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2009年7月

民主党の本音 日米FTA「推進」マニフェスト                                    民主党の農業政策の頭脳篠原孝衆議院議員のびっくり発言録

_edited_22 民主党の日米FTA締結マニフェストにあきれて、もうエンザロ村にかえっちまおうかとも思いましたが、やや気を取り直して少々続けます。というのも、このFTA問題は、単なる選挙でどーしたこーしたという目先の話ではなく、日本農業や環境問題のこれからを考える大きな試金石になるからです。

私はそもそも農業と国際貿易はなじまないと思っています。今回の民主党日米FTAマニフェスト騒動を見ていると、一定の論調というものがあるのがわかります。民主党の今回のFTA締結路線を、単なる言い間違えではなく、積極支持する考えかたです。

つまり、日本農業の土着的性格からくる非効率性を論難し、進歩した欧米農業に学べという考えです。これを突き詰めていくと、たぶん、その先には古式ゆかしいデビッド・リカードの比較優位説由来の国際分業論が待ちかまえています。要するに、日本農業は非効率なんだからいっそやめちまって、工業製品をじゃかすか出して、外貨を稼ぐ見返りに輸入農産物一本でやっていけるじゃないか、という極論です。

もちろん、現実の民主党はこんな極論は言いません。しかし、ベースにそのような考えの残香がプーンと漂う時があります。というのは、今の民主党の農業政策を考えた篠原孝氏を現実に知っているからです。

それでは皆さん、前「次の内閣農林水産大臣」である篠原孝衆議院議(現政調副会長・長野1区)をご紹介しましょう。議員とは2007年12月に議院会館で座談会をしています。その時のメモを頼りに、民主党農業政策の頭脳がどのようなことを考えているのかをご紹介しましょう。

A194b862298124637ffec04950d11658_2議員は入室するやいなや、「こんな忙しい日に、迷惑な!」と叫び、貧乏ゆすりをせんばかりにしてまくしたてました。以下、私のような一介の農家が口を挟む余地はほとんどなく、頭の悪い学生が教授にご高説を賜るというかんじであります。のっけから私ども日本国民をバカ呼ばわりです。いやー手厳しい。

■発言録その1 

ドイツ人は賢いが、日本人は馬鹿(ホントにホントにこの表現を使った)で軽く、時々の事件で盲動する。BSEの時も出るやいなや大騒ぎして、一晩で変化してしまった。今の原油高や飼料高が続けばよい。そうでもなければ、日本人は馬鹿だから変わらない」(←国会でぜひ、そのご高説をわれら愚民どもにお話し下さることを望みます)

■発言録その2 

1バレル100ドルを超える原油高が続けば、冬加温している施設園芸は潰れる。旬産旬消(この言葉の発明者だとひとしきり自慢)を実現するにはそのほうがいい」(←わが村に来て、そのご高説を直接農家にお話することをお勧めしたい)

■発言録その3 

飼料を外国から輸入しているような加工畜産(この言葉の発明者だとひとしきり自慢)は今の飼料高でどんどん縮小するだろう。大変にいいことである」(←実際に去年の今頃に農村に来て私ども愚昧な畜産農家に直接そのご高説を説諭されることをお勧めしたい)

■発言録その4


●「
今まではの農業補助金は、全部JAが吸い取っていた。民主党の直接支払いは直接農家の懐に行く。今まではJAに行ったからダメだった。農家に使途目的を問わない金を払っていくのがこの直接支払いだ。何に使ってもいい。パチンコでもかまわない」(←よもやパチンコでもいいという言葉が出てくるとは・・・!もはや大先生の毒気に当てられて、誰も言い返す元気なし。座談会変じて先生ひとりの独演会に)

■発言録その5

●「ヨーロッパの農家など所得の半分は政府から来る直接支払いで食べている。ドイツの農家など皆んな補助金の直接払いで生活しているんだ。それを知らないで直接支払いを批判するな」(←誇りある農家はヨーロッパにはいないようで。進んだヨーロッパ農民の奴隷根性すら大絶賛)

なんともかとも、これがフードマイレージや旬産旬消、はたまた地産地消などの高邁な理念をわが国に初めて輸入したと自称する(*異論がかなりあるようです)人の現実の発言です。自民党には「自民党主義」などというものはありません。現実のままにそれこそブレ続けて、なんとか日本農業を沈めないようにしています。ま、今回は自分のほうが先に沈んでしまいましたが。

自民党農政に対しての批判は私はテンコ盛りです。それは今までのブログ記事にも書いてきました。同様にJAにももの申してきました。しかし、それはあくまでも、日本農業を一緒に盛り立てていこうという気持があればこそです。有機農業と慣行栽培の立場こそ違え、地域農業を共によくしていこうという意志があるからです。

しかし、篠原氏にはそのような共に苦渋に満ちた、矛盾だらけの現実を共有する気持はありません。理由は簡単です。日本人が馬鹿だからです。日本農民が愚昧だからです。石油を炊いてCO2を出すようなハウス農家は愚かであり、外国の飼料を高値で買って家畜を飼うような畜産農家は淘汰されたほうがましだからです。だから、馬鹿者と現実を共有してもしかたがないと篠原氏は考えるわけです。

そしてこのような愚かな日本農民は、政府が金をジャカスカやるからパチンコにでも行っていっそう愚民となり果て、うるさくしないで安楽死してくれ、というわけです。

Img_0033_edited このようにあからさまに民主党の本音を直接耳にした後には、今回の民主党マニフェストは、ある意味非常に分かりやすいものでした。

民主党は自民党内にも希な過激な農業グローバリズムの党だと断じざるを得ません。

選挙の時には、一見異なるようなことを言うでしょうか、それは眼くらましの飾りにすぎません。日米FTAまで言ってしまっては、それを否定することは不可能なはずです。そのマニフェスト文言が、「締結」だろうと「推進する」であろうと本質的にはなんら変わりありません。

私は民主党の農業政策は、小泉-竹中路線の新自由主義に近いものだと理解しています。もし、小泉改革がもう少し続けば、たぶん日本農業の非効率性に手を突っ込んだことでしょう。

小泉-竹中両氏の頭には、JA全農の解体と株式会社化、JA系金融機関の分離、そして農家に対する所得補償というセーフティネットを張った上での大再編があったと思われます。当然のこととして米国との農業市場の統合であるFTAも想定されていたでしょう。そして小泉改革は歴史の審判を受けましたが、今その遺志を継ぐのが、皮肉にもリベラルの仮面をまとった民主党だったというわけです。草葉の陰で小泉氏が浮かべる苦笑が目に浮かびます。あ、まだ生きてたか(笑)。

ここには現実の日本農業の現場から発想し、現場で苦渋を舐めたところから地域農業をどのように変えていくのかという発想はありません。まず、ガツンと愚かな日本農業に一撃を加え、その破壊力をもって、「強い国際競争力を持つ」日本農業を作るとでも言うような外国頼みの破壊の発想です

だからそのための愚か者への一撃には日米FTA締結が有効であり、その外国の巨大な破壊力を借りて、愚民である日本農民を淘汰選別し、パチンコ屋で遊び惚けるていどのはした金で眠ってもらい、その後に「あるべき」日本農業を再建するという段取りなのでしょう

書いていて夏だというのに寒気がしてきました。多くの農業現場で苦闘する民主党候補者の人達は誠実なひとばかりです。先日私が問い合わせた候補者も、夜にわざわざ私に電話をくれて、「ぜったいにFTAなど結ばせないから信じてくれ」と言ってきました。私は彼の地元での泥臭い実践を知っていますから、その言葉を信じましょう。

しかし、このような民主党幹部にいる人達のなんともいえない非人間的な冷たさには耐えきれません。あのような自国農民に対する軽侮に満ちた人たちが、権力中枢に一カ月後に坐っている光景には戦慄すら覚えます。

■写真 出始めた稲の花と国際会議で発言する篠原議員。国会傍聴記by下町の太陽より参考のために引用させていただきました。ありがとうございます。

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民主党の反論いっそう混乱                             日米FTA締結は「推進する」が、農業関税は下げない??

