もうひとつ続 農地法改正 株式会社=悪玉の時代は終わった
せめて農業が自らの中に体力があるうちにこそ、農地法改正は有効だったでしょうに、と私はため息が出ます。受け皿としての農家に体力と展望があるうちならば、農地法改正をすることによる異業種や新規就農者といった輸血手術で立ち直ることもできたでしょう。異業種との効果的なコラボレーションもありえたでしょう。
この農地法改正は10年遅かったと私が言うのはそのためです。せめて1900年代に新農基法の改訂と同時に改正されていたのならば、まったく違った可能性を呼び込むことになったはずです。
仮に農地法改正反対派での人達が唱えるように、異業種が農業に参入することで産業廃棄物の捨て場にされる恐れがあるとか、事業をやめてしまった場合に農地に空白ができるとかいった問題は、今までの農地法下でも日常茶飯の出来事だったことは農業委員会自身が一番よく知っているはずです。そしてそのような違法行為を働いていたのがほかならぬ農家自身だったのです。このような反対意見は、単に株式会社=悪という図式を煽っているにすぎません。
このようなことは、それを監視する農業委員会が今までどおりしっかりと監視活動をしていけばいいだけの話で、むしろ地元の利害や感情が入り組む農家相手より、異業種のほうが言いやすいのではないでしょうか。
第一、参入するのは企業ばかりではなく、かつての私のような新規就農希望者も大勢いることを忘れて貰っては困ります。新規就農希望者にとって農地が取得できなかったために、かつての私のように条件の悪い山林原野に入植したり、借りることすらできない人も多いのです。新規就農者を鉦と太鼓で呼び集めておきながら、農地は農地法があるから売れない、お前らは原野に行けはないでしょう!
この農地法改正論議で忘れ去られている新規就農者にとっては、農地法の改正は歓迎すべきことです。私たちの時代にはなかったことですが、今後都市の就農希望者が1円株式会社という形態で農業参入することもありえる時代になってきました。時代は変わったのです。株式会社=悪者で断じられる時代は終わったのです。
むしろ私が真に心配するのは、今や農家が自ら民主党に所得補償金を寄越せと言うような状況、つまり、農家自身が農業は自立した産業ではなく福祉の分野だと言い始めているような中での改正は、一挙に異業種による農業部門の支配へと変わる可能性があることです。これについては別稿にしますが、農業ほど経済行為として可能性がある事業分野は少ないからです。今の農業の衰退は、むしろ農家と農政内部の問題によるもので、農業そのものは沃野であり続けているのです。
(もう終わりにしなくちゃな、でもまだ書きたらないな)
■関連旧記事
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