さじ加減という鶏との会話
里は春満開まであと少し。小高い丘に登ると正面には、円通寺の大きな伽藍の屋根を望み、小さな国道の脇には消防団の器材倉庫が時折走る車埃を浴びています。
この器材倉庫の脇の坂道をたどると村人の篤志で作られた小さな農村公園があって、私たちも収穫祭で使わせていただいたことがあります。面白いのは、この公園ですが、片隅には東屋の屋根をかけた土俵があることです。
手前の梅はまだ三分咲き。満開まであと2週間弱といったところでしょうか。清楚な梅が終わると村はむせ返るような春の陽光の中、桜の薄紅の海に没していきます。
ところで、「さじ加減」という言葉がありますね。いかにも日本人の感性そのもののような一見ファジーな言葉ですが、実は私たち鳥飼にとってファジーでもなんでもありません。厳然とした計量に基づく、的確な作業を意味します。
毎日、私たちは飽きずに(まぁ、飽きられでもしたらトリさんも迷惑するでしょうが)、餌をやっています。私はほとんど無意識に行っている作業ですが、研修生に教えてみると同時に色々なことをしていることに改めて気がつきます。
まず、私は鶏舎内は、原則トリさんの自治区だと思っています。鶏という生物種は個体で生きることを本来しません。個体群という群で生きることが本能です。ですから、写真のような群で生きている時に、もっとも安定した生活を送ることができます。ケージ養鶏は、一羽一羽を檻(ケージ)に入れて生産効率を高めようとしますが、これが鶏の本来の生きかたとは真逆なものなのです。だからストレスが高まり、病気になります。
人間は管理者ですが、この空間の中では異物でしかありません。大きな顔をすることなどとんでもない。静かに、静か~に群の秩序を乱さずに。ですから、私が舎内に入る時には、この個体群を乱さないようにほぼ決められた動線上を静かに動いています。突如、奇矯に飛んだりなどは厳禁です。
また、よく素人が言いたがる「チッ、チッ」とか言うような余計な声は出しません。鶏はペットではないのです。その替わり、「見る」こと、観察することを無意識にしています。
食べにこない鶏はどこに何羽いるのか、いるとしたらどのような状態なのか、もう何日も食べられないのか、いじめられているのか、単に元気がなくなっているのか、あるいは、病気ではないのか・・・。病気にかかっているとしたらなんなのか、空気感染系か、消化器系か、肛門付近に下痢の跡がないか、顔色はどうか・・・これを心のメモ帳に書き込んでいきます。新人時代はノートに毎日記入したものです。
この餌やり作業は、あたかも人と鶏の朝の会話のようなものです。「おはよう、調子はどうだい?」、「おー元気だよ、腹が減ったよ、早くおくれよ」、あるいは、「調子が悪くってたべられやしない、あそこを改善しておくれ」といったような。
餌の量は正確に計ります。よく素人さんにやらせると、すりきりでやらず山盛りにしたり、逆に8分目で一杯分としたりします。やる容器がたんなるブリキのバケツですから甘くみるのかもしれません。とんでもない間違いです。一杯を正確にすりきりで計れないような人には、鶏とつきあう資格はありません。すり切り、つまり基準量に正確で初めて「さじ加減」が分かるのですから。
ここで「さじ加減」を理解するか、わからないままルーチンで作業を流してしまうのかで、作業者の資質がでてしまうでしょう。鳥飼になれるか、単なる農業労働者のまま終わるのかという境目です。ただの数キロの餌の差が、です。
何か悪い問題が発生している個体群では、必ず餌を食べる量に変化が生じます。てきめんに減っていくのです。逆に、成長と産卵開始を同時並行しているような若い雌の群では、毎日のように食べる量が増えていく場合があります。老鶏群は老鶏なりに、若い鶏はそれなりにケアをしてあげねばなりません。それの基本となる作業が、この餌やりなのです。
私の師匠である中島正先生は「餌やり一生。死ぬ前には鶏に餌をやって死ぬ」と教えてくれました。このわずかの差を「読む」、これがさじ加減なのです。
農業、特に畜産という生きもの相手の職種に向かない人は、何も見ていません。生きものを見る意志がないために、簡単にルーチン作業に馴れっこになり、毎日餌を余らせたり、逆に足らなかったりします。鶏が調子が悪かろうと、いじめられていようと眼に止まりません。そのような人に飼われてしまった鶏は気の毒です。その人間もやっていて面白くはないでしょう。
などとえらそうに言っている今でも、毎日完全な餌やりを決められたことなどないのですから嫌になります。餌やりとは、しょせん異種でしかない人間と鶏との間の数少ない会話であり、それが通じた時には幸福な気分になれます。この幸福な気分が、鳥飼の矜持なのでしょうか。「死ぬ前に鶏に餌をやって死ぬ」という私の恩師の境地には未だ遠い私です。
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