_edited よくわかりません。民主党が何を言いたいのか、私には見当もつきません。はっきり言って錯乱していると言っても言い過ぎではないと思います。
全国紙とテレビなどのマスメディアは、あいかわらず完全にこの民主党FTA締結マニフェスト問題を無視し続けていくつもりのようです。
この中で、「日本農業新聞」一紙のみが、死活問題であるだけに必死の論調を張っています。菅直人代表代行が、記者会見で「日本農業新聞」の質問に答えてこう言っています。
[以下引用]
農産物自由化を否定/民主党が声明、日米FTA公約を事実上修正
掲載日:09-07-29

 民主党は29日、衆院選マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ米国との自由貿易協定(FTA)締結についての声明を発表した。米国とのFTA交渉で「日本の農林漁業・農山漁村を犠牲にする協定締結はありえないと断言する」とし、農産物貿易の自由化を前提にしたFTA締結を強く否定した。
 
 声明は、日米FTA交渉で「米など重要な品目の関税を引き下げ・撤廃するとの考えをとるつもりはない」とも強調。23日にまとめた2009年版政策集では、日米FTAは「推進」の表現にとどめており、政策集の内容に事実上修正した形だ。
 
 

23日にまとめた「2009年版政策集」(2009index)には、日米FTAは「推進」の表現にとどめており、政策集の主旨に沿って、方針を事実上修正した。(「日本農業新聞」7/30)

[引用終了]

一昨日の元「次の内閣」農水大臣篠原孝氏の受け答えも、なかなかすごいものがありました。篠原氏はこう答えています。

日米FTA交渉などありえない話だ。米国側も簡単にのめる話ではない。現場を混乱させるもので、党としての正式な説明が必要だ」(「日本農業新聞」7月29日)

このような農業系議員や農村部候補者の悲鳴に近い問い合わせに答えた、民主党中央の回答が菅代表代行のコメントだったと思われます。

しかしそれにしても、かつての農水省秀才官僚出身で鳴らしたとは思えない篠原氏の取り乱しぶりです。たった2行のコメトントの中に2ツも矛盾していることを言っていることに気がついていないのですから。

_edited_2 まず、鳩山代表が「実現しなければ辞任する」とまで大見得を切った最重要方針である党マニフェストに、なぜ民主党内で数少ない農業専門家である篠原氏が関与していなかったのでしょうか?ありえないことです。

第一、日米FTA交渉は、外交問題ではなく、すぐれて農業問題であることなど賢明な篠原氏に分からないはずもないはずです。元「次の内閣農林大臣」であった篠原氏が知らないようならば、いったい誰がこんな日本農業を壊滅に追い込みかねない路線を決めてしまったのでしょうか?

それを「党の回答が必要だ」などとそらすのは余りに無責任な言いようです。今まで党の農業問題の政策を作っていたのは、ほかならぬあなたでしょうが!それとも現「次の農林大臣」である筒井さんですか、それともあの「名前を言ってはいけないあの人」(笑)でしょうか?確かに「あの人」は、選挙前になるととぼけますが、かつては農業関税全廃論者でしたからね。

次に、日米FTAが締結を目指す交渉に入った場合、まさか日本の農業関税を全部棚上げにして、交渉のテーブルに臨もうなどと虫のいいことを考えていらっしゃったわけでしょうか。日本のコメの700%を超える世界最高の高関税が、まったく議題に登らないとでも!

いや、そう思っていたから「米国は簡単にはのまない」と篠原氏はおっしゃるつもりなようです。ならば、そもそも日米の二国間でFTAという、排他的無関税交渉などやり始める意味すらないではないですか。

「米国は飲まないに違いないから、FTA交渉をやってみよう」というなんとも訳のワカラナイことになります。実際、菅氏の回答はそのような答えにもなっていないその場しのぎのものです。「締結」と「推進」とどう違うのでしょうか?内容は混乱していても、言葉尻を変えればいいという姑息なものでしかありません。

で、かえって状況を悪くしてしまいました。こんな混乱した無責任な党の答えをもらって、地元の民主党候補者はなんと有権者の農民に答えていくのでしょうか。「日米FTA締結のマニフェストは正しいのですが、農業関税は下げませんからご安心を」ですか!

まったくあなた方民主党は、農民をなめていますね。あのマニフェストもそうですが、それに対する批判への回答も不誠実な言い逃れです。これでほんとうに政権党になるおつもりでしょうか。小沢流の政局第一、政策は政権を取ってから考えるというツケが早くも回ってきたようです。

■日米FTAマニフェスト「締結」の民主党の抱腹絶倒のコメントはこちらから。自分たちがなにを書いているのか分かって書いているのでしょうか?率直に言って、ひとつの政党がこれほどまでに居直りと責任転嫁、言葉のすり替えに終始する「声明」を、私は知りません。

http://www.dpj.or.jp/news/?num=16686

■3日続けて民主党の仰天マニフェストを取り上げましたが、どんどんと心が汚くなっていきそうでいちおうここいらで終了して、エンザロ村に明日から戻ります。

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民主党日米FTA締結マニフェストの続報!        農村はテンヤワンヤ

_edited_3 昨日の民主党「新政権」のチュド~ン!の爆弾政策の発表から一夜明けました。

あいもかわらず、地上波、全国紙はだんまりを決め込んでいます。多分なにが問題なのかわかっていないのではないのでしょうか。

民主党のマニフェスト全文は以下です。  http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/pdf/manifesto_2009.pdf

末尾にそれは地味に、7の外交の(51)にちんまりと日米地位協定の見直しに並んで出てきます。日本農業を沈没させかねない政策をこんな文末にちょこんと出してくるなどとニクイですねぇ、くはは。

などとのどかに笑っている場合ではないので、昨日午後に面識のある民主党候補者の事務所に電話してみました。候補者当人は奔走中で、秘書が出てきましたが、「いや、まったく状況が分からないんです。こちらも農業新聞を読んで知ったばかりなもんで。先生もそれで朝から大変で、ともかく自由化なんか絶対にありえない話で、中央に聞いてみないと・・・そのあの、ともかく、ゼッタイにありえませんから、ご安心を」、だそうです。

なにがご安心を、だつうの。届いたばかりの「日本農業新聞」(7/29)は、一面から怒り心頭です。一面、2面、社説、怒りの一色です。今までの民主党に秋波を送っていたかのような紙面作りから、一夜でガラリと様変わりしました。

