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2009年4月

2009年4月30日 (木)

農業が主語になるために

_edited ジャーン、ご紹介します!私たち有機農業グループの直販所とも思えないカッコよさです。ログ大型ログハウスだから、すべて天然木、新建材は当然のこことしてまったくなし。

おまけにですなぁ、この店の看板がわりに白いヨットまで置いてあるのですよ。白くヨットにログハウス、思わず私も「青春のバカヤロゥゥゥ!」(←エコつけてね)と海に向かって叫びながら、湘南海岸を森田千葉県知事のように竹刀を持って走ってみたくなるような雰囲気です。

ただここが湘南海岸ではなく、イバラのナメタというピュアな農村地帯であるということです(笑)。このログの目の前にはうららな田植え風景が拡がっているわけです。

私はこのカッコいいパッケージに泥臭い「農」を詰めこんでやろうと思っています。たとえば、クズ野菜。いや、言い方が悪いか、ハネ出し野菜。ほんとうは「クズ」ではないのに、単に大き過ぎたり、曲がったり、収穫時に傷がついてしまったために、捨てられている野菜たちです。

このハネ出し量はハンパじゃありません。きちんとした数字はありませんが、たぶん3割からひどい時には4割を出荷時選別ではじき出しているはずです。有機農産物は、殺虫剤や土壌燻蒸剤などの危険な化学農薬を使いません。ですから当然姿が悪いものが大量に出来てしまう時があります。しかし、現実に流通に乗せる時には、ほとんど一般の野菜と同じような出荷規格がガチンとはまってしまいます。これが原因で私たち有機農業者は、泥水を何百杯呑んじまったことか。

_edited_2 いかん、この問題を言い出すときりがない。私たち有機農業界の者には、出荷規格ほど猫がオンネン(ふ、古い)なことはないからです。

では、今までこうしてハネ出された有機農産物はどうしていたのでしょうか?考えてみたことがありますか。

答え、堆肥に混ぜていました。私はせっせと回収して、鶏にやっていましたが、ハネ出しの大部分は堆肥化していたのです。自分で言うのもなんですが、まさに有機農業の舞台裏でしょうね。

とうぜん私たちもこれの有効利用を考えてきました。ファミレスの加工用にならないか、漬け物用にならないかなど知恵を絞ったものです。しかし、現実にはファミレスの加工用野菜ほど基準が厳しいものはないのですよ、お立ち会い。

ファミレスのセントラルキッチンという工場の野菜加工用機械に入る寸法は、あきれるほどきついのです。漬け物も同じでした。加工用だから、規格がゆるいということは120%ありませんでした。

かくして、私たち有機農業者は大量に出るハネ出しを堆肥に混ぜるという能のないことをし続けてきたわけです。それは農業が単に出荷しかしないからだと気がついたのはいつの頃だったでしょうか。

農業がただの出荷だけの存在をやめればいい、これが考えてみればコロンブスの卵的展開でした。本当かどうか知りませんが、ある時コロンブスは卵を立てられるかと問われて、はい出来ますと言って卵の尻をチョンと潰して立ててみせました。まぁ、反則技スレスレかもな。

しかし、今のように農業が単なる第一次産品を出し続けている限りコロンブスの卵の尻すら割れない。農業が一貫した自分の文法(プリンシパル)を持つためには、農業が主語になる必要があります。農業が主語の流通、農業が主語の販売、そしてそれから派生する観光、そして農業が描こうとする新しい社会構造まで!

直販所自体は、たいしたことではありません。今やいくつもの直販所、道の駅があります。珍しくもなんともない。その大部分はJAや行政が作ったものです。私たちはその中にひとつの石を投げこもうと思います。

それは、農業が主語として、都市と農村の女の人が作る農業と都市が通え会える場です。こんな場所を作れたらいいな。

2009年4月27日 (月)

直販所に農村レストランを作りたい。しかも女性の起業で!

_edited 農村の要は、家庭がそうであるように女性じゃないかとかねてから思っています。いや、オカアちゃんというほうがいいでしょうか。

まぁ亭主は、なんやかやあって外には出ていく機会が多いので、ついデカイ顔をしたがりますが、なんの家に帰ると財布はおろか、仕事まで仕切られている有様な家もザラです。

農業とは夫婦がペアでするものです。上の写真は冬場2月の酷寒期のセリの収穫風景ですが、オカアちゃんがひとりで胸まで冷水に漬かって奮闘しています。ま、よくある風景です。おい、オヤジどこさ行った!まさかパチンコじゃあんめぇな?

農村において女性が専業主婦というケースはほぼ皆無でしょう。なにかしらの形で生産活動を担っています。だいたい、亭主は細かい作付けや管理状況を勘でやって居る場合が多いのに対して、オカアちゃんはしっかりと家計簿の隅にメモってあったりして、作付け状況や種や肥料の値段など瞬時で弾き出します。

_edited_2 今から10年前の1999年当時、私たちのグループはJAS有機認証に要求される台帳づくりに追われていました。圃場台帳(台帳=管理票)、作付け台帳、栽培台帳、肥料台帳などなどですが、この記録は旦那に聞いてもおおざっぱな答えしか出て来ないケースがよくありました。

初期の頃には農家の聞き取りをして台帳作りをしていたのですが(やがて事務局が集中して行ない、現在は完成されたシステムとなったので各農家が行っています)、まぁこんなやりとりを延々としていたことを思い出します。

「ねぇトシちゃんよ、あの新宅の横の圃場のさぁ、春のホウレンソウの次は何作ってたんだっけ?面積は5畝くらいだっけ」みたいな質問をしていくわけですが、はかばかしい答えが返って来ないわけです。「おおかた春菊だったけっか。いやチンゲンだったけか~」ってアヤフヤなかんじ。そのような時には、早々と台所にいる奥方に聞くに限ります。

オカアちゃんは、居間の箪笥の引き出しから家計簿をおもむろに取り出し、「あ、あそこは去年5月20日にホウレンソウが終わってるっぺ。その後春菊さ蒔いて、秋の霜までに収穫して、冬の間は、堆肥さ入れて休ませて2月に・・・(以下略)」と実にキメ細かい。亭主は、横で冷や酒を飲みながら、ニコニコと「あー、オレは酔ってきたぁぁ~♪」とのどかな声を上げておられる。平和ですなぁ。

まぁ、おおよそこんなもんですよ、農村なんて。農業は労働も頭脳も、ついでに子育ても女衆でもっているのですよ。ウチも似たようなもんだから、だはは!

_edited_3 さて、話の枕が長くなりました。今直販所を私たちのグループで作っていますが、その中に農村レストランを作りたいのです。

初めは農村イタリアンか、和食の大皿バイキング方式などを考えていましたが、男だけだといい智慧がでない(笑)。

情けなくも、男どもが考えつくのは既にある農村ビジネスの情報頼りなのです。だから、どことなく関西の「もくもく」や茨城の「ドキドキ」か、あるいは和郷園さんのような成功モデルを無意識に追ってしまったのです。なんか違うと気がつき始めたのがこの数週間でした。

これではまったくよくあるパターン。私たちの特色が見いだせません。わが村で、今までパルシステムと産直事業を10年間も続けてきた意義がないわけです。

そこで私が今考えているのは、これを女性の、それも街のオカアちゃんたちと農家のオカアちゃんたちとのコラボで出来ないだろうかと思うのです。パルシステムにはセカンドリーグという大変に活発な活動があります。ここには私の友人でもあるYさんが事務局にいて、よく情報をいただくのですが、普通の市民が地域で事業を起こしていくことを支援していく試みです。今や多くの市民起業がここから生れて、成長しています。

この地域起業の舞台でも、おもに主役は女性です。たぁ~、21世紀は完全に女性の時代らしい。男は舞台裏で算盤を弾いたり、力仕事をするのがいいのかな。

この農村版ができないものかというのが、私の今の楽しい悩みです。うちのグループは建物を作り、直販所を運営します。ここまではそう遠くない時期に完成するでしょう。直販所のノウハウはほぼ完成されたものがあるからです。問題はその先です。そこにセカンドリーグを通して女性がグループで農村レストランや惣菜部を作りませんか、と呼びかけようと思っています。

_edited_4 わが村は有機農業の里です。ありとあらゆる有機農産物や地鶏しゃも、豚、そしてアイガモ農法のアイガモもあります。米もアイガモ農法の一級品の有機栽培米がバッチリです。歩いて10分の距離の湖にはシラウオ、ナマズ、コイなどが豊富、おまけに海にも近いので海産物も簡単に手に入るでしょう。那珂湊の網元は私の友人です。このように書き出してみて、改めて私の生きる地域が農と水産の満漢全席的地域だと分かりました。

これらを生産地の特色と強みを活かした「食べる」ことで環を拡げて、都市と農村を繫いでいけたらと考えています。

また、地域で供給できない食材や調味料類はパルシステムをとおして調達し、色々な意味で今までの産直の環を重ね合わしていけたらと考えています。これが新しい時代の産直と地産地消の新たな息吹に育つと面白いですね。

そのヘソとなるのがこの直販所であり、農村レストラン、そしてなによりタフで気が利く女性なのです。

*現時点で、この農村レストランの構想は、グループの正式なものではなく、私個人の私案であることをお断りしておきます。

2009年4月24日 (金)

「減反・この日本農業の宿痾その3」のコメントに答えて その2 9割の低関税と、1割の超高関税

_edited 前回からの続きです。いただきましたコメントについて「タリフライン」(関税品目)だけの説明で終わってしまって、私の意見を述べる紙幅がなくなってしまいました(汗)。

このコメント氏様は今まで何回か頂いている66CC様と同一のお方なのかな?いずれにせよ、発想が非常によく似ております。

コメント氏はまず「タリフラインは消費者が払うものではないので関係ないだろう」と言います。初めは何をおっしゃっているのかわからず、首をひねったものでした。というのは関税は別に国が支払うものではなく、輸入された当事国の消費者負担だからです。たぶんこのように氏は言いたいのだと思います。

