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2008年12月 8日 (月)

風土と畜産について考えてみた 番外篇 ムシュ・フランクとムシュ・アマダ

_edited                                                                                                                                                                            ムッシュ・ フランクの思い出をもう少し。たしかピエール・フランクっていったとおもいました。

とても温厚で、彼女が日本人の暗黒舞踏で有名な(?)白虎社の舞踏家という関係で日本に来たようです。

暗黒舞踏って知ってますか?前衛舞踏でならした、全身白塗りの裸身で真っ暗な舞台で踊るという、お好きな方にはたまらないものです。フランクさんが居た時に、入植仲間と近在のお百姓の前で一度踊ってくれたことがありましたが、なかなかスゴイ、というかコワイ。彼女は暗黒舞踏は、「舞踏界の有機農業だ」とおっしゃっていましたが、私にはよーわからんち。近在の農家さんは、どちらかというと女子プロレスを見るようなかんじでした。

それはさておき、ムシュ・フランク、いやピエールはファーストネームで呼ばないと怒る。ちなみに私のHAMADAのH音は、フランス語では発音されずにAMADA・アマダとなります。ムシュ・アマダが私のフランス名となります。

フランス人がフランス語以外はまったくダメだというのを初めて知りました。英語なんてまったくわかりませ~ん。日本人も英語ができないからと下を向く必要なんかありませんよ。だから会話はお互いにフランス語と日本語と、あとは絵をかく。これで通じるんだからたいしたもんだ。

_edited_2 彼は実に温厚で、そのくせなんにでも好奇心を燃やすという人でした。たまたま神社の巫女舞があった時には、前衛オバさんといっしょにかぶりつきで鑑賞していましたっけね。ま、だからフランスの田舎のお百姓でありながら、日本人の前衛舞踏家を友達にしているんでしょうが。どんななれそめなのかは聞きそびれましたが。

彼が私たちの農場生活に関心を持ってくれたのは、やはり当時私たちが建設途中で鶏や山羊を飼いながら、井戸を掘ったり、電気を引いたり、トイレをつくったりとよろず生活作りの真っ最中だったからでしょう。彼は気軽に電動ノコでブンブンと材を切って手伝ってくれました。

彼の父親がアビニヨンの田舎にベトナムから帰ってきて入植し、彼も子供の頃から家畜小屋や果樹園を作る手伝いをしてきたそうです。だから手慣れたもの。ホイホイと鼻唄まじりで小屋が組上がっていきます。

フランス人のコロン(入植者)は、初めから3代、100年に渡って構想をするんだそうです。まず初代目は、ともかく寝る場所と最低限のいきるための畑を作るわけですが、その時にすごいなと思ったのは、初めはハンチクなものでいいそうです。あまり中途半端にいいものを作ると後から困るんだそうです。

なぜってハンチクな家を作ると、後で始末に困るということらしいのです。初めはムシュ・アマダの当時の納屋の二階暮らしのようなものから始めて、母家はしっかりとあーでもない、こーでもないと練りまくる。そしてその中央部分のみを作るのだとか。しかし、構想図には後のウイング(中央部分から左右に伸びる両翼棟)までかき込まれていて、これを作るのが2代目、3代目の一家をあげた聖なる仕事なんだそうな。

また、初代は経済基盤をしっかりと作るのも大切な仕事です。2代目はその経済基盤を充実させて、そしてかたわら母屋の片翼棟を作るわけです。そして庭などもにも手を入れる。しかし肝要のは、完成は考えていないことです。次代が手を入れることができなくなるようなことはしないのです。

日本でも3代がひと単位といいますが、まったく同じ発想はフランス百姓にもあったのには驚きました。同じ「農業」という言葉ではくくれないと前回に書きましたが、ちょっと訂正。西も東も百姓はどこか似ています。それは時間が味方だということです。それも百年単位の。

ムシュ・フランクはニコニコとわらいながら分厚い手を差し伸べて握手を求め、私がプレゼントしたゴボウの種の缶を大事そうにバックに入れて帰っていきました。ごぼうは、私の農場で彼の大好物になったフランスにない野菜だそうです。

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