野生のトキ様のブログ「田畑住まいの未来」の昨日の記事「日本農業の未来 若手農業者とネットワーク」 を興味深く拝見した。http://blog.livedoor.jp/nobu23/
この記事に登場するある方とは直接の面識もあり、その現地の動きとも多少関わったので関係者でもある。
冒頭の海外青年協力隊で派遣されたニューギニアから帰って就農した青年のケースは、私たちポンコツ世代にもよく理解ができる。
就農してJAS有機をとらずに混植などで天敵防除をしている。いいね、私自身海外青年協力隊には行きたかったし、JAS有機なんていう今や有機農業の天敵と化している認証を取らない気概もいい。すぐに大手の産直をしている団体に「寄らば大樹の陰」とならない独立独歩のスタイルも好きだ。ぜひ楽しみながら頑張ってほしい。
このような「農業をしたい!」という青年はすごく理解ができる。なぜなら動機が単純でシンプルだからだ。農という人生最大の「道楽」を極めようというばかばかしい熱情があって好きだ。きっとコケても、笑って頭をボリボリとかいているだろう楽天性がある。「ギャー今回は失敗、でも次回はハズさないからね」というしぶとさがないとこの農業という家業は続きゃしないから。私自身もハズした回数数しれず。あろうことか、ついこないだも失敗した。もう25年もやってててだよ、まったく!
それはともかく、もう一方の流れとして紹介されている「農業ビジネス」という流れだ。こっちは少々心配している。
自分で農業をやるわけではなくて、農村に来てファーマーズ・マーケットや体験交流イベント、はたまた学生を農村に連れてきたりといった「農を面白く儲かる仕事」にするビジネスをするのだという。
ふーんと言った感じだろうか。はっきり言ってしまえば、「お前さん、都会の若者が農を儲かる仕事にって言ってもどこまで農業や農村が分かって言ってるんだい?」という抜き難い不信感が舌の先に残ってしまう。
このように書くと、私が農業ビジネス自体を否定しているように思われるとちょっと違うのだ。私はかつての就農から10年間は自分の農場の中で俺さまワールドに近かったが、地鶏シャモや今の有機農業団体の立ち上げを経て、今の日本の農業になくてはならないのは良質のビジネスだとすら思っている。
ただ、この青年たちの場合は、あくまで主語が、「都市の若者」だというところなのだ。場合によっては農村に住むこともなく、都市に事務所をもっている場合も多い、というかそのケースが多いだろう。自身もたいした農業経験もない場合が多いし、農村をどのように考えているのか不安が残る。
私にこのような不安がでるのは実態を見ているからだ。この紹介されていた中のある人のグループは私の住む地域に一年ほど前から来ている。
「地域農業を元気にする」、「学生を農村に連れてくる」という掛け声に、ついフラフラ~としてしまった。
地域の農業はなかなか思うように動かない。人間関係や、流通関係の縦割り構造の中でしこっている。有機農業という狭いジャンルですら交流すらない有様なのだ。まして慣行栽培と有機農業の壁は、ベルリンの壁より厚い。
ここに元気のいい都会の若者が、乗り込んできて「地域農業を元気にする」といってくれているのだ。これに一肌脱がぬテはないだろう。腰の軽さとノリで人生を何度も失敗しているこの私は、懲りずに当然乗ってしまった。
乗ったのは私だけでなく、既存の農家の、それはそれはここまでやって貰えるのかというかつての白眼視された初期就農者の私などにはジェラシー・ストームが湧くほどの手厚い受け入れ体制が敷かれた。行方台地の幹線脇の一等地に広大な農地が提供され、月に一回かよくて二回ていどしか来れない学生に出来ない作物のトラクターがけ、除草などの管理作業はほとんどが地元の農家がやったようだ。農協の古い事務所もタダ同然で貸してもらえるという厚遇ぶりだった。
そしてたまに来る学生の食事や、自分の家を宿泊に提供までした。一時は往復1時間半のバスターミナルまでの送り迎えまでしてしまったのだから、なんともかとも。学生はまさにアゴアシ付きのお客さんだったわけだ。