日本の農産物のタリフライン(関税品目)が多く、障壁が高いので、実態として輸入ができない。「コメ、コンニャク、麦、乳製品などは馬鹿げた高関税だ」。そして文中にはありませんが、この論理の延長線を勝手を承知で付け足すのなら、「こんな一部の農家のための高関税のために、日本の消費者は不利益を被っている」・・・とまぁこんな感じでしょうか。まぁ、失礼ですが、言ってはなんですが、ステロタイプの日本農業高関税論ですな。特に目新しい論点はありません。

_edited_2

そこで上のグラフをご覧頂きたいと思います。出典は「現代の食糧・農業問題」(鈴木宣弘 創森社)です。データーは2000年のウルグアイラウンド終了時のもので、やや古いのですが、まぁ現在も大きな差異はないと思います。

これはタリフライン(関税品目)ベースですが,これをコメント氏のように「関係ないよ」と一蹴されると、有税品目というゼロ関税まで含んだ指標しか他に国際比較するものがないのです。もし、他にコメント氏様にお考えがおありならご教示下さい。

グラフを見れば一目で、日本がWTOの超優等生であることがわかりますね。そりゃそうだ、日本の国是は戦後一貫して貿易立国、つまりは輸出依存でした。そのような体質の国が自分の国の関税ガードを高くしておいて、輸出攻勢もないもんだからです。

米国のような世界中から輸入を吸い上げることで、ドルという基軸通貨をポンプのように世界に循環させていたという特異な構造の「ドル帝国」(これの危険性が去年末にバレたわけですが)と比較するほうがおかしく、もしどうしても比べるのなら、国の面積や生活レベル、工業化水準が近いEUでしょう。

EUは、19.5%、日本は11.7%です。ノルウエーなど127%です。これでも日本が、関税が高いというなら、なにを見てそう言っているのか論拠のデーターをみたいものです

でなければ、スーパーにあんなに外国産農産物が溢れますか?牛肉や豚肉の半分は米国や豪州でしょう。果汁の大部分は外国産です。今のリンゴ農家の危機の原因は、この果汁にシフトできなくなったことにあります。また、農産物の多くは平均3%以下で、これを超えるのはコメント氏様のご指摘のようにコンニャクや落花生、エンドウマメです。消費者が買う主要な農産物である青菜類やキャベツ、カボチャ類などの野菜は関税ゼロ、ないしは低関税です。

今、国産の野菜が盛り返してるのは、関税のガード故にではありません。あまりに度はずれて中国産がハチャメチャだったってことです。そして、安全安心の「国産プレミアム」が認知されてきました。またこの「国産プレミアム」の浸透には、地域の農産物の直販所の浸透拡大も大きかったと思います。

福神漬けの袋にまで「国産野菜使用」と堂々と書かれる時代にとりあえずなりました。これはこれでまた大変な問題も食品流通のプロ中のプロである余情半さんに怒られそうですが、とりあえず日本農業の曲がった首が少しだけ正面に向いたようです。

こんな時代の中で、コメント氏様はなにをどうしたいのでしょう?コンニャクが高いのは、日本の山間地が産地だからで、関税ガードをなくすと山間地経済がそれでなくても危機なのに、いっそう危機になるからです。だいたいコンニャクやエンドウマメが高関税だって消費者になにか不都合がありますかね(苦笑)。こんなていどの関税なんか世界各国の常識ですぜ。コメント氏様は味噌もクソも一緒にしている。

米の高関税とコンニャクを一緒にしてはいけない。コメント様、焦点を絞りませんか?どの国でもやっていることと、ほとんどの国がやらないコメのような高関税を一緒にしてはいけない

_edited_3 日本の農産物はもはやノーガードに近いのです。ただし、コメ、麦を除いて9割の低関税、ないしはゼロ関税と、1割あるかなしやの超高関税が同居しているのがわが国の農産物の構造なのです。この特異な構造をコメだけ取り出して、あたかも日本の農産物全体が高関税で守られているので、消費者が損害を受けているといったデマ同然の説が平気で流されています

このように日本の農産物の関税は非常に特異極まる構造をもっています。コメと麦だけが特出して高く、多分国際的にも最高の高さです。(下図参照)だから、諸外国からWTOの交渉で叩かれまくるわけで、叩かれれば叩かれるほど、財界からは「いつも足を引っ張る農業界なんとかせーや」といわれまくり、一部の経済評論家は「日本は高付加価値の工業製品を輸出して、いっそ日本は農業なんか止めてしまって安価な米などの農産物を買えばいい。そのほうが消費者の利益だ」という言説を許してきました。

Nous101s0707250401 そのような風潮に危機感をもったのが農水省とJAです。そして自給率低下の危機をアジり、自給率とはそれ自体なんの関係もない米を食べることが自給率向上につながると提唱し、MA米を大量に買っているあるまじき恥部を糊塗しようとしました

なぜ、このような奇妙な自給率向上運動が出来てしまったのか、ほんとうに日本農業が強くなるにはどうしたら良いのか、そこを直視しない議論は、現実には無力です。なぜなら、日本農業の根幹である米作は、減反という巨大な病根を抱え持っているからです。減反を続けたいが故に高関税を維持し、高関税を維持したいがためにMA米を買い込むという負の循環をどこかで断たないと、日本農業の蘇生はありません。

2009年4月23日 (木)

「減反・この日本農業の宿痾その3」のコメントに答えて その1 タリフラインの解説と、私のブログのモットーなど

_edited 先日の「減反・この日本農業の宿痾その3」にコメントを頂戴しました。ありがとうございます。

「減反・この日本農業の宿痾その3  転作にかかった税金、7兆円!」http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-c80d.html#comment-36277275

[引用開始)

>日本の農産物への関税が12パーセントそこそこってのは、タリフラインベースの話で、実際に消費者が実際に負担している金額とはあまり関係無いよ。
其々の家庭の食習慣とも絡むので一概に言えないけど、とにかく、主食(米と小麦)への関税が高過ぎるのは何とかしないとダメだね。
それと‥コンニャクとか、エンドウ豆とか、ピーナッツとか、あの高関税は何?
「特定の農家の為です」て言っているようなものだけど‥

[引用終了]

この投稿者の方は、WTO交渉のことをよくご存じだと思います。しかし大部分の人には「タリフライン」ってなんのこっちゃと思いますので、ブログ管理者がコメントの解説をするのも、考えてみれば妙な話ですが、少しだけしておきましょう。タリフラインとは「関税品目」のことです。

WTOドーハラウンドでは、カンカンガクガクの交渉が煮詰まってきています。ひとつのポイントは、「重要品目数」を巡ってです。なぜ、ここがツバ競り合いの203高地となるかといいますとね、重要品目数こそが関税削減幅の緩和される品目だからです。要するに、各国はここにゼェタイに関税をかけちゃるという品目を入れ込んでくるというわけです。まぁ当然ですな。私はコメ関税段階的廃止論者ですが、日本ならなんといっても米でしょう。

それはともかく、現在すったもんだの末にこの重要品目は、6~8%というところまできています。問題はこの6~8%の分母です。ここでタリフライン(関税品目)という聞いたこともない用語がでてくるわけです。

タリフライン、つまり関税品目を分母にしろというのがおおむね先進諸国の意見です。それに対して、「有税品目」にしろというのがいわゆる発展途上国や新興工業諸国のG20なわけです。中心はインドやブラジルなどですね。

この対立があって前回のWTOの交渉テーブルは流れてしまいました。なぜなのでしょうか?非常にカッタルイ話ですがもうしばらく我慢を。「有税品目」というのには、関税ゼロ品目も含まれているからです。なら、なんで「有税品目」って言うのかって?私に聞くなつうの(笑)!

_edited_2 日本からすれば、ゼロ関税も多く含んだ有税品目を分母にされたら、タリフライン(関税品目)ベースより同じ重要品目(*関税をかけられる品目のことね)で約20%(106品目対80品目)も不利となるからです。

これは先進諸国にしてみれば、「え、今まで頑張って関税ゼロにしている努力がまったく無視されているんじゃねぇか!」と泣きと怒りが入るわけです。これに関しては、EUなども日本と同意見で、まぁたぶん交渉テーブルで、「おいこるらぁ、そんならまた高関税かけて泣かすぞぉ!」とフランス語訛りの河内弁で内心叫んだことでありましょう(←まったくの想像)。

というわけで、WTOバーハラウンドは新興工業諸国、途上国、先進国の三つ巴の争いまではらんでしまってなかなか妥結しないんでありますな。これはあながちわが国のせいじゃありませんから、農水省、JA共に内心はスキップを踏んで「よかったぁ~、日本が袋叩きに合わなくって。これで日本のコメ問題が延命できた♪」と思っていることでありましょう。

しゃもない話ですが、このような海外情勢で、またもやコメの高関税とメダルの表裏関係の減反政策は延命してしまいました。コメント様氏には、こっちにも突っ込んでほしかったんですが、例によって今さらの「日本の農産物は高関税」というパターンで終始してしまって、やや物足りない。これについては次回ということで。

さて以上、コメント氏様の「タリフライン」にまつわる解説をいたしました。コメント様の用語解説で丸々一回終わってしまいました。コメント氏様はコメント側という立場ですから理解しますが、国際貿易の交渉用語というのは、ポンっと蹴り込まれても、大部分の一般ピープルには哀しくやわからないんですよね。

そうだ、いい機会ですから私のブログのモットーを掲示しておきましょう。専門用語と専門用語にまつわる横文字はできるだけ使いません。Img_0042 かといって普通に使用されている横文字をゼンゼン使わないとなると、たとえばブログとは「電網内個人日記」みたいな帝国陸軍調になりますからね。