_edited_4

2面には、前のシャドーキャビネット農相の篠原孝議員のこんな談話が載っていました。「日米FTAなどありえない話だ。(略)現場を混乱させるもので、党としての正式の説明が必要だ」とのことです。しかし、篠原さん、あなたは民主党の農政の頭脳と自負なさっていたはずでしょう。民主党農水族の隠れもしないリーダーのはずです。「新政権」の農水大臣の呼び声も上がる方です。それが自分の党のマニフェストを、「ありえない」なんて言ってしまっては、他の農村部の候補者が何をか況んや、じゃないでしょうか。篠原さんのような枢要な農業議員も知らないところで、このマニフェストが出来てしまったとでも言うのでしょうか。

そしてそもそも、篠原氏が提唱してきた農業直接支払い制度、今は名を変えて農家戸別所得補償制度とは、関税で輸入農産物をブロックするではなく、それで発生するであろう農民の所得の損害を直接支払いで補塡していこうというのが本来の主旨だったはずです。直接支払い制度はどこからどう見ても、今の農業の衰退の現状に対しての政策というより、WTOやFTA締結を見越しての政策だったわけで(*これについては氏は否定)、それを選挙前だからといって持論を引っ込めるのでしょうか

つまり、「ありえない」どころか、そもそも農家所得補償制度それ自体が、農業の全面輸入自由化があって成立するものだということを篠原氏はよくご存じなはでず。なぜなら、それが氏が熟知しているEU域内自由化がなされた時に、欧州各国が取った政策だったからです。

私は篠原議員と永田町の議員事務所で対談したこともあり、氏からわたされた膨大な資料も読んでいますので、私のこの理解で間違いないと思いますが、いかがですか、篠原さん?

民主党は明解にこう言うべきでしょう。「民主党が政権を取ったら、輸入農産物を全面自由化をする。そのために出た所得の損害は農家所得補償制度で救済する」と。

ただし、その場合の損害はたった1.4兆円などという定額給付金にも満たない金額ではありえるわけもなく、その数百倍となることでしょうが。

今、民主党の農村候補者はパニックのようです。「農業新聞」は今日の社説で、かつて小沢民主党の時代に「農産物全面自由化」を打ち出したことをやっと思い出したようです。そして地の記事でも「日米FTA締結について、充分な説明ができるかが、農村票の行方にも大きく影響がでそうだ」と結んでいます。

まぁ、そのとおりでしょう。現在、まったくデレビ、新聞で報じられていませんが、この数日で農村部にはくまなく知れ渡り、農民は不安を募らせることでしょう。民主党は前回の参院選で1人区、つまりは農村票の雪崩的な民主党への流れで大勝したことを忘れてしまったのでしょうか。

ほぼ確実だった「民主党新政権」の行方は、この「ありえない」民主党の農業マニフェストにより農村部に関してはまたもや不透明とあいなりました。

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民主党、米国とのFTA締結をマニフェストに!   「一回変えてみよう」の代償は巨大

_edited 一般紙では報道されないと思いますが、大ニュースです。今日の朝刊を取りに行って、大見出しをみただけで、ズッコケそうになりました。ああ、危ねぇ。

民主党がかねがね直接に農家にお金を恵んで下さるという農家所得補償を農業政策の目玉にしていたことはつとに有名です。これについての私の論評は避けます。

あ、いちおう言っておきますか。愚民化政策の極です。これで日本農業は骨抜きになることでしょう。

これは民主党の他の農業政策である、農地の集積化を止めるという方針と一対になっていて、農業の中で体力を強化していくのではなく、いわば、もうあんたがた寿命なんだから、おとなしくお国から金もらって消えていってね、という発想です。

これもスゴイが、今回のマニュフェストに盛り込まれた新政権(と言ってもいいでしょうな)の政策はものすごいの一語に尽きます。本日の最新版「日本農業新聞」によれば、米国とのFTA(自由貿易協定)を「締結」することを、民主党はマニフェストに入れたそうです!

これが自民党の政策だったら、上を下への大騒ぎです。内閣のひとつも飛びかねないことです。漢字の読み間違いがどーしたとか、「80以上は今さら遅い」などというどうでもいいようなお笑いレベルではない根本的に日本農業の死を直接に宣告しかねない政策を民主党は堂々と出したことになります。

FTAを米国と締結することは、非常にシンプルなシミュレーションを描くことができます。米国の輸出品が排他的に無関税で入って来ることを意味します。つまり今さら、米国の工業製品、そうですね、たとえば車などが日本に無関税で入ってもなんということもありませんが、農産品はまったく違います。

_edited_2豚肉、牛肉、小麦、、乳製品、そして米がノーガードで日本に流入することになります。既に現在米は輸入量の50%、小麦60%、豚肉40%を独占している米国は、このFTA締結によって圧倒的に日本市場を独占することでしょう。

このFTAが締結されれば、もはやWTOでコメの交渉をしていることすら無意味になります。そうでしょう、日本に唯一コメを輸出できる質と量を持つのは米国以外に存在しない以上、米国と無関税条約を結んでしまえば、ま、これでWTO交渉はゲームオーバーですな。わが国が韓国だったら、さしずめ明日あたりから農民が街頭に繰り出しての 過激デモ炸裂というところでしょう。

それにしてもものすごいことを言い出したもんだ。日本の農業関係者は今日は一斉に緊急会議でしょう。特にJAにとってこれは計り知れない大打撃を呼び込むマニフェストですから。

まぁ、農家個々に直接支払いをするという政策そのものが、JAを迂回したものであることは常識ですし、民主党の農業系議員は「政権をとったら、JAは弱体化させる」とまで公言していると聞きます。(*)

私は単に直接補償だけではそれは無理だろうと思っていたら、とうとう駄目押しが出たというわけです。それが米国とのFTAの締結ということになります。これで日本農業は、直接補塡のはした金をもらって、壊滅の道を約束されたことになりました。日本農業にとって「一回変えてみよう」という気分の代償は巨大なようです。

あんまりすごい民主党の政策なので、とっ散らかった記事で申し訳ありません。とりあえずご報告までということで。なにせ一般紙にはまったく触れられもしていないので、もう少し情報を集めてみますね。

*根拠としては以下のサイトをご覧下さい。 

http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/4a9907b64ecef773cff84ec34a9bee8b

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エンザロ村のかまど 消えてしまった電気の灯

_edited_5 葦原微風様、コメントありがとうございます!え~、その方の名前や職業なども書ければいいのですが、なかなか難しいのです。というのは、どうしてもこのエンザロ村の場合と対比させた、ある種の失敗のケーススタディという書き方になってしまうからです。悪い例として挙げるのは、そのお気持が素晴らしいだけに、場所その他をぼやかしたり、やや変えて描かざるを得ませんでした。ご了承くださいね。

では、話を続けるとしましょう。水力発電器は、その方が再訪した時には、壊れて使いものになっていませんでした。設置して半年は順調に稼働して、村の子供たちがその電球の回りに集まって、本を読んだり、絵を描いたりすることができるようになりました。台所にも延長してお母さんの炊事がとても楽になりました。

しかしある嵐の日、大水が出て急流となって谷を奔りました。水力発電器は水流でプロペラ(回転羽根)を回して、それをタービンを回して発電する仕組みですが、突然に来る急流の時には、プロペラが流れを受け流すようになるはずでした。しかし、非常に強い流れだったために、設計以上の負荷がかかってプロペラが飛んで流されてしまいました。

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村人は子供まで一緒になって一生懸命探したのですが 、出てきません。プロペラをブリキを切って叩いて作ってみたりしたのですが、うまく回りません。また、このプロペラをコントロールするために小さな電子部品が使われていました。日本では村の自動車整備工場で手に入るような簡単なものです。しかし、この地ではどうにもなりませんでした。