このような手厚い支援を、学生が理解していたかというと、はなはだ怪しい。見かねた私が、「送迎くらいは自分らでやれ。たまには酒の一本、茶菓子の一箱でも手土産でもって行ってやれよ。喜ぶから」と言わずもがなの忠告をしたほどだ。こう私が言っても、答えははかばかしくなかった。はぁ~なんで?という顔をされた。厚遇になれきった若者の顔がそこにあった。さえない農村に、都会のバリバリの、しかも高学歴の若者が遠くから来てやってるんだぜ、という奢りのような気分すら見え隠れしてしまった。
そしてもうひとつ。私は何度も「これは起業だと思え。受け入れてくれた地元への恩返しのためにもいい農業ビジネスを作ってくれ」と口が酸っぱくなるほどアドバイスをしたものだ。単に「農村に来る」だけではお客にしかすぎない。しかも地元にカネを落さないときている(哀しい笑)。そこでどのように定着した都市から来た若者のビジネスを作るのかが大事なのだ。ビジネスという経済性がなければ、絶対に継続しない。これも彼らにはピンっとこなかったようだ。
そして一年めの今年の春。「学生を農村に連れてくる」と熱く私に語っていた女性のリーダー格が、東京の会社と現地の農家との間でニッチもサッチも行かなくなって、「自分の農業修業のために」と辞めて出て行ってしまった。彼女が、この運動と、現地の農家や行政、JA、商工会、そして私などとの調整役だったので、残念だが早晩この「運動」はポシャるだろうと思ってしまう。
彼女は大変に感性が柔らかな、農そのものを愛する人だっただけに、とても悔しい。なまじ農的ビジネスを考えたばかりに続かなくなってしまったのだ。素直に、この農の世界に飛び込んでくればよかったのに。 さて、 農村に来る都市の若者に言いたい。運動か、ビジネスか、腹を据えてきなよ。半分運動、半分ビジネスなんてキメラは農村にはいらないんだから。そして、農業と関わるのなら、農村に住むのが前提だ。自分が無理ならば、グループの中のひとりでもいいから農村に住んでくれ。短期でもいいんだ。あ、短期って最低1年間以上ね。農村に片足も置かずに、農業や農村は語れない。また語って欲しくもない。住まないと、農村の人間関係の複雑怪奇さや、ほんとうの凄味は分かりはしない。通りすぎる希人には農村は親切なだけなんだから。
今、金融危機を受けて空前の「農村に行こう」ブームだそうだ。だから、かえって心配だ。農業は常々野生のトキ様の言うように広く懐が深い。多元的でもある。しかし、いい面ばかりではない。同時に狭く閉ざされている因循姑息な面も存在するのだ。
地元の想いを裏切ることは絶対にしてはならない。地元とつきあったら命懸けになってほしい。それがイヤなら、運動とかビジネスとか初めから言わないことだ。自給自足、地元とも最低限しか関わらないが村に置かせてもらった礼は尽くす。そして出来たものもインターネットで売る。これならばいわば村の隅に住まわせてもらっている変人として天晴れ一本筋が通っている。私の初めの10年間ががそうだった。
しかし運動もビジネスも他人をいやがおうもなく巻き込む。そして温かい想いや、切ない期待が行き交う。それは都市の乾いた関係に馴れた若者の住む世界とはまったく異次元なのだ。農村の善意や期待感に依存してのビジネスならば、もはやそれはビジネスとしての自律性を失っている。
そこのあたりをしっかりと考えて、農村に来るなら、来たらいい。もう、私は安直に期待などしないが。
■写真 お茶の葉の上に乗るアマガエル。次の可憐な黄色な花はキツネノボタン(たぶん)。3枚めはサクランボウの実。サトウニシキだぜ。次のスミレ色の花がわからんっち。誰か教えて。
最後は建設期のヨーコさんと名犬モモ。今まで飼った犬のなかで最高に賢かった。19歳まで生きた。犬で「友人」と言えたのは彼女だけだ。この写真はまだ小犬の頃。いわゆる「俺さまワールド時期」だ。年中ヘマって、だけど笑っていたような気がする。農業ビジネスなんて考えたこともない時代だ。この頃のおれらの収入なんて笑えるような額だった。
■私の体験的新規就農マニュアル(6回連載)
ブログ旧i記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/1_e9de.html
■私の就農体験記(7回連載)ブログ旧記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_7f9f.html
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