専業滅びて、兼業栄える・この奇妙な日本的光景
柿の若葉の緑は独特です。なんとも言えないような透き通った薄い緑色。太陽に透かしてみると、心が日向水のように温まってきます。
さて、昨日自分で書いていて、稲作が兼業農家にとって農業との最後のご縁なのだなということが改めて分かってきました。
私は専業農家だし、25年前に農家になりたくて都会から来たわけですから、兼業に対して理解が及ばない部分がありました。私にとって農業とは、文字通り一から土地を買い、家を建て、鳥小屋を作り、農業機械を揃え、畑や田んぼを野原から作ることだったわけです。自慢話ではなく、それしか知らないのです。
それに対して先祖代々の大きな家を持ち、広い整備された畑や田んぼ、ありとあらゆる農業機械がズラリとあり、後継者ともなろうものなら親から新車とバカでかいトラクターすら買って貰える(←う~ん、だんだんひがみっぽくなってきたぞ)境遇で、農業が出来ないと言うのは、この口か、この口か、くぬくぬと思ってしまいます。
しかし、現に今の村ではそうなのです。グラフがありますので見てみましょう。
先進国で農家戸数が減少する傾向にあることはどの国も一緒です。喜ばしいことではありませんがそれ自体は致し方のないことなのかもしれません。
しかし日本の場合の農家の減少パターンは世界の中で異質中の異質です。1960年代と比べて農業就業人口が4分の1になったのはわかりますね。1196万人から、252万人へ、各種の就業人口の中で、農業の占める割合はわずか4%弱です。
ここまでは悔しいがとりあえずいいとしましょう。問題はその先です。農家戸数は同じく606万戸から、285万戸と約半分にしかなっていません。となると、なんと2006年には、農家戸数が農業就業人口を上回るという椿事が発生してしまいました。
え、農家戸数だろう、問題ないじゃんって。すまんこって、農業統計では「農家戸数」とは農業を専業とする農業者がいない戸数を指すのです。ええい、ややっこしい表現するんじゃなんいよ、まったく!実はかく言う私も初めはなんのこっちゃと思いましたもん。
このグラフで分かることは、今や週末や田植え、稲刈りの時のみ農業をするパートタイム農家、つまり兼業農家(農業所得より他の収入が多い第2種兼業農家)のことですが、パートが本職を上回ってしまったという、なんとも奇妙な農業世界がわが国の農業です。
同時に農地もガンガン減少の一途にあります。61年に609万ヘクタールあった農地が、今や463万ヘクタールにまでなっています。当然GDPに占める農業生産の割合も60年代から半世紀でたった1%にまでなってしまいました。これ以上減ると、コンマいくつになってしまいます。嗚呼。
この兼業が異常に増えて、専業を追い抜き、農業全体が衰退していくという構図は、実はわが国独特のものです。他の先進国、たとえば私が敬愛する痛快暴れん坊ジョゼ・ボゼの祖国フランスと比較してみるとわかります。
同じように60年代から農家数は減少する傾向がありながらも、農業生産は伸びています。とうぜんのことですが、パートタイム農家などというコウモリのようなあいまいな存在は極小です。足腰がしっかりとした根性のあるジョゼ・ボゼのような農家が育ったのです。これをして「フランス農業栄光の半世紀」と言うそうです。「日本農業衰退の半世紀」とはえらい違いです。やれやれ。
しかし、普通に考えるとフランスのほうが常識的なのです。もっとも機械化の進んだ稲作においては、手植えがなくなり、機械植え一本となりました。手植えしているのは貧乏な私たちくらいなものです。今時泣きながらクワで耕しているのは入植時の私たち夫婦くらいなもんです。肥料は重い堆肥や厩肥(家畜糞尿)から、金肥、つまり化学肥料に変わりました。今時堆肥をやっているのは貧窮問答歌の私たちくらいです(←ああ、しつこいこと)。
というわけで、単位面積あたりの労働は大幅に軽減されたはずで、通常の国ではより大きな面積を耕作管理していくことになっていきます。
実際、私たちですらもそうで、入植当時は耕作面積わずか30アールだっものが、いまはいちおう2ヘクタールに増大してきています。まぁ、大部分荒らしてますけど(汗)。私たちのようなグータラはさておき、そのような農地の拡大、経営体質の強化にと日本はつながりませんでした。
