ブログ仲間のうれしさ・ゆっきんママのリビングと余情半さん劇場
まずひとつは、「はぐれおいどん余情半」、そして「お野菜を食べよ~ん」のゆっきんママさんのブログだ。
それから一年。同時期にブログを立ち上げたゆっきんママさん、余情半さん、そして私、一年たつとかなり性格がはっきりしてきた。
ゆっきんママさんは、午後のゆったりとした彼女のリビングでの気持のいい友人との語らいの部屋だろう。そこでかもされる温かい会話、家族のことや、畑のこと。空の綺麗だったこと。そして細やかな家庭料理やお菓子。
だから彼女のブログという部屋にくると、私はほっとする。身軽になる。重い上着を脱いでお茶を飲み、会話に加わる。
唯一の心配は、彼女がそのうちカリスマ主婦でブレークしそうなことだ。栗原なんとかさんみたいに。ゆっきんママさん、第一美人だし。今のうちにサインをもらっておこう。
もうひとりの同期生余情半さんは、たぶん小劇場。
脚本、監督、助演、時に主演までしてしまうようなちいさな個人劇場。
たとえば、アルバムを広げて、懐かしむようにその一頁、一頁をめくる。そこからそのひとが生きてきた道が赤々と照らされる。夫婦のたどった道とか、子供との道とか。あるいは会社との涙と汗の道とか。
私だったらそれを論説にしてしまう(苦笑)。時代の解説をしたり、その小状況を「説明」してしまうだろうと思う。おほん、私はちゃんと自分の欠陥を知っているのであるぞ。
もちろん余情半さんは鋭く分析するのだが、私よりもう少し体温が温かい。
このあたりはもう体質としかいいようがない。もし私が鹿児島で育っていたのなら「議を言うな!」と張り倒されまくっていただろう。亡くなった父親からよく言われた。それは今でも耳にこびりつく。
「弱い者にはやさしくしろ!ダンシはギばいうな。チェストひっ飛べ!」
余情半さんの部屋(ブログ)は、小津安二郎のような生活のひだに織り込まれた哀しさや喜び、呻吟する庶民の怒りと共感。
奥さんの箪笥の話は、鼻の奥がツンとなった。古女房をどう話していくのかで、「男」の重さが決まるとすれば、彼は重い。そしてそれは彼の情の重さなんだろうかと思う。
■「お野菜を食べよーん」http://oyasai-tabeyon.no-blog.jp/
■「はぐれおいどん余情半」http://kantannihasinjinai.blogspot.com/
■追記 え~すいません。ゆっきんママさんのブログは私よりもう一周先の2年めでした。余情半さんご指摘をありがとうごだいます。
« 専業滅びて、兼業栄える・この奇妙な日本的光景 | トップページ | サクランボが色づく季節 »
まぁ!
うれしい♪
でも・・・
もしかして褒め殺しかしらん?
投稿: ゆっきんママ | 2009年5月17日 (日) 15時32分
いまどきの居酒屋は「こジャレ」ています、つまり雰囲気が上手に演出されています。しかし肝心の食べ物は、これはほとんど調理済み加工品、ホントの厨房は中国でしょう。でなければチェーン店はできません。こういうところは仕事や付き合いでしか行きません。
『旬を使って、手作りで、器もよくて、洒落ている。おふくろがつくってくれたような懐かしさもあるのに、こんな切り口もあるのかと今様で創作的でもある、そして素材(お野菜)への思いやりもある、そんな居酒屋があれば正当に繁盛しそうです。世代を超えたご婦人方が集う「しゃべり場」で、隅っこにおいしいもの食べたさで、チョコンとお邪魔している「おっさん」をして、ときどきこちらを向いては、いただけるママさんのお愛想に舞い上がりたい。』
…とか、考えていませんか。
ゆっきんママさんの件(くだり)は同感。そうか、サインか…。ただ、あちらは先輩、このあいだ2周年を越していらっしゃいます。お祝い書き込まなかったですか?
我が方のことは買いかぶり過ぎ。「木に登りそう」で高所恐怖症のおいどんとしては危険でごわす。たんなる独り言、つぶやき、ひところはやった「ぼやき」のたぐい。恐縮…。
しかし、こちらのブログは異論な人もコメントしてくるし、だいたい人生の実践の量と質が違う。一目も二目も置かなければならない。…かと思いきや、アップがなくて何か篭ったかな、病かなとなれば、ご婦人方のそれとない励ましが波状的にはいっている。匿名さんにも御婦人方にも業者のかたにもなかなかの人気ではありませんか。
よいしょっと、どっこらしょ。
私の旧式のパソコンではなかなか開かない重たいブログ。
投稿: 余情 半 | 2009年5月17日 (日) 17時07分