そしてもっと悪いことには、やがて村人の中に電気を設置してもらった村長を批判する者が現れてきたことです。うまくいっている時には自分の子供も「村長の電灯」で照らされていたはずなのに、こんなことになるとそのような人が必ず現れるのは古今東西を問いません。

結局、村長も村での諍いを避けるために水力発電の器械を納屋に仕舞い込んでしまいました。谷から延びる電線は、メンテナンスをしていなかったのでたちまち各所で寸断されてしまいました。子供たちは、朝は早くから陽がでている間は忙しく親の仕事を手伝い、夕食後の一時の楽しみだった電球の下で集まって絵本を読む楽しみを奪われてしまったのでした。お母さんの台所仕事もまた、ランプひとつの闇の中に戻ってしまいました。

実は私はこの話の続きを知りません。ひょっとすると、もう一度再建されたのかもしれないし、違うかもしれません。しかし、この話はいくつかの第3世界援助の教訓を教えています。次回それをお話します。

(続く)

■写真 カンボジアの蓮(もちろん模造ですよ)の池と僧院遺跡の僧侶。

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エンザロ村のかまど  谷間の村に電気を灯す

_edited このアジアの山中の村に電気を灯したい、そう考えたのは、何回かトレッキングの途中にその村に寄ってお世話になったからでした。

彼は数年に一回トレッキングをするのが生き甲斐で、てくてくと山歩きをしては、その村の村長のお宅に泊めてもらっていたのでした。そしてある時、彼がお土産で持ってきた絵本を子供がランプの乏しい光でかざすように嬉しげに読んでいるのを見て、そうだこの子供たちのために電気を点けようと思い立ったのだそうです。そうすれば、真っ暗の台所の土間で料理をしているお母さんも嬉しかろう、と。

そう思い立った彼は、仲間と語らって考えを巡らしました。まずどうやって発電するかです。下の町から電線を引くのは論外。百キロ以上ある上に途中が険しい山道です。どれだけのコストがかかるか分かったものじゃありません。

_edited_2

で、お次の案は自家発電機でしたが、これは大き過ぎるし、油などの維持費がかかります。これもボツ。太陽光パネルは蓄電装置が大がかりになります。そんなこんなで、結局、その村のそばにある急流を利用する水力発電はどうだということに衆議一決しました。

水力発電といっても谷間の急流に設置するいたって小規模な装置です。これなら分解して搬入も楽だし、金額的にもなんとかなりそうでした。谷間の急流から数百m電線を引けばいいだけです。それからすったもんだ数年がかりで、国内の発電機メーカーにあたって協賛を得て、マスコミを通じて支援を呼びかけて多くの温かい善意の支援にも恵まれました。 そしていよいよ現地搬入と設置です。村人と共に原生林を拓き、電柱を立て、立てられないところは竹に通してつなげました。最初のぼわーととぼけたような電球が点いた時に、それは灯台のように周囲を明るく染めました。彼と仲間は、どうして涙がこんなに出るのか分からないほど、泣けたそうです。

ここまでは実にいい話です。「地球家族」のようなテレビ番組があったら、ここでエンドロールが出てお終いでしょうが、続きがありました。

数年後、この山間の村に行った彼は、まったく動いていない発電機に再会することになったのです。

(続く)

■写真 ベトナムの小学生と働き者の娘さん。

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エンザロ村のかまど                      発展途上国の支援は思ったより難しい

_edited_3 発展途上国の支援といっても幾通りもあります。小学校を作ったり、本を送ったりする教育関係の支援もあれば、私がやりたかった(今後もチャンスがあればと思っていますが)農業支援もあります。

エンザロ村のケースは30年前からケニアに住んでいる岸田袈裟子さんという女性が、1991年から始めたものです。

実をいうと支援というのは大変に難しいのです。先進国の人間は、つい自分たちの生活の価値観で推し量ってしまいがちです。電気がないのをみれば心が痛み、12、3歳の子供の少年労働をみると涙が溢れます。小学校にもいかず、炎天で絵葉書を売る少女を見ると、全部買ってあげたくなります。

それは人としてまっとうな、あまりにまっとうなことなのですが、しかし、それが果たして現地の人のためになるのかとなると、また別な問題なのです。

_edited_2

発展途上国で物乞いをする子供は、よく見かける風景です。その子供に小銭を与えたくなるでしょう。あるいは、無関心を装って「見えないふり」をするかです。しかし、どこかであなたは自分の豊かさに対するやましさのようなものを感じたはずです。

では、その子たちに小銭を与えるとします。子供はあんがい軽くお礼を言いどこかに行ってしまうかもしれません。そして、その代わりに別の子供の大群がケーキに群がる蟻のように押し寄せてきます。

小銭は夕方にでもなると、その子の親が巻き上げ、親父の酒代に変わるかもしれません。その子供の手元に残るものは1バーツもないのです。

代わりにキャンデーをあげてみて下さい。子供は輝くような笑顔で、「もうひとつもらっていい?」とたずねることでしょう。もし、あなたがポケットに一杯のキャンディを持っていたのなら、あなたは子供の英雄となれますよ。その子は兄姉で分け合うからです。あの子たちは一人占めという悪習に染まっていないのですから。

_edited_4

こんな話もあります。ある国の山奥に電気を引く援助活動がありました。長い時間がかかり、大変な難工事でした。そして、初めの40Wの小さな灯火が点きました。村人たちは感動し、その日本人たちの手を握りしめてくれました。

だが、このケースは続きませんでした。なぜかを、次回考える中から、どうしてこのエンザロ村が成功したのかを考えてみましょう。

(続く)

■写真 カンボジアのシェムレアップの少女たちと、アンコールワットの石像のひとつ。まさにクメールの微笑。

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緊急シンポジウム  ウイグルで何が起きているのか?/ラビア・カーディルさん緊急来日!

46c1b2aa91b26f46a9a9db9023c136e8_3 緊急シンポジウム ウイグルで何が起きているのか?

【日時】
7月26日(日)
開場18:15 開会18:45

【場所】
国立オリンピック記念青少年総合センター
センター棟4Fセミナーホール(417)
※交通案内

【資料代】
2千円

【主催】
日本ウイグル協会 イリハム・マハムティ
D0123476_7575114 2009年6月26日、中国広東省の玩具工場で6000人の漢人が200人のウイグル人労働者を襲撃する事件が起こりました。事件の現場では、警察が5時間以上虐殺行為を放置し、中国政府は事件をまったく報道しようとせず、犯罪者を逮捕しようとも事件を究明しようともしませんでした。世界中のウイグル人がその虐殺事件を知ったのはインターネットにあげられた事件の動画や掲示板への書き込みで、それは事件に関わった中国人たちが「ウイグル人を殺してやった」と喜び自慢する、あまりにも残酷な内容でした。

その事件に抗議するために7月5日、中国ウイグル地域ウルムチのウイグル人大学生が中国政府に抗議するデモを行い、多くのウイグル人がそれに賛同しました。しかし、中国政府は平和的な抗議デモを武力鎮圧し、電話、インターネット、報道、全ての情報を規制。ウルムチでそして他のウイグル地域で何が起きているのか分からない状況が現在も続いています。たくさんの死者、逮捕者、強制連行されたウイグル人たちの安否は分からない状況です。それだけではなくウイグル地域や中国全土に住むウイグル人が安全に生活できているのかどうか、確認するのは難しい状態です。

