農地法改正 街から農業をしに来たと言っても信じなかった法律・農地法
農地法が改正されました。まぁ、もうかれこれ5、6年以上前から内容の原案は出ていましたから、逆に「お、まだ改訂されてなかったのかい」というのが本音です。ですから、村うちでも別に取り立ててなんという反応もありません。
今回の農地法の改正については各紙が報じていますから、細部についてはお読み下さい。要するに、「企業の参入がゆるやかになった」ということです。あとは、参入企業に耕作者がいること、農地転用がかえって規制強化になったようなことが歯止め的な条項としてついています。
さてそうですね、もう27、8年前にもなりますか、沖縄から帰っての百姓修業時代に玉造農場というところに2年間ばかりお世話になったことがありました。ここは街の帰農したいという若者が必ず立ち寄る農場でした。それはまさにネットワークそのもので、インターネットもない時代に、芽生えたばかりの農の拠点を頼りに多くの若者が旅をし、農作業や祭に加わっていきました。ひとつの場所で宿をやっかいになり、翌日にしっかり農作業すると次の行くべき場所を教えられました。
当時、私たちはそれを社会システムからひからびたプラグを抜いて旅する旅人のための「光のネットワーク」、あるいは「ヤポネシア・ハイウエイ」とよんでいました。
また成田空港にも近かったためにインド帰りでリハリビ滞在する奴とか、外国から来るヒッピー(私たちはフリークと呼んでいましたが)の人達の日本最初の宿としてもかなり有名だったようです。農場の便所 の中から出てきたのがゲーリー・シュナイダーだっりしたような農場でした。こんな話をし出すときりがありません。そのうちゆっくりと。
玉造農場は街の有機流通会社というもおこがましい、その原型のようなJACという会社(*現ポラン広場系の元祖のそのまた元祖)が出資したものでしたが、その時に行政ともめました。なんでか?なんと「企業は農地を取得できない」のです。
ゲ、です。お百姓になりたくて農村に来た若者はショックでした。おいおい、企業ったって三井物産じゃないぜ、しょぼい若者のビンボー企業だ、なんせポケットに千円もないフリークがやってんだぜ(ため息)、農業が好きな連中で作った会社なんだよ(涙)!その仲間が農業しに行ってなにが悪いんだ(怒り)。なぜ街の人間や会社には土地が買えないんだよォォ!(エコーつきの悲鳴)
そうです。新たな農家を作らせない法律、それが農地法だったのです。
(続く)
■関連旧記事
●なぜ、日本農業は大規模化できなかったのか?4回シリーズhttp://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_4dc5.html http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_049b.html http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_a70f.html http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_5a59.html
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