拝啓、吉野家様 その1 牛丼が消えた日を忘れません
牛丼、24時間バッチコイの状態になられたようでおめでとうございます。その間にすき家にだいぶ差を着けられたようですが、奮闘をお祈り致します。 同じファーストフードでもマックのパテと称する薄っぺらなダンボール味の板はわが家の犬もまたぎますが、あなたのクズバラ肉(失礼)から作ったとは思えないジュシーな味、飽きのこない味つけ(さすが学生時代3食食べた時は飽きましたが)、そして今や宿敵すき家に差をつけられたものの、そのヤケクソのような安価は同業他社に追随を許さないものでした。 吉野家様。当時、私たち貧乏学生は学校がひけると、群れをなして「ステーキを食べに行くぞぉ」と言っては牛丼を食べ、「食後はストレートコーヒーがシティボーイの決まりさ」と称しては、無料のお茶をおかわりしておりました。当然のことながら、紅ショウガはたっぷり大盛り、だってタダだもん。実にセコイ奴らであります。まこと吉野屋のオレンジTシャツは私たちの青春の胃袋そのものでした。
しかし、今思うと、私が貧乏学生だった頃に食べた牛丼は国産牛肉だったそうです。そして今は全量が米国産に一本化されている。そのことが、今回のあなたの蹉跌につながったのはあまりにも知れ渡ってしまいました。あなたの牛丼280円が私の学生の頃と同額の秘密は、単一国からの原料牛肉の大量買いつけ、大量販売にあったのです。要するに、たくさん外国から買うから、安い。逆に言えば、外国から買わないとわずか3カ月で干上がる、これが吉野家様の社業発展の秘密だったわけです。
思えば、吉野様の店頭に並ぶもので、国産と言い切れるものは店員さんと米くらいなもので、今や店員さんも既に半分外人さんのようですが、味噌汁の大豆は米国から、紅生姜のショウガ、いや、唐辛子でさえも中国からという具合に過半は外国頼みだったのです。とすると、私たちは店の壁にかけてある築地の牛丼ではなく、「アメリカ丼」か「グローバル丼」を食べていたのかということになり、あなたへの愛情が少々冷めてまいります。見た目は一緒でももうあなたは別人なのですね、ううっ(泣く)。 (続く) ■写真芽生え始めた石榴の花。
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