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2009年2月16日 (月)

料理ということは、大事な人に食べてほしいから輝くのです

_edited わが農場のこの春一番めのタンポポです。まだひっそりと農場の路傍に照れくさそうに咲いています。

横には兄弟か、姉妹が、まぁどっちでもいいか、準備を終えています。

この何カ月か、少年を引き受けて農場で暮らしてもらっています。彼とつきあうと色々なことを教わります。私は子供に恵まれなかったので、子供という存在を日常で知ったのは今回が初めての体験でした。

例えば、もっともささいにして日常そのものに思えて、最大のことはやはり「ご飯」ということでした。すごくでかいですね、これは。私はいままでなんやかんやエラソーに食育だなんて消費者にくっちゃべっていました。いわく、日本の食や、農から構想できる食のあり方なんかです。それなりに自信もありましたし、今まで自分が生きてきた農の生活の体験や知見で語れることも多々あると持っていたわけです。

う~ん、今まで「消費者の皆さんよ、日本のスローフードとは」などと言っていたワタクシは、今急激に自信をなくしつつありますね。こら笑うでない。というのは、「食べさせるべき対象」とでもいうべきものが生れたからです。

少年に毎日、朝昼晩食させるという中で、初めて分かったような気がします。食は自分やパートナーはとりあえずいいのだと。親はとりあえず置こう。ガキになんぼのものを食べさせられて、初めて大人として背筋が伸びるのではないのかな、と。

もし、私がひとりだったら、夕飯なんかまさにテキトーでしょう。そこらの野菜と肉をチャっと炒めてわんら。酔っぱらっていたら、卵かけごはんでもいい。

しかし、食事に「誰に」という述語ができると違うでしょう。こんないいかげんなことはできない。自分のガキに今日の夕御飯は卵かけご飯ね、とは口が裂けても言えないでしょう。それは恥です。

Img_0013_3 ところで、昨夕はブリ大根をやりました。そう思うと、今まで、考えてみれば、実にお恥ずかしい話でしすがソバツユをうめて、ブリと大根をただ煮ただけでした(汗)。昨日はひさかたぶりに料理本にご登場願いました。レタスクラブ別冊だかなんだかの「和食の基本」です。

ブリのカマは塩をかけて30分間置きます。大根は米を少し入れて下煮します。ブリは血合をきれいにします。そ、ていねいね。ちょっとでも血が見えないくらいに。こういうしっかりとした下処理を今までやらなかったんだなぁ。いかん!

これを味醂と酒をハーフ&ハーフで煮立たせるんですが、これも今までやらなんかった(自己批判)。いったんアルコールを飛ばしてから、ここまでしっかりと下処理をブリと大根を煮込むわけです。まずいはずがない。完成まで実に2時間。

今までブリ大根はさんざん作ってきましたが、初めて真面目に作った気がしましね。おー、ブリのカマよ、来い!しっかりあか抜けたブリにしてやるぜ、この手間ヒマをかけおったブリ大根は、翌朝も冷えても美味しかった。

食べさせたい対象がいたから作るのが料理です。こいつが、この大事にも思うこいつが嬉しそうに「うまい」と言われれば、そう思わず自分も笑みくずれる。これが料理です。料理とはすぐれて関係的な存在なのです。このことに関して実感をもってそう思いますね。

食べること、あるいは、料理は関係の中で生れ、そして活きる仕事なのではないのではないでしょうか。それは私が大事に思う人と人の中で、その中で初めて本気でやる気になり、その人が食べて美味しかったと言って初めて完結するような心と心の関係そのものなのです。

う~ん、きれいにまとめすぎたかな(反省)。

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