の農業の一部である」というアイデンティティを持ちにくいのでしょうか?たぶんヨーロッパや米国の同業者にはそんな悩みは皆無なはずです。むしろ欧米の農業の正統派、メーンストリームは、俺らだくらいの意識すらあるはずです。前回のシリーズをお読みになっていただいた皆さんにはおおよそその理由の見当はつくかと思います。

彼ら欧米の畜産家には自らの飼料の後背地がしっかりと存在します。ヨーロッパにおいては、みずからの圃場の大部分は飼料用の穀物や牧草だったりするのも珍しくはありません。米国は飼料用穀物の自給率300%という途方もない規模の穀物生産量を抱えて、まさに売るほどあるのは存じなとおりです。ただし、怪しからぬことには連邦政府の輸出補助金という竹馬を履いてですが。

つまり、欧米では国内の飼料用穀物生産があって、はじめて畜産があるという順接の関係なのです。ところがわが国では、飼料用穀物生産がほぼゼロなのに畜産があるという逆接の関係があります。これはハッキリと言ってしまえば、ありえないことです。そもそも農業ということ自体が、その国の風土と土地の中から生れてきているとすればこそ、その国の食の形は、いいにつけ悪いにつけ、その国の風土の形によって決定づけられているはずでした。

ところが、世界の中でたぶんわが国のみが、ある時代から自国の風土と食との関係を見失っていきました。それが当初は小さなものであったものが、半世紀の間に巨大ないわば食の背骨の歪みとなって現れてきているのが現代です。

そして痛苦をこめて言うのですが、その先駆けを引き受けたのが、不幸にもわが畜産でした。畜産の「毒」が全身に回るようにして日本農業と食の関係は少しずつおかしくなっていきました。そのことも含めて畜産の特殊性について次回以降ふれていきましょう。    

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コメント

僕を含め、ベジタリアンとして生活している人は畜産業を必要としていません。
煙草栽培とか、酒造りとか、そういった類と同じ、「嗜好品」に関る産業です。
飼料を事実上100%海外に依存している以上、国民を飢えから守るといった意味もありません。
「実は自分達はサービス業に従事しているんだ」といった認識が、少し欲しいですね。

勉強になる内容ですが、自国の風土(ふうど)と食(フード)という駄洒落が頭に浮かんでしまう、馬鹿馬鹿しい自分の頭に軽く絶望しましたw

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