で、使う場合には、クソ丁寧に解説を加える努力をします。専門用語と横文字というのは、ある意味「隠語」でしてね。仲間内の符丁みたいなもんなのです。学者でたまに、絶対に専門外の人がわかりっこない用語を羅列した本を書いている場合がありますが、私は嫌いだな。

市民、つまり普通に働いて飯食って、泣いたり笑ったりしながら子供を養っているような生活している人に理解できないような用語は、単なるインテリのペダンチズム(衒学趣味)、自己満足に過ぎないからです。

専門家がその専門用語を市民にかみ砕く中で、かえって新たな論理の展開が見えようものなのに、それを避けて学者にとって手っとり早い専門用語を使うというのは、知的エリートにありがちな思考停止現象だと思うのです。

これは、私たち農業者もそうです。心しなければなりません。やろうと思えば、「畜産のアニマルウェルフェア」とか、「オーガニックプロダクツにおけるキャリーオーバー」みたいにゾロゾロ出てくる、出てくる。われながらいやだ。外国の受け売り丸出し。先に翻訳して発表したほうがカッコイイのかって。

という理由で、私の住む世界の外に住む丁寧に人達に接していきたいと思います。ま、だから私のブログが冗長になるのです。なにぶんかようなわけですから、ひとつお許しを。

さて、今日は長くなりました。かんじんのコメント氏へのお答えは次回にということで今日は終いと致します。

私のブログ記事のモットーに関しては、かつても掲載しました。よろしかったらご覧ください。

■農業を、自分の国の「言の葉」で語ろう

2009年4月21日 (火)

農業に来たいのならば

Img_0009 野生のトキ様のブログ「田畑住まいの未来」の昨日の記事「日本農業の未来 若手農業者とネットワーク」 を興味深く拝見した。http://blog.livedoor.jp/nobu23/

この記事に登場するある方とは直接の面識もあり、その現地の動きとも多少関わったので関係者でもある。

冒頭の海外青年協力隊で派遣されたニューギニアから帰って就農した青年のケースは、私たちポンコツ世代にもよく理解ができる。

就農してJAS有機をとらずに混植などで天敵防除をしている。いいね、私自身海外青年協力隊には行きたかったし、JAS有機なんていう今や有機農業の天敵と化している認証を取らない気概もいい。すぐに大手の産直をしている団体に「寄らば大樹の陰」とならない独立独歩のスタイルも好きだ。ぜひ楽しみながら頑張ってほしい。

このような「農業をしたい!」という青年はすごく理解ができる。なぜなら動機が単純でシンプルだからだ。農という人生最大の「道楽」を極めようというばかばかしい熱情があって好きだ。きっとコケても、笑って頭をボリボリとかいているだろう楽天性がある。「ギャー今回は失敗、でも次回はハズさないからね」というしぶとさがないとこの農業という家業は続きゃしないから。私自身もハズした回数数しれず。あろうことか、ついこないだも失敗した。もう25年もやってててだよ、まったく!

_edited それはともかく、もう一方の流れとして紹介されている「農業ビジネス」という流れだ。こっちは少々心配している。

自分で農業をやるわけではなくて、農村に来てファーマーズ・マーケットや体験交流イベント、はたまた学生を農村に連れてきたりといった「農を面白く儲かる仕事」にするビジネスをするのだという。

ふーんと言った感じだろうか。はっきり言ってしまえば、「お前さん、都会の若者が農を儲かる仕事にって言ってもどこまで農業や農村が分かって言ってるんだい?」という抜き難い不信感が舌の先に残ってしまう。

このように書くと、私が農業ビジネス自体を否定しているように思われるとちょっと違うのだ。私はかつての就農から10年間は自分の農場の中で俺さまワールドに近かったが、地鶏シャモや今の有機農業団体の立ち上げを経て、今の日本の農業になくてはならないのは良質のビジネスだとすら思っている。

ただ、この青年たちの場合は、あくまで主語が、「都市の若者」だというところなのだ。場合によっては農村に住むこともなく、都市に事務所をもっている場合も多い、というかそのケースが多いだろう。自身もたいした農業経験もない場合が多いし、農村をどのように考えているのか不安が残る。

Img_0004 私にこのような不安がでるのは実態を見ているからだ。この紹介されていた中のある人のグループは私の住む地域に一年ほど前から来ている。

「地域農業を元気にする」、「学生を農村に連れてくる」という掛け声に、ついフラフラ~としてしまった。

地域の農業はなかなか思うように動かない。人間関係や、流通関係の縦割り構造の中でしこっている。有機農業という狭いジャンルですら交流すらない有様なのだ。まして慣行栽培と有機農業の壁は、ベルリンの壁より厚い。

ここに元気のいい都会の若者が、乗り込んできて「地域農業を元気にする」といってくれているのだ。これに一肌脱がぬテはないだろう。腰の軽さとノリで人生を何度も失敗しているこの私は、懲りずに当然乗ってしまった。

乗ったのは私だけでなく、既存の農家の、それはそれはここまでやって貰えるのかというかつての白眼視された初期就農者の私などにはジェラシー・ストームが湧くほどの手厚い受け入れ体制が敷かれた。行方台地の幹線脇の一等地に広大な農地が提供され、月に一回かよくて二回ていどしか来れない学生に出来ない作物のトラクターがけ、除草などの管理作業はほとんどが地元の農家がやったようだ。農協の古い事務所もタダ同然で貸してもらえるという厚遇ぶりだった。

そしてたまに来る学生の食事や、自分の家を宿泊に提供までした。一時は往復1時間半のバスターミナルまでの送り迎えまでしてしまったのだから、なんともかとも。学生はまさにアゴアシ付きのお客さんだったわけだ。

Img_0012 このような手厚い支援を、学生が理解していたかというと、はなはだ怪しい。見かねた私が、「送迎くらいは自分らでやれ。たまには酒の一本、茶菓子の一箱でも手土産でもって行ってやれよ。喜ぶから」と言わずもがなの忠告をしたほどだ。こう私が言っても、答えははかばかしくなかった。はぁ~なんで?という顔をされた。厚遇になれきった若者の顔がそこにあった。さえない農村に、都会のバリバリの、しかも高学歴の若者が遠くから来てやってるんだぜ、という奢りのような気分すら見え隠れしてしまった。

そしてもうひとつ。私は何度も「これは起業だと思え。受け入れてくれた地元への恩返しのためにもいい農業ビジネスを作ってくれ」と口が酸っぱくなるほどアドバイスをしたものだ。単に「農村に来る」だけではお客にしかすぎない。しかも地元にカネを落さないときている(哀しい笑)。そこでどのように定着した都市から来た若者のビジネスを作るのかが大事なのだ。ビジネスという経済性がなければ、絶対に継続しない。これも彼らにはピンっとこなかったようだ。

そして一年めの今年の春。「学生を農村に連れてくる」と熱く私に語っていた女性のリーダー格が、東京の会社と現地の農家との間でニッチもサッチも行かなくなって、「自分の農業修業のために」と辞めて出て行ってしまった。彼女が、この運動と、現地の農家や行政、JA、商工会、そして私などとの調整役だったので、残念だが早晩この「運動」はポシャるだろうと思ってしまう。

彼女は大変に感性が柔らかな、農そのものを愛する人だっただけに、とても悔しい。なまじ農的ビジネスを考えたばかりに続かなくなってしまったのだ。素直に、この農の世界に飛び込んでくればよかったのに。                                                                 さて、_edited_2 農村に来る都市の若者に言いたい。運動か、ビジネスか、腹を据えてきなよ。半分運動、半分ビジネスなんてキメラは農村にはいらないんだから。そして、農業と関わるのなら、農村に住むのが前提だ。自分が無理ならば、グループの中のひとりでもいいから農村に住んでくれ。短期でもいいんだ。あ、短期って最低1年間以上ね。農村に片足も置かずに、農業や農村は語れない。また語って欲しくもない。住まないと、農村の人間関係の複雑怪奇さや、ほんとうの凄味は分かりはしない。通りすぎる希人には農村は親切なだけなんだから。

今、金融危機を受けて空前の「農村に行こう」ブームだそうだ。だから、かえって心配だ。農業は常々野生のトキ様の言うように広く懐が深い。多元的でもある。しかし、いい面ばかりではない。同時に狭く閉ざされている因循姑息な面も存在するのだ。

地元の想いを裏切ることは絶対にしてはならない。地元とつきあったら命懸けになってほしい。それがイヤなら、運動とかビジネスとか初めから言わないことだ。自給自足、地元とも最低限しか関わらないが村に置かせてもらった礼は尽くす。そして出来たものもインターネットで売る。これならばいわば村の隅に住まわせてもらっている変人として天晴れ一本筋が通っている。私の初めの10年間ががそうだった。

しかし運動もビジネスも他人をいやがおうもなく巻き込む。そして温かい想いや、切ない期待が行き交う。それは都市の乾いた関係に馴れた若者の住む世界とはまったく異次元なのだ。農村の善意や期待感に依存してのビジネスならば、もはやそれはビジネスとしての自律性を失っている。

そこのあたりをしっかりと考えて、農村に来るなら、来たらいい。もう、私は安直に期待などしないが。

■写真 お茶の葉の上に乗るアマガエル。次の可憐な黄色な花はキツネノボタン(たぶん)。3枚めはサクランボウの実。サトウニシキだぜ。次のスミレ色の花がわからんっち。誰か教えて。

最後は建設期のヨーコさんと名犬モモ。今まで飼った犬のなかで最高に賢かった。19歳まで生きた。犬で「友人」と言えたのは彼女だけだ。この写真はまだ小犬の頃。いわゆる「俺さまワールド時期」だ。年中ヘマって、だけど笑っていたような気がする。農業ビジネスなんて考えたこともない時代だ。この頃のおれらの収入なんて笑えるような額だった。