中国政府は漢民族が被害者であり、ウイグル人は暴徒だ、テロリストだと嘘の情報を世界に伝えています。私たちは中国政府が行ってきた大量虐殺と人権弾圧の歴史について知っています。何故ここまで悲惨な事件が中国によって繰り返されなくてはいけないのか? 私たちは現在入っている今回の事件の情報を中心に、真実を世界に伝えるためにシンポジウムを行います。

パネリスト

イリハム・マハムティ
世界ウイグル会議日本全権代表 日本ウイグル協会会長

ペマ・ギャルポ
チベット文化研究所所長

石平
評論家

永山英樹
台湾研究フォーラム会長

青山繁晴
独立総合研究所代表取締役社長

西村幸祐
ジャーナリスト、チャンネル桜キャスター

今、我々にとって一番心配することはこれからなんです。たく さんの若い者らが逮捕されて彼らの運命はどうなるか? これからウイグル地域でのウイグル人への弾圧は一層、厳しくなるのは間違いないです。

弾圧するためのいろんな口実を中国が作っています。それは何かというと「今回の事件を計画して実行した主な犯人はまだ逮捕されていない」。これはもちろん口実を作ったもので、これでその人の情報を得ているとか、誰々がその人と関係があるとか、そういう理由でこれからたくさんの人が刑務所に入ってしまう。殺される。

実はそういう逃げた人がいるかどうかが問題なんです。私たちの考えではそういう人はいないです。何故ならウルムチ全域、その日その夜、全面的にコントロールした中国政府はそんな一人二人を逃げさせるわけはないです。その夜に殺されて遺体を隠され、この世の中にいない人間を探すという運動をやってたくさんの人々を逮捕する。刑務所に入れる。これからたくさんの人が被害に会うとおもいます。

死ぬ人がこれから出るんです。ですから、今までこの件に関心を持たなかった全ての国の国際的な組織とか、いろんな宗教の団体とか、それから全ての民主主義の国々の国会とか、その国を代表する議員たちらがこの件に対してはっきりと意見を出して、そのウイグル人らの命を助けてもらいたいです。

もしそういう組織、あるいは議員、あるいはそういういろんな団体と関係がある方がいらっしゃったらぜひこのことをアピールしてくれて、たくさんのウイグル人の命を助けてもらえれば大変ありがたいです。ウイグル人はみなさんが助けてくれたこと、やってくれたこと、絶対に忘れません。どうかみなさんよろしくお願いします。

イリハム・マハムティ(ネットラジオ番組 RFUJラジオフリーウイグルジャパンより)

■本記事は日本ウイグル協会HPを転載いたしました。

日本ウイグル協会HP

http://uyghur-j.org/urumqi_symposium_090726.html124701000233916105569

ラビア・カーディルさん緊急講演会

ラビア・カーディルさんに聞く――今、ウイグル人に何が起こっているのか?

◇◆◇開催趣旨◇◆◇

 7月5日夜にウルムチ(新疆ウイグル自治区)で起こったウイグル人の集団抗議事件が世界の注目を集めているが、事件の真相についてはウイグル人の声が発信されることが少なく、中国当局による映像と情報がもっぱらされている。

 そこで、在外ウイグル人のリーダーであるラビア・カーディルさん(世界ウイグル会議議長)を日本にお招きし、ラビアさんの知り得た事件の経緯と現状についてお聞きすることとした。また、事件の背景にあるウイグル人の置かれた状況、さらにラビアさん自身の体験についても語っていただく。

◇◆◇開催要項◇◆◇

日 時 7月30日(木) 午後6時30分(6時開場)~8時30分

○会 場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)

       http://www.arcadia-jp.org/access.htm

    

東京都千代田区九段北4-2-25

 03-3261-9921

    地下鉄有楽町線・南北線・都営新宿線「市ヶ谷」駅A1-1出口から徒歩2分

    JR中央・総武線「市ヶ谷」駅から徒歩2分

○参加費  500円(資料代として)

○お申し込み

 会場整理の都合上、事前のお申し込みをお願いします。下記の方法で「お名前」「ご住所」「お電話番号」をお知らせ下さい。

  Eメール rebiya0730seisaku-center.net

  FAX  03-6380-8215

  TEL  03-6380-8122

写真 ノーベル平和賞候補 世界ウイグル会議代表ラビア・カーディルさん

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エンザロ村のかまど ケニアのお母さんの悩み

_edited では、このカマドが出来る前まで、どんなことをエンザロ村の主婦はしていたのでしょうか。

主婦は地面に大きな石を3ツ並べて、その上に鍋を乗せて料理をしていました。

みるからに大変そうです。キャンプファイヤーならともかく、毎日のことです。このやり方は考えてみるまでもなくこんな大変さがあります。

まず腰に来そうです。中腰を長い時間続けていると、この絵のウガリ作りなど、トウモロコシの粉を練っているだけで腰痛になりそうです。

次に熱が無駄になっています。石の間からどんどん火が漏れているでしょう。これではせっかく苦労して集めた薪が無駄になってしまいます。

_edited_2 そして危ない。キャンプをやった人なら分かるでしょうが、裸火にうっかり子供が近づいて火傷をしかねません。また安定が悪いのでなにかの拍子に触ってしまい鍋ごとひっくり返りそうです。

お母さんにとって一番の悩みは、お湯を沸騰点まで沸かせなかったことでした。70度以上に沸騰させないと病原菌は死にません。しかし、沢山の料理を作った後に、またお湯を沸かすということはとても重労働で、お母さんたちには分かっていても出来なかったのでした。

お湯を沸かすという、私たち日本人からみれば簡単なことが、ケニアのお母さんにとっては大変なことだったのです。そのために細菌が入った汚れた水を飲んで乳幼児が沢山亡くなっていました。

水を汲む上流で家畜の糞尿が流れ込んだり、川上の村で病気が出たりすれば、その汚染された水をいやでも飲まねばなりませんでした。そのことによる感染病がいつもつきまとっていたのです。その犠牲になるのは、いつも抵抗力の弱い乳幼児や子供たちでした。

このケニアのお母さんたちの悩みを解決したのが、このエンザロ・ジコ、つまり「エンザロ村のかまど」だったのです。

(続く)

■すべての画像は「エンザロ村のかまど」さくまゆみこ 沢田としき(福音館)によります。ありがとうございました。

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エンザロ村のかまど ケニアの主婦の秘密兵器エンザロ・ジコが登場!

_edited 葦原微風様、コメントをありがとうございます。ぜったいに殺伐とはなりませんから、ご安心を!

夕御飯が始まりました。手を石鹼でよく洗って、さぁ自慢のウガリをいただきましょう。テーブルの真ん中にターメリック・ライス風にデンっと盛り上げられたのが、ケニアのお袋の味ウガリです。

ウガリは鍋にお湯を沸かして、その中にトウモロコシの粉入れて、しゃもじでグルグル練って作るのだそうです。一見するとピラフ風ですが、実は蒸しパンのようだそうです。蒸しパンかぁ、子供の時にロバのパン屋さんが売りにきてましたね。懐かしい。普通は手でちぎって、指で丸めてからくぼみをつけて、そこにオカズやスープをつけて食べるのだそうです。

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本日のメニューは骨つきチキンと魚のスープ2品 とスクランブルエッグの青菜添え、焼トウモロコシと揚げパン付きってところでしょうか。すごい品数!絵をクリックして大きくしてご覧下さい。

美味しそうですね。見ているだけで豊かな気分に浸れます。トウガラシで辛くするのかなぁ、なにか独特のスパイスを使っているのかしら?