なぜなら、1970年から始まる減反政策は、減反をベタ均一に集落に割り当てるということをしたからです。ですから皆、チョビッとずつ田んぼを減らしてしまったわけです。デコ山さんはどこそこの谷津田の奥の方、ボコ山さんは水はけの悪くてこまっていた田んぼという具合に捨てていったのです。それでなくても村の中でアッチコッチととっ散らかっている農家の田んぼに、一律減反を強制すればそのようになります。
さて、農水省の中に脈々としてある二派、小農(小規模農家)堅持派と、日本農業の強化を目指す「集中と選択」派の確執がこの減反政策の背後に存在したはずです。
小農派はベタ一律減反をすることで、痛みを分かち合う方針を考えたのだと思います。村と字(あざ)の共同体でそれを背負って、皆んながんばって米価を維持しようや、ってところでしょうか。
一方、「集中と選択」派は、この減反のプロセスをやる中で、必ずふるいにかけられるようにしてダメ農家は田を手放して、それがやる気のある農家か 借りて時間をかけて集約されると考えたのだと思います。
そして、笑えることには両派ともその目論見は破れました。なぜなら農家は田を手放さないで兼業にドーっと走り去っていってしまったからです。小農は食えないので小農のまま真っ先に兼業に走り、一方やる気のある農家は営農意欲を削がれて、これもまた農業から去っていきました。
本来なら、この田んぼのこの部分を1ヘクタール、ここを1ヘクタールと計画的に整理し、それをやる気のある農業者に一括して貸し出すような農政であれば、70年代の終盤には農家体質はそうとうに強化されていたはずです。
しかしそうはならず、一律減反をし、しかも減反の痛み止めとして減反奨励金という飴までつけて!
農家は揃って体質強化には向かわず、減反奨励金の飴を頰張りながら町に働きに出てしまって兼業化まったのです。こんなことをやっていて、しかもクルクルと3年ごとに思いつきのように変化する猫の目農政を半世紀やってしまえば、まぁ日本農業は瀕死状態になって当然すぎるほど当然でしょう。農水省は日本で最低レベルの脳死官庁です。
かくして、今でもまったく状況には変化ないどころか悪化の一途を辿り、とうとう票ほしさに農家の所得補償までしてくれるという民主党の政策まで登場する始末です。今までの自民党農政は、とりあえず生産にかかるコストを助成したものでしたが、民主党は農家の財布にお金を直接入れてくれるのだそうです。ありがたくて涙が出そうです。民主党にとって農家はもはや乞食に見えるようです。農業は福祉分野か、安楽死をさせたいのか、馬鹿にするのもいいかげんにしてほしいと思います。ああいかん、今日は素で怒ってしまった(苦笑)。
このような兼業農家にとって米作こそが農業とをつなぐ最後の絆であることはまちがいありません。減反政策が終了すると同時に、日本の兼業農家は一挙に消滅してしまうことになるでしょう。これをどのように評価するのか、私も今悩んでいるところです。
いずれにせよ、2006年の専業農家数約250万人は、まちがいなく10年後には120万人レベルまで減少してしまいます。これは年齢的に避けられない事態です。この私ですら青年で入植して既に25年、もう中ブルです。昨今、あっちこっちの部品が故障しています(とほほ)。
新規就農者がどんなに増えようと、100万人のオーダーで増加することなどありえない以上、不可避です。それに伴って当然のこととして、耕作放棄地も激増するでしょう。放棄するスピードに新規に耕作する手が追いつかないからです。
たぶん農業は土地の所有と耕作権の分離という時期の前段にあり、好むと好まざるとにかかわらず、農業生産は法人形式に移行していくでしょう。そして小農主義は農業経営ではなく、農的ライフスタイルとして生きつづけると思います。
これから農業の大変革の時代が始まります。今回の農地法改正は、従来農家のみにしか許さなかった農地の売買をそれ以外にも認めました。かくして一般企業の参入が始まります。今はその前夜です。農業を農村の中でしか見てこなかったツケを、私たちは払わされることになるでしょう。
そんな時に、私たちは所得補塡飴などしゃぶっている暇はないのです。
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