■私の体験的新規就農マニュアル(6回連載)
ブログ旧i記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/1_e9de.html
■私の就農体験記(7回連載)ブログ旧記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_7f9f.html

2009年4月17日 (金)

太陽光発電と農ギャル

_edited 私は実は10年以上前から太陽光発電を使っています。たぶん茨城県でのかなり最初のほうの設置例だと思います。

当時シャープの関東支社から支店長直々の陣頭指揮で、おまけに東電支店長まで見学に来るというモノモしさでした。

設置方法自体が初めてのケースだったらしく、かなり手こずっていたようです。技術畑出身だという温厚なシャープの支社長の言った「もう、シャープはもうシロモノ(冷蔵庫、洗濯機など)は作りません。液晶と太陽光に社運をかけて一本化していきます」と仰せの言葉が印象的でした。事実そのとおりになりましたね。

東電も県下で初めてのケースで、発電取り引き契約書などのフォーマットもなかったようです。うちには2ツ電気のメーターがあって、ひとつは送電網⇒自宅という普通のもの。そしてこれが珍しい自宅⇒送電網というメーターもあります。昼は送電網へクルクルとメーターが廻って電気を送電しているのが目に見えます。今でも、インバーターの上で発電メーターがクルクル廻った時の感動は忘れられません。

*私のブログ「農と島のありんくりん」の太陽光関係の旧記事


http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_afad.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_7da5.html

さて、それから十余年。
完全に太陽光発電は日常です。インバーターは一回故障しましたが、シャープが無償で交換していきました。もうあることも忘れるほどの日常で発電を静かに続けています。


太陽光発電を使っての感想をいえば
①自然エネルギーの宿命として、曇りだとほとんど発電しません。雨だと完全にダメ。気象条件に大きく左右されます。ちなみに風力発電もかつてちょっとですが実験しましたが、まったくダメ。使いものになりません。大体ほとんど廻らないのだから話にならない。あれは岬の先端でブン回すもので家庭用には不向きのようです。また大型にすればしたで、プロペラの作り出す低周波公害や、野鳥にとって恐怖のギロチン装置で、かなり問題のある方法ではないでしょうか。
②わが家は早寝ですが、それでも多分半分ていどの電気自給率だと思われます。これはわが家の発電装置が旧式なためもあり、今は相当に高い発電効率を叩き出しているそうです。
③たぶん20年くらい償却にはかかります。うちのような先駆事例でもようやく6割償却といったところ。たぶんこれが最大のネックでしょう。これはグリーン助成などの国家規模での取り組みがないと、一台約300万円ではそうそう個人では手がでませんよね。
④故障はまったくといえるほどしません。構造が装置の中でシリコンを回しているだけだからです。複雑な装置ではないので頑丈そのもの。
⑤メンテもいりません。雨で埃がクリーニングされて、それでオーケーなのだからスゴイ。
⑥蓄電はできません。かつて仲間が蓄電器を自作したことがありましたが、ロスが多過ぎて失敗しました。今は技術がフォローアップして、トヨタの家庭用蓄電装置まで出来たそうです。ただ、どのような条件で使うかでしょうね。やっぱり電線がないところかな。

*トヨタのハイブリッド家庭用蓄電装置の記事http://mainichi.jp/select/biz/econavi/

今後はパネルの増設も当然の前提ですが、むしろ社会的なインフラにするために電気会社がなにを恐れているのかということです。
たとえば、東電は大規模太陽光発電をするにあたって、気象条件で発電網がブラックアウトしてしまうことを恐れたそうです。自然エネルギー特有の発電の恒常性への疑問です。
これは自分で設置するとよく実感できます。


諸外国(米国など)は、スマートグリッドという、その時の気象条件による発電量を瞬時にコントロールし、切り換える送電網(グリッド)を実用化し始めました。日本は研究さえもしていないようです。それと送電ロスを防ぐ超伝導送電線です。これはたしか住友化成が実用化しています。

このような社会的なインフラ整備がないと、なかなか次の実用段階にはいかないのかもしれません。日本は太陽光発電で少し前は世界のトップランナーだったのですが、この社会的なインフラ作りの遅れが響いて、世界3位に転落してしまいました。

_edited_3 話は変わりますが、先日ある新聞で「農ギャル」が紹介されていました。渋谷ギャルから転身だってぇ・・・!なかなかスゴイね。金髪でトラクターからイエ~ですぜ。http://mjwatch.jugem.jp/?eid=859
 

正直に言えば、私は大いに不信感がありますね。あんなのが続いたら奇跡です。
マスコミにもてはやされているうちが花です。うちの村にも都会からの若い学生グループが「学生の農業への参入」とか、「地域農業の活性化」などと言って入ってきて耕し始めました。 農家は気がいいので、行方台地の一等地を貸してあげたり、いつもは来ない学生のために日常的な作物管理をしてあげたり、宿泊の面倒をみたりしました。農家の伜もなかなか残らないような中で、やはりうれしかったのです。 私自身も微力ながら協力もしたけれど、たった1年間で、中心的なリーダー格の女の子が逃げ出してしまいました。もっと他の土地で「農業を学びたい」のですと。あまりの不誠実さに、私のほうがガックリして1週間ほどヘコんでしまいました。 彼ら学生はどこにでも逃げれても、私たち農民は逃げれない。本気じゃないのですよ。軽いんですよ。単なるノリなんですよ。失敗したら、バイバイできるんですよ・・・!


しっかりした起業意識がないのに農村にこられると、かえって迷惑です。今は大変な不景気で、農業に注目が集まっていますが、遊び気分だけで農に来られては困ります。真面目に農業をやりたい者がとばっちりを受けてしまうからです。村の人からみると、その見分けはなかなかつきませんからね。農村は都市の人の遊び場ではないのです。 今、流行の農業に来たいという若い人に、あえて、言っておきます。それなりに腹を据えて来いよ!農業は楽しいだけじゃないぞ。

■私の体験的新規就農マニュアル(6回連載)
ブログ旧i記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/1_e9de.html
■私の就農体験記(7回連載) ブログ旧記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_7f9f.html

■写真 わが家の太陽光発電パネルと下は建設期のわが家。私たち30代後半。金はないが、元気!

■本記事は市民エネルギー普及に尽力されている塩川富士夫様の転送フリーの情報提供を基にいたしました。感謝致します。

2009年4月15日 (水)

減反・この日本農業の宿痾 その3 転作にかかった税金、7兆円!

_edited ニンゲンという生きものは、立場で勝手にイメージを作るので、世の中には思い込みというものが後を絶たないのですが、農業という分野ほどヒデェ誤解にさらされている所もあまりないと思います。

まずよくある誤解の最たるものは、わがブログでもひんぱんに応戦しちょりますところの(←何弁だ?)、「農業は高関税をかけているから、消費者はえらい高い農産物を買わされている。けしからん、自由化しろ!」というものです。

これも事実を知らない。日本の農産物って世界レベルでいえば、むしろ低関税なんですぜ。平均して12%ていど。野菜なんか関税ゼロでしょう。乳産品類が諸外国より高いだけです。小泉純ちゃんも誤解していて、「農業は鎖国だぁ!」と言ってたことがありました。おいおい農水省、首相に正しい知識入れてやれよな。

EUなんぞもっとエグイんだからね。そしてEUやアメリカは、あれやこれや手を変え、品を変えて、輸出補助金というWTOの違反行為を平気でし続けています。

それはさておき、じゃあ、なぜ「日本の農産品は高関税をかけている」という誤解がはびこっているのでしょうか?理由は簡単です。コメがウルトラ・ハイパー高関税の778%(!)をひとりで叩き出しているからです。そのために、ほかの農産物までトバッチリを食ってしまいました。

この米の約800%高関税はなんのためにあるのでしょう?これは減反政策とコインの表裏の関係にあります。減反とは、日本の水田の実に40%で生産調整というとキレイですが、農家に米を「作らせない」という生産制限カルテルです。カルテルとは業者同士が結託、談合して自分にとって有利な価格を維持するための取り決めのことです。

当然、自由競争が前提のわが国では違法行為、独禁法違反なはずです。しかし、コメという巨大市場に関しては堂々とお国がおやりになっている。いいんですかね、お国が率先して大規模オキテ破りをするっつうのは?

_edited_2 今の米の市場価格は、大体一俵(60㌔・昔のタワラ換算が脈々と生きています)14,000円というところでしょう。まぁコシヒカリというエース級か、その他の早生米(*わせ・早い時期に出荷する米)では違いますが一応の目安で。

これを高いというか、安いというかは、私には「わからない」としかいいようがありません。なぜでしょうか?等級や豊作、凶作という問題はとりあえずややっこしいので単純化して言いますが、アイガモ農法などで工夫して、手をかけて美味しい有機栽培の米を作れば一俵が2万円でも人は買うでしょう。一見高く見えても、ご飯一杯にしたらウン円の差です。これはかつての記事でも検証しました。

工夫もしない、おまけに汗もかかない、かわりに農薬を多く使う三拍子のパートタイム,・ファーマー(兼業農家と読んでね)が作った米など、失礼ですが、ほんとうは1万円以下でもいいはずです。あ~書いてしまった!わが村の衆がこのブログ記事を読まないことを切に祈る。ま、いいか本当のことだから。

今度は質だけではなく量も考えてみましょうか。もし、仮に「オレはデッカク米を作りたいんだぁぁぁぁ!」(←エコー)という青雲の志に燃える農業者がいたとして40町歩をかき集めたとします。「北の国から」の岩城光一のようなキャラですね。

深く考えなくとも、これは必ず儲かります。そりゃそうでしょう、作る時にいちばん心配な価格を考えずに、作れば売れるんですから。第一、デッカクすればスケールメリットが生じます。たとえば、今まで10人で耕していたところを、1人で大型機械でブワーっとやってしまう。10人で収穫したところを、大型コンバインでドバーッと刈ってしまう。装備は、例によってバッチ協同組合を作って、低利の助成金を引いて買ってしまう。