ウルムチの民族料理には、なんにでもクミンシードがどどっとかけるんで参ったことがあります。店のおやじに手ぶりで「ちょっとちょっと、ちょっとだけネ」といくら言っても大ニコニコで、「そうかそうか、もっとかけて欲しいのか」とまぶさんばかりにされてしまいました。助けちくれぇ、舌がしびれるぅぅぅ。痺れて笑ったような顔を見て、ウイグルおやじ「そうかそうか、そんなにうまいか、もっとかけてやろう!」。

さてこの幾品も並んだ料理、ささっと出てきました。料理をおやりの方には分かると思いますが、食卓に数品並べるというのはハンパなことではありません。手順もさることながら、料理する火の数がだいたい2つに限られているからです。日本では電子レンジやオーブントースターまで動員しますよね。

しかし皆さん、このエンザロ村には電気がないんです。私の沖縄に入植した村も初めは電気がなかったのですが、プロパンガスのコンロひとつで料理するというのもなかなか大変なもんでした。あ、当然のこととして、このエンザロ村にはプロパンガスもありません。

ここで、奥さんのタマーラさんにその秘密を聞いてみました。彼女はにこにこと笑いながらその秘密に案内してくれたのです。それが3番めの絵です。エンザロ・ジコというそうです。エンザロ村のジコ。さてジコとはなんでしょうか。

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エンザロ・ジコとは、どこかで見覚えのあるような土のカマドでした。焚き口が1つに火口が3ツついています。同時に3種類の料理ができるのです。絵の一番左には水を沸かす鍋が見えます。子供がお湯を飲んでいますね。

この一見なんのことはないかまどは、ケニアの主婦にとって大発明だったのです。それについては次回お話しします。なんか私の口調までも、絵本的になってきましたなぁ。

(続く)

■すべての画像は、「エンザロ村のかまど」さくまゆみ 沢田としき(福音館)から引用いたしました。ありがとうございました。

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エンザロ村のかまど 村の小高い丘から

_edited_2 私は村を小高い丘から眺めるのが好きです。

涼しい風が吹く夏の朝や、黄金色の穂波を揺らす8月の末の午後にでも、一度私のお気に入りの村の峠にご案内したいものです。

村を見渡せる丘は正直です。その村が栄えているのか、苦しんでいるのか、村人が元気なのか、この村を去りたがっているのか、皆わかってしまいます。丘や峠は、そんな不思議な場所なのです。

「エンザロ村のかまど」という絵本は、この村をみる少年の背中から始まっています。彼が風に吹かれながら見下ろす自分の村は、活気に溢れています。ある人はマンゴーの実を落とし、ある人は牛を引き、乳を絞り、水汲みに行くお母さんや子供の姿も見えます。

_edited_3

このエンザロ村はガーナの首都ナイロビを朝たった自動車が、夕方に到着する距離にある谷間の村です。エンザロという名は、砂粒という意味で岩を砕いて砂にするのが産業です。

この村には2千人の人が住んでいます。村の中心にある大きな建物は、学校と診療所です。電気はありません。

大部分の人は農家で牛やウズラを飼ったりして、自給的な暮らしを営んでいます。主食はウガリというトウモロコシを練ったもので、お母さんの自慢の一品です。ご飯の話の前に泊めていただいたリハンダさんの家をご紹介しましょう。リハンダさんは元校長先生でした。今は引退していますが7人の男の子がいます。

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ああ、いかん!とても面白い本なので、こんな調子でご紹介していると何回連載になるのか分かったものじゃない!え~、というわけで、このエンザロ村に来た私たちはとんでもなく懐かしいものを発見することになります。

(続く)

■すべての画像は、「エンザロ村のかまど」さくまゆみ 沢田としき(福音館)から引用いたしました。ありがとうございます。

■スキャーナーで絵を取り込んだのですが、あまりにクリアなので、自分でも驚いています。昨日の記事のトップの表紙もアップし直しました。

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エンザロ村のかまど 一冊の本から第3世界援助を考えてみよう

_edited ちょっといい本のご紹介です。福音館から出されている「エンザロ村のかまど」という絵本です。さくまゆみさんが文、そして沢田としきさんが素敵な絵を描いています。

エンザロ村を知っている日本人はほとんどいないと思いますが、アフリカのケニアは知っているかもしれません。そこで日本の知恵が、思いもかけぬ貢献をしているというお話です。

私は若い頃に海外青年協力隊というところに行きたかった時期がありました。ただ、その時は教えられるような農業や建設の知識がなかったので、どうしようかなぁ~と思いつつ、自分の農場作りにかまけてしまったというわけです。今でも旧フォスタープラン(現「プラン・ジャパン」)や、JVC(ジャパン・ボランティア・センター)などの発展途上国支援団体に、できるだけのことをするようにしています。

さて、この本の面白さはなんと言っても日本の農の知恵から生れた民の技術が、そのままアフリカの農村の中で再び甦って、人を幸せにしていることです。 

_edited_3今でもアジアやアフリカに行くと、えっなんでこんなことで皆んなが大変な思いをしているんだ、ということにぶつかります。たとえば水汲み。ネパールの少女は頭に大きなバケツを乗せて、数百mもの谷から水を汲み上げて登って帰り、家の水桶を満たしています。これを一日に十回もせねばなりません。ほんの小学生3年くらいの、骨の固まらないような女の子がです。

また、これもネパールで見たことですが、煮炊きに使う小さなカマドには煙突がありません。となるとどうなるのでしょうか。お察しのように、煙や煤が狭い台所に立ち込めてしまうのです。そして多くの女性が眼や肺を患っていました。ひどいと失明や肺疾患になることすらあるそうです。

農業技術も、お世辞にも高いとはいえず、輪作体形をとらない場合が多い上に、堆肥を作る習慣がないので地味がどんどん瘦せていってしまいます。特にトウモロコシなどを山の斜面に植え続けていると、斜面の土がガタガタに瘦せて崩れてしまいます。そしてせっかく作った段々畑が壊れたり、ひどいと川を土砂で埋めてしまい、大雨が降ると水害を起こしたりもするそうです。

こんなことは大がかりな政府援助などではなく、私たち普通の人の支援ができるはずです。この本は、そんなことを思いついた人達のお話です。

(続く)   

■写真下 タイのシェムレアップの道ですれ違ったトラクターの荷台に乗った兄妹たち。子供は万国共通、荷台に乗ってぶんぶん風に吹かれて走るのが大好きです。それにしてもただ荷台にいるだけなのに、なんかカッコいい!

■ゆっきんママ様、コメントをありがとうございます。マクロ撮影機能は大体どのような機種でもついていると思います。ロータリー・セレクト・スイッチでチューリップの花のマークがそうです。(すべてのメーカー共通)機種によって接近できる限界の距離は違っていて、説明書に50㎝とか書いてあると思います。また、マクロにすると、ちょっとした手ブレで画像が流れますので、必ず手ブレ防止を入れて下さい。 

▲ときわ様、コメントありがとうございます。あ~仰せのとうりカンボジアでございました。タイにもあったんすか。知らなかった。シェムレアップって「タイを追い払った」とカンボジア現地で聞いていたもので。おもしろいですね。                                  

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ぐっと近づくことから始まる我流写真術

_edited_4 もはや明け渡し寸前の江戸城と化した自民党の愚劣極まる内紛と、ヒガシコクバルの名前が出てくるたびにテレビを切っている私です。ああ、うっとおしいな、皆んな海に流されて、魚の餌になってしまいな!

