必要とされる有機農業・伸びない有機農業 その1 「有機農業」は辺境だった
有機農業推進法と関わって、中途で身体を壊してしまいました。その途上の中で考えたことと、今どのように感じているのかをお話できればと思います。
実に漬け物石か、カミさんの尻のように重いテーマですが、やはりやらずばなるまい。ベシっ(♪自分の頰を叩いて気合を入れる音)
昨年のちょうど1年前になりますか、茨城県有機農業推進フォーラムの設立を8カ月かけて行ない、イヤイヤですが代表とやらになって創設大会を準備した時に、たぶん創立集会に集まる物好きは20人くらいだろうなと思っていたものでした。
ところが案に相違して想定していた10倍集まってしまいました。これには集めた方がたまげました。実は県下の有機農業者は横のつながりをもっていなかったんです(苦笑)。かろうじてもっていたのは有機農研茨城支部の皆さんだけで、他にはなにもなかったのが現状でした。
有機農業というのは、今でこそ行政も振り向くようになりましたが、今までカンペキに無視されてきた農業分野だったのです。農水省は「安全・安心」そして「環境に優しい農業」と声高に叫びますが、その中で有機農業に言及した部分を探すのはサハラ砂漠で虫ピンを探すくらいに難しかったのです。
つまり、農水省においてすら、「環境保全」へと舵を切ったと評価されている農業基本法の改訂に際しても、頭にあったのはせいぜいがところ「環境保全型農業」までで、有機農業といういわば極北に対しては念頭になかったのです。環境保全のもっとも透徹した姿であるはずの有機農業に対しては、やはり異端としての対応でしかなかったのです。
このような沈滞した空気に変化がでたのは、やはり2005年に国会が全員一致(!)で制定した有機農業推進法がエポックメーキングとなりました。これも日本国内からの内部的な盛り上がりによってではなく、献身的なひとりの推進者によってでした。フィンランドからの希人(まれびと)ツルネン・マルティさんです。氏なくしては推進法はなかっでしょう。
そしてこのことは非常に象徴的だったのです。国会の全員一致は、わが日本社会において、実は「誰も何もしない」こと、つまり総論賛成、各論ゼロだったのです。「誰しも反対できない」理想であるが故に賛成に挙手するが、現実化に対しては理想でしかないために「誰も何もしない」というエアポケットにこの有機農業推進法はポッカリと収まってしまったのです。
いや、この言い方は必ずしも正確ではありません。意図的に腹になにかあって「何もしない」のではなく、「何をしたらいいのか分からない」のが現実だったのです。
まずは、驚くべきことにはそもそも支援する対象である「有機農業」がなんであるのか分からないのです、誰にも。
実は、誰もが納得出来るような統一された見解は有機農業の内部にありませんでした。これは行政の無知とは別次元で、極めて深刻な問題でした。
このことについて語ろうとするとなんとも言えない重苦しさがあります。たとえば仮に、有機農業者のある者はトマト栽培に関して、「雨よけはビニールという石油由来の資材を使っていて納得できない」というとしますね。
するとある者はこう言います。「なるほどそうだが、ビニールでの雨よけまでは認めるべきだ。でないと乾燥した土が好きなトマトは作れない。ただし、その遮蔽は天だけで、側面は虫が通えるように完全に開けるべきである」
と、別のある者のはびっくりして、「おいおい、ハウスの側面も閉めないと害虫が侵入してしまうぜ」
これを聞いて最初のふたりは、「天敵関係もないような栽培条件は、有機農業ではない!それは大規模に作ろうとしているからそうなるので、その栽培姿勢そのものが間違っている!」そしてたぶんその後に、細かい栽培方法での議論が続くことでしょう。
三番めの有機農業者は口をつぐみ、しかし内心こう思います。「ならば、現実の都市住民に誰が苦労して有機農産物を届けているのか。あなたたちは少数の理念が高い人だけを相手にしてきた。それもある。それも否定しない。素晴らしい実践だ。しかし、それで有機農業はどうなったのか?いつまでも辺境、極端な農法。村に帰れば、誰も鼻で笑って取り合わない。もっと村の中で、誰でもやれる有機農業をつくらねばダメなんじゃないか!」
これらの意見は3ツともすべて正しく,、すべて誤っているとも言えます。ただ立場が違うだけです。そしてそれが決定的に大事だというだけです。
日本で自覚的に有機農業が誕生したのは、たぶん1970年代の中期だったと思われます。有機農業はそれ以来ほぼ40年弱、言い換えれば、その時に有機農業に飛び込んだ青年の髪を白くさせるような長きに渡って「辺境」だったのです。
かつての私もそうでした。この辺境に飛び込んだのが32歳、今は56です。この春には57になる。思えば、私の人生の大部分は、この有機農業とともにありました。そしてそれは「自然の一部としての農業をやっていこう」という切ないようなタンポポの種子が飛び、各々の土地で根を張り、そして発展していきました。
そして40年弱。有機農業の内部も、その外部も大きく変化していきました。そのことについてお話を続けます。
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