_edited_3 これは困る。さすが農水省も考えたわけです。農水省の本来の考えでは、小規模農家がシコシコとせいぜいが、そうですね米作5反くらいの農家がチョビチョビと削って減反をしよう、ということだったからです。

そこで農水省がこんな不届きな大型化米作農家を統制するために考えたのが、転作補助金です。要するに、小規模農家が貸さなければいいんです。集約化するような不届き者に水田を貸さなければいい。元から絶つというわけです。

そう考えた農水省は転作奨励の補助金を出します。「コメを作らずに、麦作れば、はいお金」、「大豆を作れば、はいお金」・・・。その額たるやるや、累積でなんと積もり積もって7兆円!もう啞然とするしかない額です。

このような減反維持のためにかかった税金を、もっとまっとうなことにふり向けてくれ、そう私は思います。農業は、国民の税金を吸い込むスポンジではありません。

■写真 上からプラムの若葉、田始めた山椒の若葉、最下段はまぁご覧の通り。

2009年4月14日 (火)

シェムリアップの少女

_edited アルバムをめくっていたら、シェムリアップの少女の写真がみつかりました。アンコールワットの外で、おずおずと農民のスカーフを売っていて何枚か買いました。

買ってあげたら、恥じらうような笑みをうかべたのを写しました。

こういう時に、よせばいいのに時々思ってユーウツに思うのですが、私のやってきた有機農業とか、自然卵養鶏などの真の価値が輝くのは発展途上国じゃないのか、と。おいおいと、私の片方の理性は説得してるんですがね。

かねがねあった私の中に疑問が眠っていました。今の日本で有機農業を訴えると、どうしても「安全安心」になってしまいます。まぁ、それはそうなのですが、それは消費者サイドの利害なわけです。しかし初めから消費者方向に目線がいっているのです。目線の位置がちがうんじゃない。

誤解を呼ぶかもしれませんが、消費者の「安全安心」は、私たち農家にとってあくまでも副次的なことで、私たちにとっての気持のいいフカフカの土をつくろうとしたら、たとえば土中燻蒸剤をつかったらできません。なぜなら、土中燻蒸剤は毒ガスだからです。土中微生物は、きれいさっぱり皆ん~な死ぬ、いい虫も、害虫もね。

私たち農家はフカフカの土を作りたいからやっているのであって、結果、農産物が安全になります。生産者と消費者との利害の一致ってもんです。たまたま作り手と食べ手の利害が一致してよかったねていどで済ませたい。

こんなヒネクレ者の私ですから、あまり安全、安心を言う農家はふ~んという気分になります。なんででしょうか?たぶん、消費者、お客さんばかり見ているからです。農家としての視線がアッチにいっている。言いかえれば、自分の売る商品としてしか見ていないからです。

本来、野菜も、卵も、あえて言えば商品ではありません。いやいや,もちろん売り買いされる商品に違いはありませんが、それだけではないはずです。

初めに戻りますね。有機農業や自然卵養鶏は元来、「自分のためのもの」でした。この写真のカンボジアのシェムリアップの女の子が、いかに銭を使わずに、自分の身近な牛のウンコを、ついでに自分の家族のウンコも、これまた身近な米のヌカと混ぜたりして、ゴチャゴチャ、コネコネして畑にぶん撒いたら、ちっと野菜の伸びがよくなった、近くで鶏の餌を探したらこんなのがあった、そしていい玉子ができた。

しょせん、そんなもんが有機農業や自然卵養鶏なのではないかと、そうたまに思います。そしてこの少女は小学校に通っていないと思います。いったいこのスカーフを売っていくらになるのでしょうか。

この子がおかえりなさいと待ってくれている家に帰れるといいね。

2009年4月13日 (月)

減反・この日本農業の宿痾 その2 なぜ谷津田は捨てられたのか?オジィの証言

_edited かなり昔の話ですが、ある宵のこと、私の田んぼのお師匠のジイ様と酒を酌み交わしたことがあります。この田んぼの師匠には前にもご登場願ったことがありましたね。

*2008年8月8日記事 「湧き水の教え」http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/4_d62b.html

わが村だと、鯉の甘露煮や野菜の精進揚げ、漬け物などで、ジィ様の田んぼの宵など眺めながらチビチビやるわけです。見上げる長押(なげし)の上には賞状がズラリ。この賞状とご先祖様の写真、ついでにいえばいろんな所から貰った美人カレンダー各種が、農家の居間の飾りの定番ですね。

さて、このズラっと並んだ賞状ですが、孫の書道展の優秀賞から嫁さんのカラオケ大会準優勝まで幅広くあるのですが、その中でひときわ立派大型なのは県知事から頂戴したという大きな額でした。かなり古いもので、昭和20年代だったでしょうか。「貴殿は水稲の生産増加に寄与され、右のごとく優秀な成績を収められたことを表します。ウンヌンカンヌン」

茶碗で冷や酒を飲みながら、その県知事の表彰状に話を向けると、ジイ様はちょっと得意そう。しかしなぜかフンという顔をします。なんだこの複雑そうな表情は?ヒヨッコ百姓としてはビビるぞ。

「ああ、あれか。オレの米作りの腕がこの地方一だったで、貰ったもんだぁ。作れ、作れ、増産して飢えさ追放しろって、お上からハッパをかけられてた時代だっぺよ。工夫して、工夫して、毎晩水回りをして、朝一番に田んぼに行って、腰がまがるほど働いて米サ作っただ。金肥(化学肥料)も農薬も機械もなかった頃だぺよ。稲刈りが終わると、隣組で集まって一晩中飲んだもんだぁ、楽しかったぁ」

「今は作らねぇとよく生産調整に協力したと賞状をもらっちまう始末だで・・・オレには考えられねぇこったよ、作らねぇほうが、褒められるんだべ。作ると怒られる。腕がいい百姓も、下農(*げのう・だめ百姓のこと)も同じだけ面積を減らせと言われる」

「あの減反以来、オレはもう米さやる気が半分失せた。息子も大きくなったし、米はみんな任してしてしまった」と最後はいまいましげに語って、冷や酒をグビリと一口。タクワンをボリっ。ジィ様、歯はいいのです。

ちなみに、息子さんもちょっと顔を出しました。彼は市の職員です。とてもかんじのいい温厚な方ですが、もう農家臭はありません。米だけであとは農業に関わっていません。ネクタイが似合う実直な勤め人といった人です。消防団をやっとお役御免になったと嬉しそうにしていました。消防団の現役の頃は、出火となると、職場にいても緊急動員がかかり、上役にペコペコ頭を下げながら、消防車にふっ飛んでいたのだとか。

_edited_4 今になると、ジイ様が私のようなわけのわからない都会から来た文無しの若者を面白いと思った気持はわかります。当時誰も村でやりたがらなくなった田んぼを、いやむしろ重荷のようにさえ思われていた田んぼを、こともあろうに鍬一本で開拓しようという無謀さ、ハッキリ言ってバカさかげんが気に入られたのでしょう。それにかつての自分を重ねていただいたのかもしれません。ありがたいことです。当時既に、こんなバカは村で死滅しつつあったようですから。

さて、かつての農家は、先祖代々の畑を増やすというのが勲章でした。少しでも土地を買い増すと嬉しくて祝宴を張ったそうです。だから、とんでもない里山の奥の奥まで、樹を切り、抜根(ばっこん)し、泥だらけで耕して、耕して何年もかけて谷津の田んぼにしたものでした。更に言えば、その里山に植樹したのもご先祖様ということになります。

しかし、このようなところは大体が大型機械が使えないわけです。耕運機がやっと。それもフネ(*耕運機の両輪にタイヤ代わりにつける幅の広い水田用車輪)をつけてやっとの所が大部分でした。ひどい場所では泥が腰まで来るような猛烈な深田もありました。こんな所まで、日本の百姓はコツコツと耕して水田に変えていったのです。

_edited_3しかしある時代、1970年前後の頃を境にして、国の方針が大転換しました。そう、減反です。食管財政が逆ザヤになっていることを理由に、一転して「作らせない米作政策」に変わっていったのでした。

このような谷津田は徐々に捨てられていきました。まだそこを拓いた当人がいるうちは意地でも耕作していたのですが、代が変わるともういけない。労力に合わないために、減反対象のやり玉に上げられて真っ先に捨てられていきました。水田も集約化され、ため池からパイプラインで一挙に結ばれるという基盤整備が進んでいきます。

用水から田んぼまで段差があるためにメダカが田と小川を往復できなくなり、激減していきます。兼業化のための労力削減で農薬使用量も増加し、アキアカネ(アカトンボ)やカエルが姿を消していくようになりました。水田はかつてのように、様々な生きものが生れ、育っていった生物種多様性の王国ではなくなり、単なる米の生産基盤に変化していきました。

今、問題となっている38万6000ヘクタール(2005年農業コンサス)と言われる不毛な全国の耕作放棄地は、このようにして生れたのです。耕作放棄地をそれだけでとらえようとしても理解できません。農村の高齢者問題もそれだけではつかめません。里山の荒廃、生きものがいない沈黙の春の問題もそうです。

これらを一つ一つ取り出しても解決できません。それらの問題点は互いに因果関係をもっていて、一点で収束している箇所があります。 それが減反なのです。減反問題を避けて、現代日本の農業や農村の現在と未来を語ることは出来ない、そう私は思っています。

2009年4月12日 (日)

減反・この日本農業の宿痾 その1 自給率向上を唱えながら、米を作らせない不思議

_edited_7                                                                                                                   春の番組改編期には「世にも奇妙な物語」という私の愛好番組がありますが、この中の一編にぜひ入れて欲しいものが「米を作ることを制限しながら唱える自給率向上運動」ですね。