さてさて、写真の話を進めましょう。私の撮り方は単純明解です。昨日の一番上の写真と、2枚めの写真を比べて下さい。同じカラスウリの花ですが、1枚めは徹底的に接近して、ファインダー一杯になるほどまで近づいて撮っています。デジタルマクロという機能を使用しています。

私は昆虫や野草の写真には、ほとんどこのマクロ撮影機能を使っています。これと手ブレ防止機能を組み合わせると、昔のカメラで三脚、望遠レンズでしか出来なかった蝶の繊細な脚や羽根の表情まで写しとれて、自分でもたまげることがあります。

ところで昨日の2枚めですが、通常に構えてパチっとやったものです。なんかヘソがないというのか、説明的というか、写真としてはさっぱり面白くありません。

その次の、本日の一枚めはコケモモ酒の瓶を撮ったものですが、次のと比較して下さい。どちらも素人芸ですが、私がブログで使うとしたら、間違いなく上の写真です。夏の陽を通して透明に輝くルビーのようなコケモモにびっくりした自分の気持が伝わってくるからです。2枚めは、単にこんなものが出来ましたという説明写真に過ぎません。ただし、レシピの工程写真ならこちらのほうがいいかもしれませんが。

写真とは、自分が今何に驚いているのかを伝えるツールです。だから、感動したものにグイグイ近づいて、その心のときめきを自分で納得しようとします。

_edited_2 子供の絵の批評を頼まれた棟方志功を見たことがあります。彼は自分も子供のようになって、子供の絵をむさぼっているのです。彼はときおりヒーとか、ハーとか感嘆の声を発し、鼻をすりつけんばかりにして見入っています。そうそう、彼は極度の近眼でもあるのです。そして「いい、みんないい!天才だ!」と叫びます。

しかしその時、彼がちょっと顔をしかめた絵が何枚かありました。「大人の手が入っている。つまらない」。一見技術的にはうまいようでいても、大人の手が入った絵は、感動の芯が薄められてしまうのです。

子供は自分の関心を中心に絵を描きます。だから全体のバランスが崩れた構図にもなるし、写実的ではまったくありません。子供によっては父親の顔というお題の時に、鼻の穴だけアップにしたという受け狙いの愛すべきバカもいます。

しかしこれでいいのです。私は写真や絵は、自分のびっくりを他者に伝えることだと思っているからです。びっくりすると、驚いたものに近寄ってみたくなるでしょう。しげしげと見たくなりますよね。ところが、大人はえてして、対象全体をおとなしくフレームに入れようとしてしまいます。

例えば昆虫ならば、その全体像を入れ、なおかつ大人の哀しさで、その周囲まで写し込もうとしてしまいます。虫がいるとして、こんな所に止まっていましたみたいな説明までもそこでしようとしてしまう。結局最初の感動より、大人の理性の方が勝ってしまったんですね。しかし、写真は図鑑写真でもない限り、その必要はありません。

うわっと驚き、ぐっと近づき、バチバチ撮る、寝ころんで見上げて撮ったり、木の上に登ったり、腹這いになって虫のような気持で撮ったりしてみると、世の中が別物に見えてきますよ。

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びっくりすることから始まる我流写真術

Img_0020bianca様、葦原微風様、ゆっきんママ様、てん様、コメントありがとうございます!ほんとうにコメントは励みになるんです。何もいただけないと、確かに勝手に書いているようなもんですが、暗闇にボールを投げているようで、ちと寂しい。

暗いよぉ、狭いよぉという閉所恐怖症のガキのような気分になっちゃいます。どんなことでもいいので、いただければ嬉しい。と言っても減反問題5連発、ウイグル5連発なんかやっていると、まぁ確かに読む方はつらいですよね。(←妙に自分で納得)。 

さて、今日はゆっきんママさんのコメントに刺激されて、ちょっと写真について書こうかと思います。このところ写真を撮るのが大好きになって、外仕事の時もコンパクトカメラを作業服に突っ込んで、これというものがあるとすかさず撮っています。カミさんから「こるらぁ、仕事をやっているかと思えば、カメラなどにはまりおって!」と叱られています。いやまったく、デジタル・コンパクトカメラが私の生活を変えたと言っても大げさではありません。

_edited 写真は子供の頃から好きで、親父からもらったペンタックスの自動測光カメラでパチパチやっていました。当時の自動測光は今のデジタル処理とは1光年くらい違うもので、ファインダーの右横に針がつーっと動いて真ん中に来るとよっしゃというもんでした(ああ懐かしい)。あんまり頼りになる代物ではなく、大体の勘で露出を決定していました。この露出の決定というのが難儀なんです。

さて、デジタルは福音でした。高いフイルムに縛られない、現像代金がかからない、したがって好き放題に撮りまくれる、おまけに引き延ばしをせずにPCの大画面で見られる、気に食わないものは人様にお見せして失笑を買う前にささっと削除して証拠隠滅してしまえる、そしてなんと言っても自分のブログにアップしてうっとり出来るというわけです(←はた迷惑な!)。

(続く)

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この手の空っぽは、きみのために空けてある

_edited 樹は植えておくもんだと思いました。

今朝、待望の雨があってようやく気温が下がりましたが、蜃気楼でもたつかというようないきなりの炎暑。

その時に、母屋に緑陰をなげかけてくれるのが2本の大きな欅の樹です。欅がなかりせば、ジリジリとした太陽に炙られてとてもではないですが、住んではいられません。特に屋根裏の寝室は悲惨ですね。屋根一枚、外は太陽ギ~ラ、ギ~ラですから。

だいたいがグータラの私たちですが、唯一先見の明があったと自分でいい子、いい子、しているのが植樹でした。樹だけはせっせと植えました。裏山からこっちの水は甘~いゾと移住願ったもの、植木屋やDIYで苗を買ってきて植えたもの。そして勝手に実で繁殖しているもの、それぞれ由緒は異なるものの、いまやちょっとした森の中にいるようなところまで育ちました。

特に大樹となる欅は無理をして大きな苗を買いました。それから約15年以上たって、いまや大樹の風格さえ備えてきました。

_edited_2 左の写真は母屋ができたばかりの光景です。上の写真とほほぼ同角度で撮っています。雪のせいもありますが、実にシンプル、なんもない。

車が直に玄関に横付けできたんですねぇ。忘れてました。今は、はるか手前の「森の入り口」で降りねばなりません。

これから入植する新規就農者の人にいつも言うのは、樹は住む場所が決まったらすぐ植えること。30㎝の苗が10年たてば大きな樹になって、緑陰を作ってくれるから。そして樹は、風雨から私たちを守るだけではなく、君たちの生きてきた記憶を覚えていてくれるから。樹は梢を風に揺らせながら、こう言っています。

