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2009年4月12日 (日)

減反・この日本農業の宿痾 その1 自給率向上を唱えながら、米を作らせない不思議

_edited_7                                                                                                                   春の番組改編期には「世にも奇妙な物語」という私の愛好番組がありますが、この中の一編にぜひ入れて欲しいものが「米を作ることを制限しながら唱える自給率向上運動」ですね。

うん、なんか変でしょう?あまりにも長きに渡って日本人がやってきたので、この奇怪さに鈍感になってきています。

大昔、1970年代の最初の年だったですか、まだ高3だった私は、千葉県成田市に国によって破壊されかかったある村を訪れました。思えば、これが私の初めての農業との出会いとなりました。その時に出会った若い農民たちは、農民放送塔という拡声器を取り付けた丸太の塔をぶっ建てていたのです。

それの手伝いをしたのですが、その時に農村青年たちが熱く語っていたのが、こんないい農地に勝手に誰の相談もなく空港を建てることを強要する国の姿勢のおかしさに並んで、減反に対する煮えくり返るような怒りでした。当時ゲンタンなんて単語すら知らないヒヨッコの私に、この芝山の若い農民はこう話してくれたことを思い出します。

「2割減反を国が勝手に決めて、集落請け負いにして締めつけて来る。イヤだと言えば、親戚が来る。一緒に用水を使っている隣組も来る。言うことは一緒だ。な。ぁ、モンチ(強情)言わねぇで、皆に従ってくんろ、だ。冗談じゃねぇ、2割毎年減反してたら5年でなくなるっぺって追い返した。減反を飲むような奴は、農業したくない奴だから、そいつらから空港賛成に崩れていったっぺさ」

そう言って彼らは陽気に建てたばっかりの丸太の農民放送塔に大きな垂れ幕をブラ下げました。それはアンポ粉砕でもなければ、空港反対ですらなく、「減反を日本農民を代表して突っ返す」という内容でした。この垂れ幕の檄は大きな反響を呼び、全国各地の農民がテレビの前でやんやの拍手を送ったそうです。

その後に、残念ながら空港反対闘争は左翼過激派に乗っ取られたようになり、このような生々しい農民の怒りは次第に消えていき、空疎な政治スローガンばかりとなって行きました。当時から50年、すでに半世紀有余の時間、日本農業は「減反」という世にも奇妙な農政に支配されて変質を遂げていったのです。

Img_0027_edited_edited_2自給率の向上を唱えながら、「米を勝手に増産するな。手を抜け」と言う奇怪さにいいかげん日本人は気がつくべきです。一方で、「米を食べることが自給率の向上だ」という食育を提唱しながら、一方で農家に「米を勝手に増産するな」と世界最大の農業生産カルテルを他ならぬ国が強制する矛盾を直視すべきです。 私は戦後農政の最大の失政は、減反にあると思っています。日本の農家のやる気を削ぎ落とし、ただ作れば国が全量買い上げてくれるような張りのない農業にしてしまったのも、この減反というまさに悪政が根っこにあります。

転作奨励でうまい汁を吸う習癖を農民に教えたのもここが始まりです。一年に10日間に満たない米作りで農家を名乗っていて、実態は市役所やJA、あるいは町場の勤め人をしているような「本籍農家、現住所勤め人」という奇妙な兼業をはびこらせたのも、この減反政策が原因でした。

人を殺すには刃物は要りません。人としての仕事の誇りを砕けばいいだけです。

日本農民は、かつて自分たちが泥にまみれで作ったこの米こそが同胞を食わせているという誇りを打ち砕かれ、半世紀の時間をかけて減反制度の中にちんまりと安住し、補助金に寄生する「半農民」に徐々に成り下がっていったのでした。このようにして日本農民は脱け殻になりました。それを日本は国家規模でやってしまった。なんと愚かな!なんと取り返しのつかないことを!

よもや21世紀まで続くとは思えなかったこの減反政策は、未だ強固であり、いくどとなく微修正をかけられながらもなくなる様子さえみえません。かくして、日本農民はWTOのラウンドごとにJAに動員されて「農と食の安全を守れ」と書かれた鉢巻きを締め、ムシロ旗を上げて東京都心を行進します。今年もその光景が見られました。

_edited_8 唱えている「農と食の安全を守れ」というスローガンは、都市の生活者とまったく変わらないものですが、内容は大きく違います。JAがそれを言う時の中身は「WTOでコメの高関税を維持しろ」ということ、その一点に尽きます。コメに700%強という世界最高のウルトラ高関税をかけないと、日本の農業は潰れるというのが農水省とJAの主張だからです。

そしてこの高関税をかけるいわばペナルティとして、WTOでMA(ミニマムアクセス)米を押しつけられていることに触れようとしません。あのような食べることも出来ない毒米を、巨額の税金で外国から買い付け、100億円にも登る保管料を毎年支払っている現実を糊塗するために、「日本の農と食を守れ」などという奇麗事を唱えているに過ぎないのです。

そして今年のWTOの予想される妥結内容は、今までのMA米に更に大量の上乗せをして120万tともなるMA米を買い込むことが条件づけられています。教えていただきたい、仮にこれが「日本農業を守る」条件なら、こんな日本農業など誰が欲しますか?

大丈夫です。日本のコメ作りは仮に高関税を廃止しても続きます。絶対に潰れません。むしろ強くなり、美味しくなり、より安全になります。そのことはかつてこのブログ記事(下記参照)でも検証しました。むしろ減反があることが足かせとなって日本農業をダメにしているのです。この問題はもう少し続けてお話ししたいと思います。

■本ブログの旧記事 

■「日本の米は高いのか?」2008年7月28日

http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_f631.html

■「日本農業が自由化されれば価格が下がるのか?その5 日本にコメを輸出できる国などない」2008年8月14日

http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_3c83.html

■写真はアルゼンチン・ボカ地区の街頭音楽家。下は私が愛する水田風景。

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