うん、なんか変でしょう?あまりにも長きに渡って日本人がやってきたので、この奇怪さに鈍感になってきています。

大昔、1970年代の最初の年だったですか、まだ高3だった私は、千葉県成田市に国によって破壊されかかったある村を訪れました。思えば、これが私の初めての農業との出会いとなりました。その時に出会った若い農民たちは、農民放送塔という拡声器を取り付けた丸太の塔をぶっ建てていたのです。

それの手伝いをしたのですが、その時に農村青年たちが熱く語っていたのが、こんないい農地に勝手に誰の相談もなく空港を建てることを強要する国の姿勢のおかしさに並んで、減反に対する煮えくり返るような怒りでした。当時ゲンタンなんて単語すら知らないヒヨッコの私に、この芝山の若い農民はこう話してくれたことを思い出します。

「2割減反を国が勝手に決めて、集落請け負いにして締めつけて来る。イヤだと言えば、親戚が来る。一緒に用水を使っている隣組も来る。言うことは一緒だ。な。ぁ、モンチ(強情)言わねぇで、皆に従ってくんろ、だ。冗談じゃねぇ、2割毎年減反してたら5年でなくなるっぺって追い返した。減反を飲むような奴は、農業したくない奴だから、そいつらから空港賛成に崩れていったっぺさ」

そう言って彼らは陽気に建てたばっかりの丸太の農民放送塔に大きな垂れ幕をブラ下げました。それはアンポ粉砕でもなければ、空港反対ですらなく、「減反を日本農民を代表して突っ返す」という内容でした。この垂れ幕の檄は大きな反響を呼び、全国各地の農民がテレビの前でやんやの拍手を送ったそうです。

その後に、残念ながら空港反対闘争は左翼過激派に乗っ取られたようになり、このような生々しい農民の怒りは次第に消えていき、空疎な政治スローガンばかりとなって行きました。当時から50年、すでに半世紀有余の時間、日本農業は「減反」という世にも奇妙な農政に支配されて変質を遂げていったのです。

Img_0027_edited_edited_2自給率の向上を唱えながら、「米を勝手に増産するな。手を抜け」と言う奇怪さにいいかげん日本人は気がつくべきです。一方で、「米を食べることが自給率の向上だ」という食育を提唱しながら、一方で農家に「米を勝手に増産するな」と世界最大の農業生産カルテルを他ならぬ国が強制する矛盾を直視すべきです。 私は戦後農政の最大の失政は、減反にあると思っています。日本の農家のやる気を削ぎ落とし、ただ作れば国が全量買い上げてくれるような張りのない農業にしてしまったのも、この減反というまさに悪政が根っこにあります。

転作奨励でうまい汁を吸う習癖を農民に教えたのもここが始まりです。一年に10日間に満たない米作りで農家を名乗っていて、実態は市役所やJA、あるいは町場の勤め人をしているような「本籍農家、現住所勤め人」という奇妙な兼業をはびこらせたのも、この減反政策が原因でした。

人を殺すには刃物は要りません。人としての仕事の誇りを砕けばいいだけです。

日本農民は、かつて自分たちが泥にまみれで作ったこの米こそが同胞を食わせているという誇りを打ち砕かれ、半世紀の時間をかけて減反制度の中にちんまりと安住し、補助金に寄生する「半農民」に徐々に成り下がっていったのでした。このようにして日本農民は脱け殻になりました。それを日本は国家規模でやってしまった。なんと愚かな!なんと取り返しのつかないことを!

よもや21世紀まで続くとは思えなかったこの減反政策は、未だ強固であり、いくどとなく微修正をかけられながらもなくなる様子さえみえません。かくして、日本農民はWTOのラウンドごとにJAに動員されて「農と食の安全を守れ」と書かれた鉢巻きを締め、ムシロ旗を上げて東京都心を行進します。今年もその光景が見られました。

_edited_8 唱えている「農と食の安全を守れ」というスローガンは、都市の生活者とまったく変わらないものですが、内容は大きく違います。JAがそれを言う時の中身は「WTOでコメの高関税を維持しろ」ということ、その一点に尽きます。コメに700%強という世界最高のウルトラ高関税をかけないと、日本の農業は潰れるというのが農水省とJAの主張だからです。

そしてこの高関税をかけるいわばペナルティとして、WTOでMA(ミニマムアクセス)米を押しつけられていることに触れようとしません。あのような食べることも出来ない毒米を、巨額の税金で外国から買い付け、100億円にも登る保管料を毎年支払っている現実を糊塗するために、「日本の農と食を守れ」などという奇麗事を唱えているに過ぎないのです。

そして今年のWTOの予想される妥結内容は、今までのMA米に更に大量の上乗せをして120万tともなるMA米を買い込むことが条件づけられています。教えていただきたい、仮にこれが「日本農業を守る」条件なら、こんな日本農業など誰が欲しますか?

大丈夫です。日本のコメ作りは仮に高関税を廃止しても続きます。絶対に潰れません。むしろ強くなり、美味しくなり、より安全になります。そのことはかつてこのブログ記事(下記参照)でも検証しました。むしろ減反があることが足かせとなって日本農業をダメにしているのです。この問題はもう少し続けてお話ししたいと思います。

■本ブログの旧記事 

■「日本の米は高いのか?」2008年7月28日

http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_f631.html

■「日本農業が自由化されれば価格が下がるのか?その5 日本にコメを輸出できる国などない」2008年8月14日

http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_3c83.html

■写真はアルゼンチン・ボカ地区の街頭音楽家。下は私が愛する水田風景。

2009年4月11日 (土)

政府の追加経済対策には有機農業の「ゆ」の字もない!

_edited 春爛漫です。昨年収穫した時にこぼれた菜種が、花を咲かせました。ホトケノザが今年はどうしたことか、大張り切りで、農場のあちこちでわが世の春を謳歌しています。

政府の追加経済対策が出てきました。環境、エコ車両や家電を中心としたかなり思い切った推進政策による景気回復を狙っていますね。なかなかのものだととりあえずは評価します。

農業分野では、「日本農業新聞」(4/9)によれば、総額1兆302億円をつぎ込んで、「担い手への農地集積対策と利用拡大」と、「農業機械事業リースの大幅拡充」、そして「水田転作の助成」がメーンのようです。

農業外の方々にはなんか暗号みたいで、なんのことか分からないかもしれませんので、少々解説をしましょう。「担い手への農地集積」、いきなりきました。この「担い手」というのも、「飛翔体」みたいな日本的表現でなんのこっちゃですが、官僚用語で言うところの「中核農家」です。あ、これも分かりにくいか。三里塚の反対派農民じゃありませんぜ。これは地域の中の大規模専業農家のことです。それならそうと書けばいいのに、ボヤかしたがるのだよな。主業農家なんて言い方もあります。ちなみに兼業農家は、「自給的農家」なんてコジャレた言い方もして、いっそう混乱に拍車がかかっています。あ、いかん用語解説で終わってしまう。

「農地集積」というのは、つまりですな、高齢化や離農などで使われなくなった農地を、できるだけ専業農家に集めて、大規模化を押し進めようということを狙っています。自民党の農政の4ヘクタール以上の農業者に、農地を集積して、そこに予算を重点配分しようとした作物横断政策の延長だと思えば、そうハズさないと思います。

_edited_4 これと次の「農業機械のリース事業拡大」は、たぶん一対の政策のはずです。大規模化に欠かせないトラクターやコンバイン、自動結束機械などの農業機械を、政府がなんらかの助成を付けてリースしやすくして装備にかかる固定費を減らしましょうということだと思います。

そして最後の「水田転作の助成」は、これだけで一本の記事にしたいような項目ですが、これは「水田フル活用」政策を予算化したものです。要するに、コメから飼料用米や米粉などにすることに、上乗せで助成金を出そうというものです。言うまでもなく、これは減反の堅持と表裏一体の政策です。

これらを見ていると、なにをしたいのかうっすらと見えてきますね。農業経営の大規模化は避けられないので、ここに予算を集中配分して生産基盤を強くする。一方、既存の兼業農家が主体のコメ作農家に対しては痛みが出ないように少しずつ転作をしてもらう、ってなことでしょうか。

まぁ、今の農水省のお役人さんが考えれば、こうなるだろうなという模範解答みたいなものです。今日のところは論評を避けます。ただ一点だけ。この追加経済対策には有機農業の「ゆ」の字もないのです!他の産業分野では、あれだけかまびすしくエコ、エコ、アザラク(知ってますか、黒井ミサ?古い!)と環境を前面に押し出したのに、農業分野ではまったくスルーです。農水省のレベルがそこはかとなく知れます。農水省は3兆円の予算と数千人を擁する(違ったかな?)を持つ巨大官庁ですが、有機農業の担当はただの2人、予算ハナクソていどですからねぇ。

有機農業者なんて耳アカ(やたら垢にこだわるな、今日は)ていどしか存在しないし、みんな揃ってヒネクレ者なので、選挙の票にもならないからでしょうか。私たち有機農家は軽んじられていても、今や都会の消費者が求める有機農産物の需要は巨大なはず。都市生活者の皆さん、もっと声を上げて下さい!

どうして「有機農産物を購入するたびにエコポイントをゲット!」とか、「JAS有機認証シール100枚集めれば、抽選で有機の畑へ一泊2日のご招待!」、「有機の田舎拠点を作る」ってならないのかしら、かえって不思議です。有機農業推進法ってどこに消えたのかしら?

また有機農業者に対しても、減税措置などがなければおかしいですね。それだけの生産リスクを背負って、今までなんの国からの支援もなかったのですから、ここで出さないでいつ出す、ってなもんですよ。まぁ、ミソカス扱いはなれているのでなんとも思いませんがね、ふハハ(力なく笑う)。お、いじけるな、いじけては負けだぞ、ハマタヌ!

