20世紀のロビンソンクルーソーたちの話
野菜のうまさについて考えています。私はグルマン(大食い)ではありますが、決してグルメではありません(←誰もそんなこと思ってないって)。
むしろアジアの屋台とか、怪しげな市場の裏の食堂などで、店のオババといいかげんな現地語でやりあいながら現地飯を食べるのが人生の至福だと思っている人です。おかげで、純正メイドインジャパンの胃袋が反乱を起こして、なんど腹を壊したことか。
そんな私ですから、日本に帰ってくるとまっさきに泣きながら日本食を食べます。お~、なんて美味いんだ、米がピカピカじゃないか、茶色の米はもう当分いいな、とか情けないことを言いながらワシワシと和食を食べます。これまた至福。日本食のうまさを確認にしに、外国に行っているようなものです。
それはさておき、野菜、米、醬油、味噌、そして魚などの基本の味だけは、けちらないようにしようと思ってきました。なぜなら、それはなににも替え難いお箸の国の食の伝統だからです。
米と野菜、魚、味噌、醬油の味は、日本人が日本人でありつづけるためのアイデンティティのようなものです。これらがあれば、私たちは和食の世界を語ることができます。それは時間軸を縦に流れる精神の背骨のようなもの、あるいは、どんなに世界の果てを流浪しようとも、骨に染みついたいつか帰るべき場所のようなものです。
そのようなことを考えていたら、こんな話を思い出しました。 戦争中に太平洋の孤島の戦場から奇跡の生還を果たしたあるご老人の話です。
ご老人のいた部隊は輸送船が沈んで、命からがら近くの島に流れついたそうです。武器は数丁の三八式小銃と手榴弾だけ。もちろん、食べるものなどほとんどありませんでした。
幸いその島は、あまりにも小さかったので米軍が無視して先に進出してしまったために、時間だけはたっぷりあったそうです。当然、食糧調達が一日の仕事となりました。
20世紀のロビンソン・クルーソーたちこの十数人の日本人は、どうやって生き残ったのでしょうか。このご老人の雑囊の中には野菜の種と米の籾、そして数本の芋があったからです。
このご老人が最初に作ろうと思っいたったのは、魚釣りではなくて畑だったそうです。魚は別な奴がやればいいや、自分は畑を作ろうと。そして歩兵用の小さなスコップで畑を始めました。堅く、石ころだらけの土にです。
そしてわずかに出来た畑には貴重な野菜の種を植えました。ひょっとして非常食になるかと思って持って来た数本の芋はふせ込みました。これは後に大いに役に立つことになります。いちばん困ったのは水だったそうです。隆起珊瑚礁の孤島では水は貴重でした。川は一本あったのですが、飲用には適さないので、苦労しました。
自然の湧水を発見したのもこのご老人でした。町の人ではなかなかわかりません。しかし、彼はこのあたりに沢山の樹が生えているから、ここを掘ってみんべぇと掘るとジワーと出る、スゴイぞと戦友。なんの、谷津田を作る時、さんざん親父にしこまれたべぇと照れ笑い。
この貴重な泉の水をナスにくれてやると、ナスの双葉が全身でありがとうというんだよ。この水運びは隊長も喜んでやっていたな。いつか双葉の水やりは名誉職のようだったよと、老人は笑います。ナスの芽が吹くと、汚いヒゲヅラの兵隊たちが周りを取り囲んで、まるで赤子を見るような眼で飽かずにその双葉を見ていたそうです。
唯一の小さな川のほとりのマングローブ林を拓いた水路の先に田んぼもできました。貴重な籾を発芽させ、苗を作りました。その苗を日本式に田植えまでしました。もはや階級の上下はありません。皆、泥だらけで代をかき、ならします。学徒出身の若い隊長は、「あ~オレは農学部に行ってりゃよかったよ」としみじみとお百姓に言ったそうです。ちなみに彼は神学部という、なんとも使えない学部出身でしたが。
そして板金職人と機械工は、収穫に備えて、ジャングルに落ちていた飛行機を分解して脱穀の金具や鍬を作り、大工は家や納屋、農業機械を作りました。これらの指導したのもほとんどがお百姓でした。ただの国民兵で引っ張られた上等兵でしたが。
そしてこの20世紀のロビンソンクルーソーたちは、終戦も知らず数年後にたまたま通りかかった船に発見されて帰国を果たしたそうです。流れ着いてひとりの死亡者もなく、完全とまではいきませんが、多少なりとも米の飯と日本の野菜を戦友に食わせることができたというのがこのご老人の誇りです。
そして日本に帰る船に乗り込む時に、この「ちいさな日本」の島にこうお別れを言ったそうです。
もう、来ることはあんめぇけんど、よく俺らを生かしてくれた。それにしても、芋は心配なかっぺが、米は野生化すっぺっか。したらいいな。おめいらも気合を入れて生き残れや。ありがとうな。ほんとうにありがとうな・・・。俺はもっと長くいてもよかったけんど・・・。
このご老人の話を聞くと、日本人にとって米や野菜というのは単に食糧以上の何かであるような気がします。また、この話は真偽不明ですが、どこまで行っても日本人は農耕民族だという気がしますね。
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