■写真下はアルゼンチンの霧に煙るフィツロイ(撮影 わが家の世界漫遊詩人)

2009年4月10日 (金)

日本農業はこうして腐った その5 民主党も自民党も農業政策はどっちも同じ

_edited 今日の「日本農業新聞」(4/9)を読むと、政党支持率で自民党40.3%、民主党24.2%、今度の選挙で入れたい政党は自民35.2%、民主29.9%だそうです。

これは日本農業新聞読者だそうですから、だいたいJAを中心とした農民層の動向ということになります。

私は最近、無責任だとのソシリを受けそうですが、「どっちでも同じじゃないの」というかんじで、投票日はエンピツ占いか、こっくりさん(古い!)にでも任せようかというところです。だってぇ、どっちも同じじゃん。

一時、そうですね、2001年から2003年あたりまでは、かなりハッキリと民主党に期待感を持っていました。なぜかと言えば、2001年マニュフェストにはこう明確に書かれていたからです。

「事実上強制となっている米の減反については選択制とし(中略)新たな所得政策の対象を農産物自由化の影響を最も大きく受ける専業的農家」と絞り込んだ農業政策が語られていたからです。また、03年のマニフェストでも、「食料の安定生産・安定供給を担う農業経営体を対象に、直接支援・直接支払制度を導入します」とあったからです。これはどこからどう読んでも、減反を選択制という形で段階的に廃止し、専業農家に直接支援を行っていくという政策です。

_edited_2 ところがこの文言は小沢民主党となることによって変化します。04年マニュフェストで大きく変化をします。そして07年の参院選大勝利をへて、とうとう08年時の民主党「次の内閣」で承認された「当面の米政策の基本的動向」においてはは、堂々と往年の自民党と寸分違わぬことを言い出しました。

いわく「米価下落の大きな要因は、米の需要を上回る過剰生産である。米の過剰作付けを抑制し、需給調整を確実に実行することが、米価安定のため、さらには自給率の向上のための基本要件であることはいうまでもない」・・・要するに現行の減反政策をガッチリ堅持するぜ、ご安心下さい農村の選挙民の皆様、ということです。

そしてトドメは、なんと言ってもあのエグイ戸別農家所得補償政策です。この2本の政策、つまり、減反死守、戸別農家所得補償がワンセットになって、農村の半分強の票を、かの参院選で自民党からもぎとったわけでした。これが1人区である農村選挙区での民主党の劇的な勝利にむすびついたわけです。たぶん今現在の段階で衆院選が行われるのなら、たぶん似た結果となるでしょう。ただし、追加経済対策で自民がかなり農業関係の大盤振る舞いをしましたから、若干温度が違ってきたかな?

まぁ、いずれにせよ自民と民主の政策の差はほとんどなく、言い方が自民が「地方産業と農を守る」とか言って金をバラまけば、民主はもっとダイレクトに農家の所得まで補償してしまおうという所まで来ていることだけおわかりいただければいいでしょう。あ~、ため息がでます。この傾向は昨年末の金融危機以降拍車がかかり、もう止めようもない勢いです。

せっくかく芽生えたMA米の毒米事件発覚と、農水省の実態のあまりのひどさに国民がその問題の根幹にある減反政策に疑問をもった矢先でしただけに、私は残念な気持です。そのあたりを次回以降もう少しお話したいと思います。

2009年4月 8日 (水)

小犬のようなガキはまだ死んでいない! 西原マンガを読んで

_edited 夫婦そろって西原理恵子の昔からのファンである。彼女の「恨ミシュラン」から、「できるかな」を経て、今の「毎日かあさん」(毎日新聞社)はサイコーである。

これほど笑えて泣ける漫画も珍しい。彼女の夫のカモが亡くなった時に、息子が言った「お父さんは脱走の名人だから、大丈夫さ、天国から脱走してくるよね」という台詞を読んで、不覚にもカミさんと共に本気でわんわん泣いてしまった。

保育園の娘も絶品である。まだ存命だったカモ父にしっかり「女の媚び」を作っている。「おとうしゃん、わたし何を口に入れているんだぁ~」、そして父親にチュ。こりゃ父親には必殺技であろう。それを母親のサイバラさんは、「知らんうちに、女の上級単位取得!」と評する。リエゾウさんとカモの子供なのに、どっちにも似てない気がして、それもまた楽しい。娘なのに同じ女として女のずるさやしぶとさをスルドク鋭く評するおかあさんがいい。

それにしても、男の子の生き生きしている様はどうだ。意味もなくクラスのバカ5人組と走り回る。そうただギャハハーと走り回っているだけなのだ(笑)。芸も曲もない。競技でもカケッコでもない。うちのワンコロの黒犬兄弟も、小犬の頃はただお互いに必死に追っかけ回してたなと思い出した。まぁガキに意味なんぞ、ないやね。そうでなくちゃぁ!ガキが意味なんて小賢しいものを持ってたら、そりゃ反則つうもんだ。

時には、バカ5人組はただ穴をギャハギャハ言いながら掘っていて、泥だらけになっている。ヤキソバの落ちた家庭用のビニールプールを友達とゴクゴク飲んで「うめぇ~!流しソウメンみたい」と叫ぶ。バカか、おめぇら!そう、バカなのである。少年というバカなエネルギーがふつふつと湧いて出てくる立派なバカなのである。好きだなぁ・・・!

果てはウンチョを我慢しながら往来を帰ってくる。ガマンできずにプリっと短パンの裾から放出してしまう。近所の人はそれを犬の糞と思ってチラシを貼る。「犬の糞は持って帰りましょう」。ちゃうねん、人様のガキのモンですが。時にはガマンの限界に挑み、自宅の前を行き過ぎてしまう。2時間めからビチグソを垂れたまま、遊んで帰ってくる。おかあさんの忠告。「学校でチビったら一生ウンコタレって呼ばれるゾ」。実にリアルである、ぶはは!すまん、もう笑うしかない。こんなバカな笑いは男の子か、それを育てたおかあさんと、かつてバカだった男の子しか分かるまい。

Photo まるで小犬だ。それも泥だらけの小犬だ。きっと抱きしめるとプーンと洗っていない犬のような匂いがするガキ共だ。自分の生命力をどう表したらいいのかわからずに、ただやみくもにブンブン走り回る小犬だ。

捨てたもんじゃないぞ、わがニッポン!私はすっかりうれしくなってしまった。これじゃ、まったく私が育った昭和30年代そのままじゃないか。私はこのテのバカなガキは皆んな死滅してしまい、デジタルで食の細い子供ばかりになったと勘違いしていた。まだわが国は簡単にくたばらないようだ、こんなバカなガキのエネルギーがある限り。

今日、うちの農場で半年預かっていた少年が帰っていった。長かったような、短かったような半年。今日は朝からできるだけ平然と日常を演じていた。私なりにつらかったから。別れ際、少年のクリクリしたどんぐりのような頭をみたら、鼻の奥がつんとなった。お前の人生が晴れていたらいいね、という私の好きな送別の辞を心の中でつぶやいた。

この夏にはまたこの農場に帰って来い。待ってるぜ。お前のチャリの脚はすげぇもんな、東京から走ってきな!あ、こら、ハマダさんっち、ぜんぜん掃除しませんなんてバラすんじゃねぇぞ。あ、自分でバラしてしまった。

2009年4月 6日 (月)

日本農業はこうして腐った その4 農業土建立国

_edited 故松岡利勝にとって農業ほど金の成る木はなかったはずです。

年間3兆円以上という農業関係の助成金は、回り廻ってロンダリングされながら地元政治家、農水族の政治資金になっていきました。

多少説明をしましょう。農業と建設関係とは関係がなさそうにみえると思います。ところが農村に来れば、特に冬に来訪されればよくそのつながりはわかるはずです。レンコン畑にはブルが入り基盤整備をし、田んぼにはユンボがうなりを上げて暗渠を掘っています。新たな農道は3月末日をめがけて大ピッチでアスファルトをブン撒いています。もっと大規模になると、ダム建設という数百億円規模の事業で農村とからみあってきます。

日常的風景として、農家は稲刈りの終わった秋から建設業に働きに行きます。そして土建員として春の中頃まで働いて、また田んぼの準備の頃に帰ってくるような循環は農村のあたりまえの風景でした。この傾向は、雪の積もる地方では顕著です。一年の半分を農家として働き、半分を土建業で働く、これが多くの日本農民の姿なのかもしれません。私たちの村など、まだ冬の芹栽培があるだけましだといえましょう。

わが村のように冬に家族の顔を見れて仕事が出来る幸せ、これは本州では特権的な地位だったのです。このように農業と土木業は地方における数少ない基盤産業であり、その双方は複雑にからみあったいわば「地方利害共同体」のようになっているのです。

この農業補助金と旧建設省予算事業の政治風土の上に権勢を誇ったのが旧田中派です。小沢一郎は、師である田中角栄から伝授された建設-農業関係の利権構造をダイレクトの企業献金から、実態のない政治研究会⇒政党支部を通しての迂回献金方式に「近代化」しました。

そしてざる法の政治資金規正法を作ったのも彼です。小選挙区制や政党助成金も彼のプランが現実化したものです。しかし実態は西松事件で明らかになったように、あからさまな収賄を意図した企業献金を巧みに隠すものでしかなかったように、腐臭を放つ自民党政治のリニューアルでしかなかったのです。

_edited_2小沢一郎ほど企業献金の裏表を知り尽くした政治家はいないでしょう。自らの選挙区を「王国」に変え、藩主のごとくゼネコンを顎で使える政治家もそう何人もいないはずです。蛇足ながら、この西松事件で同時に自民党側で名前が上がった二階俊博は、かつて小沢一郎の腰ギンチャクで和歌山でミニ小沢一郎でした。

いずれ触れますが、小沢一郎が民主党の農業政策にさせた農家所得戸別保障政策などは、まさに故松岡利勝農相もどきの農村への銭バラマキ方針以外の何者でもありません。あの民主党の農業政策のどこがリベラルなのか私には皆目見当もつきません。あれは小沢による旧田中派の土建屋立国へのあからさまな回帰でしかないのです。

自民党がどうの、民主党がどうの、松岡が、小沢が、二階がという問題では既になく、このような利権巣窟の沼地のごとくなったわが日本の農業をどこかで甦らせねばなりません。それなくして、自給率の向上もコメの防衛も空論にすぎません。

 文中敬称略

■写真はイグアスの煙る大瀑布(撮影はあの人)

2009年4月 5日 (日)

日本農業はこうして腐った その3 故松岡農相の巨額使途不明金と自殺

_edited 助成金で機械を買った、倉庫を建てたなどというある意味使途が分かるものはまだいいというべきでしょう。最悪なのは、巨額の金がドロンと「消えてしまう」という世にも奇怪な四次元的現象が多発するのが、わが農村地帯なのです。

ウルグアイ・ラウンドによる農家補助金は当初3兆5千万円だったものを、故松岡利勝前農相が切り込み隊長のようなまねをしてどさくさで実に倍の6兆円にまでに上乗せしたしたのでした。そして、この6兆円はどこに行ったものか、なんと気が抜けることには、そのごく一部しかわからないのです。

減反補助や転作奨励、水田基盤整備に使われたのはごく一部、大部分は使途不明に近い闇の中に消えていました。なぜなら故松岡氏の剛腕による一種のつかみ金のような性質だったからです。

松岡氏の農相在任中の自殺という衝撃的な事件の背後には、緑機構からの収賄容疑のみならず、この巨額のウルグアイ・ラウンドにまつわる裏金に東京地検特捜のメスが入ることを恐れたものだとすらいわれています。氏の不可解な自殺により、この巨額使途不明金は永久に封印されてしまいました。

安倍氏も、よりによってとんでもない人を「美しい国」づくりの起点に据えたものです。

■写真はアルゼンチンのペリトモレノ氷河(撮影・世界辺境漫遊が趣味の人)

2009年4月 4日 (土)

日本農業はこうして腐った その2 農業、かくも幸福な稼業?

_edited 旧聞になりますが、一昨年、遠藤農相が辞任しました。わずか数日間の任期でした。赤城氏、故松岡氏と並んで続けざまに3人です。私はこの事件でとても憂鬱になりました。

自民党のワルの首が 取られて民主党政権が接近してメデタイなどとという気分には到底なれないのです。

皆さん、この事件でなにを感じられましたでしょうか?自民党政権の腐敗?いえいえ、そのような表層のことだけではなく日本の農業そのものが根っこから腐っていることをお感じになりませんでしたか?

なぜ、かくも農相ばかりに不祥事が続発するのか、しかも今まで比較的に地味だと思われていたこのポジションに続発するのか。3回連続というのはタダごとではない。

日本農業は金まみれです。これほどまでに税金が注ぎ込まれた産業分野は他に知りません。あきれるほど多種多様な戸別農家への補助金、巨額の基盤整備事業、農業団体や農業共済団体への補助などは他の産業には見られないものです。

都市の商工業者で、そうですね、たとえば板金プレスの町工場が機械を買い換える時に補助金がつきますか?運送業者がトラックを買い換える時に補助金がもらえますか?国民金融公庫や信金にお百度参りをして融資をもらっています。それどころか少し前までは貸しはがしなどという目にもあってきました。多くの商工業者は買い換えのための資金を積み、コスト計算をして経営をしています。

町工場の親父が、機械の8割はタダになるよ、いや倉庫だってほとんどタダだよ、同業者のハンコを借りてきて組合をデッチあげて、いったんもらっちゃえばあとは監査なんか事実上ないよ、と聞いたら目を剥くでしょう。こんな馬鹿げたことがあった、いや今でもあり続けているのが、わが農業の世界です。

_edited_4 農家の倉庫に行ってみて下さい。仮に大きなトラクターがあるとしますね。そのトラクターには「平成○○年度農業基盤強化促進事業」だとか補助事業の名前が書いてあるかもしれません。あるいは書いていなくとも、近代化資金や、そこに跡取りがいるなら多くは後継者資金で1%、ときには0%利子(!)、しかも2年据え置きつきで買ったものも多いのです。

それどころか、倉庫自体も近代化資金で半額以上の補助をもらって作ったものかもしれません。やれ、家畜糞尿が社会問題だといえば「家畜糞尿等適正処理事業」(仮名)ナンジャラなどという補助がでて搬出用トラックがほとんどタダで買え、それを耕種農家に置かせてもらう堆肥場がいるとなれば今度は農家の側にも補助がつき、切り返すタイヤシャボが欲しいとなればこれまたタダ同然で買ってもらえる。このご時世にこんな「幸福」な業種はほかにあるでしょうか?

このやり方は実に簡単です。3軒農家が集まってハンコを借りて組合のひとつでもデッチ上げ、それを受け皿にして補助金を呼び込むだけです。もらった後は、形式的な監査しかありませんから事実上私物化しても誰も文句は言わない。酒を一本もっていって、別な時に自分のハンコを貸してやるだけです。

どうして年間売り上げが多くて1000万円かせいぜいが2000万円ていどの農家が、アタッチメント(付属品)まで入れれば800万円以上もするトラクターを買えるのでしょう。もし、真剣に農家経営の回転を考えたら、そのような重装備が経営破綻をもたらすのは目に見えています。にもかかわらず、できてきた、それをやらせてきたのが補助金農政なのです。

_edited_3

わずか1反、2反の水田に6条植えの田植え機やコンバインを皆が買い込み、年に数日しか使わず、いつもは自分は街に働きに出かけている。農家をやるのは年間に1週間ほど。こんな農家ともいえない「農家」を増やしたのもまた減反という形をとった巨大農業トラストです。この減反政策を維持するためにMA(ミニマムアクセス)米を買い込み、それを100億円に近い税金を投入して保管しているというのも、また形を替えた助成金と言えるのではないでしょうか。

あるいは、減反と引き換えに転作奨励の大豆や麦を植えるだけ植えて、手もかけず「捨て作り」にしてたいした収穫にもならないが、できようとできまいと国が所得補償をしてくれる、こんな経営ともいえない農業経営を許してしまったのも同根です。

そして、転作奨励の大豆栽培のために多くの汎用コンバインが助成金で導入されました。それの末路をご存じでしょうか。大部分が、ろくに使われもせず、手入れもされずに、クモの巣だらけで農家の納屋でスクラップになっています。こんな農業機械が一体わが村に何十台あるのでしょう。見当もつかないほどです。

このようなことを1960年代以降綿々と50年間、2世代に手が届く長きに渡ってやって、農民がダメにならなかったらかえって不思議です。今や日本農民には何か国が「してくれて」あたりまえ、いったん補助が切れると泣いたり怒ったりするという奴隷根性がしみついてしまいました。まず、自らの足で立とうとする前に、補助金を頼りにして、自前の経営を組み立てる前にハナから税金の補助金を当て込んで考えてしまう。

日本畜産の自立を掲げた飼料米作りなどの飼料自給運動すらもが、当初から行政の助成金をコスト計算の中に折り込んでしまっている始末です。実に4割もの助成金を貰いながら、「自立」を語ることのおかしさに気がつかないのです。やんぬるかな。

農水省やJAが産地指導と称してなにを作れ、産地形成しろというと、自分でマーケティングもせずに盲従してしまい、失敗すると農政を恨んででしまう。いつから日本農業は、自立した農業経営者の魂を失ってしまったのでしょうか。この砂糖菓子にむらがるアリのような貧困な精神を捨てない限り、日本農業の自立など百年清河を待つというべきでしょう。

■写真はアルゼンチンの霧に煙るフィツロイ。中はイグアスの滝。下はブエノスアイレスのボカ地区のカミニート。(カミさん撮影)

2009年4月 3日 (金)

日本農業はこうして腐った その1 JAは日本農業そのものである

_edited 皆さん、こんにちは。

オーロラ・ヨーコ女史噺が続いたので、ちょっと離れましょう。

今日から、日本農業の陰の部分をお話しようかと思います。かねてより、メールマガジン「オルタ」主宰者の加藤様から、山下一仁氏の「農協の大罪」(宝島新書)の書評を要請されていました。

実は本著は、農業関係の本の売り上げ第1位です。かのJA準機関紙である「日本農業新聞」の読書コーナーにも第1位と記載されていますが、農業内部の人間にすれば当然といえば当然ですが、早くもわが農業業界では一切触れられることのない本と化しています。

それはJA全農とうという世界最大規模の農協組織、そして農林中央金庫という世界屈指のメガ金融機関の虎の尾を踏みたくないからです。

JAは紛うことなく日本農業の背骨であり、それが故に日本農業の矛盾の縮図でもあります。なぜ、日本農業の自給率がひどいことになっているのか、なぜかくも低い生産効率なのか、なぜWTOの場でコメの関税700%超という高関税を守る代償に、MA米を大量に買わされねばならないのか、それとコメ農家の大部分となってしまった兼業農家がどのように関わってくるのか、減反という前時代的な生産トラストをなぜ維持しなければならないのか、そして離農や高齢化といった内部崩壊がなぜ止まらないのか・・・・。

これらすべての日本農業の欠陥にJAは深く関与しています。そしてこのJA-農水省-農水族議員の鉄の三角同盟が、日本農業の構造です。が、故にJAを語ることは、同時に日本農業そのものを問うことと同義なのです。

これから何回かに分けてこの日本農業の矛盾に満ちた構造をお話していきたいと思います。

写真はアルゼンチン・グレーシャー国立公園のペリトモレノ氷河(撮影カミさん)

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