この手の空っぽからっぽは、きみのために空けてある。

■最後の一節は、認知症の母親や病死した妻を題材に、命をうたう藤川幸之助氏の詩集の表題から頂戴しました。PHP研究所から出ています。ぜひご一読をお勧めします。

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トンボのメガネは、まぁるいメガネ

Photo 梅雨が明けました。うっとおしい日がつづくと、ぶつくさ言うくせに、カッと暑くなると、すぐにふへぇ~とへたばります。

わが農場はトンボがスースーと涼しげに飛翔しています。立てたホオズキの支柱の枝の上で、まったりとしたモーニングタイムを楽しんでいらっしゃいます。思わず、「コーヒーのお替わりをお持ちしましょうか」と声をかけたくなる優雅さです。

このトンボは図鑑で調べたのですが、よく分かりません。たぶんシオカラトンボの雌ではないかと思います。雄は青っぽいのですが、雌は黄色で、まるで別な種のようです。

Img_0044

次の写真は別な機会に撮影したものですが、一見同じようですが、色がややくすんだ黄色で、体形もやや大型です。

単なる個体差なのか、それともまた別の種なのでしょうか?分かる方、教えて下さい。

しかし、なんともかとも警戒心ゼロで、私が昆虫フェチの鳩山邦夫氏か、かつてのような悪ガキならば、たちどころにゲットされてしまいます。私が今は上品な紳士になっててよかったね。

Img_0039_2

ほら、この上の写真なんか見て下さいよ。下から見上げて撮っているんですぜ。自慢ではありませんが(あ、やっぱり自慢か)、図鑑を色々見ましたが下から見上げてトンボを撮った写真はなかったようです。

私の腕がいいのか、人柄がいいのか、単にトンボにもバカにされているのか、はたまたトンボが居眠りでもしていたのか。

それにしてもトンボの優美な肢体はゾクッと官能的ですらあります。透き通った複雑な文様をもつ四枚のハネ、太めの腹から一気に尻尾がすっと細く伸び、種によってはそれすら透き通っています。アールヌーボーでよく題材にされたのもうなずけます。

ナツアカネも飛び出しました。しかし、アカネちゃん一族はなかなかすばしっこくて、私如きには撮らせてもらえません。ああ、また夏来りぬ。

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琉球独立派友人からの手紙

_edited 私は沖縄の焼き物であるヤチムンが好きです。その鮮やかな藍の色彩、踊るようなグルクンの姿、素朴な手触り、まさに日本を代表する民窯です。

このウイグルの悲劇の稿を締めくくろうとした時に、年来の沖縄の友人からメールが来ました。彼は混じりっ気なしの琉球独立論者です。常に「俺は日本人ではない。琉球民族だ。文句あっか」といっている男です。その彼がこういってきました。了解を得て掲載させていただきます。

今回のウイグルの事件を俺ら独立派も注視している。沖縄は第2次琉球処分の時に(*明治国家成立直後の1879年、琉球国の廃絶、廃藩置県による沖縄県の成立のこと)、清国にすがる形で独立を保つ可能性があると思っていた。しかし、当時の琉球国の支配層には、独立を維持する能力がなく、結果として沖縄は中国領土になっていたかもしれない。

_edited 7月5日のウルムチの虐殺事件を見て、そうならなくてよかったと正直そう思った。中国の「琉球族自治区」などになった時に、俺たちのような沖縄の真の独立と自立を求める琉球独立派がどのような目に会うのかよく分かった。俺などとうの昔に監獄か、墓場行きだっただろう。しかも門中(*もんちゅう・一族郎党のこと)丸ごと連座してね。

今まで琉球独立派は、ヤマトしか見ていなかったと思う。ヤマトやアメリカに対する、基地や戦争への恨みと怒りを告発し続けることこそが、大事なことだと思ってきた。

それは間違っていないと思うが、眼が東に行き、距離的には本土より近い中国という巨大な存在を忘れていたことを、今回思い知った。

124727744480316417495琉球独立派には、ヤマト・本土政府への反感から、どうしても中国へのシンパシーが潜在的にあったのは確かだ。ひと世代前の人など、いざとなったら中国人民解放軍に来てもらうさ、などと内輪では公然と言っていた人もいたしね。

俺はとんでもないことだと思うよ。今はまだ頭が混乱していてうまく言えないが、独立は他国の力に頼ってはダメだ。そんなことをすれば支配者を変えただけで、百年居すわられて奴隷にされる。独立は民族の魂だ。それを今回俺は,ウイグル人に教えてもらった。

ともかく俺ら琉球独立派も、ウイグルに平和と自由が来ることを心から祈っている。小さな声だが、沖縄からも届けと叫ぶ、フリー・ウイグル!東トルキスタンに自由を!

*本記事は事情により、メールそのままではありません。私がリライトしております。

■写真1・2  金城吉彦作 名工金城次郎さんのお孫さん。次郎さん一門の若手ですが、私はいちばん好きです。

■写真3  東トルキスタンの国旗である青天牙月旗 イスラム諸国を中心として抗議の声も高まっている。撮影者AP通信

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ウイグルの原爆 まさに悪魔の所業

_editedウイグル問題に首を突っ込んで、まぁなんて言うのか、怒り疲れたという気分になっています。 知れば知るほど、どうしてこうもひどいことになっているのか種は尽きまじ、なのです。

今回は国家により秘匿され続けてきた、核実験場としての被曝地ウイグルです。

ウイグルで核実験が行われていたことは薄々日本でも知られていました。しかし、それがどのような規模と回数をもって、何回行われたのかについては、まったく闇の中でした。というのも、中国が相手だと毎度のことですが、中国政府はまったく核実験について公表しないからです。

ですから、ウイグルに隣接するカザフスタンでの観測資料と、日中友好協会(「正統本部」ではない方)から中国研究者の平松茂雄氏が入手した資料によって、日本放射線防護センター代表・幌医科大の高田純教授が「中国の核実験 シルクロードで発生した地表核爆発災害」(医療科学社)という労作にまとめたものしか、この世には存在しないことになります。

_edited_2いや、正確にいうならば、英国のテレビ局が記録映画「死のシルクロード(Death on the silk road)」を放送して、フリーランスの映像作家に与えられる最高の賞を受賞しています。しかし、これも日本においては公開されていません。(*youtubeで見られるそうです)

さて、高田教授の本を早速Amazonから入手して読みました。衝撃的な内容です。今までこのような事実が世界に明らかにならずに隠蔽されてきたこと自体に、哀しみとも怒りともつかない気持にさせられます。

高田教授は、このウイグルでの中国の核実験の規模とそれが与えた放射線被曝の影響をこう報告します。

ウイグル人の暮らすウイグル地区のロプノルで中国当局は1964年10月16日から1996年に渡って、0・2メガトン級~4メガトン級の地表、空中、地下で延べ46回、総爆発エネルギー20メガトンの核爆発実験を行っている。うち、放射線災害として最も危険な地表核爆発を含む大気圏実験を、少なくとも1980年までに21回実施した。

ウイグル地区の当時の平均人口密度の推定値6.6~8.3人/平方キロメートルから、死亡人口は19万人と推定される。また、健康影響のリスクが高まる短期および長期の核ハザードが心配される地表の推定面積は、日本国土の78パーセントに相当する30万平方キロメートルに及ぶ。

D0123476_2222492 この延べ46回、総爆発エネルギー20メガトンという規模と回数自体信じ難い回数です。そしてそのうちの21回は最も放射線被害が危険だと言われ、現在いかなる国も実施していない地表核実験と大気圏内核実験だという衝撃の事実です。

そして更に驚くことはこの核実験が、なんと人口稠密なウイグル族居住地域の付近でなされたことです。

中国では、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の楼蘭付近で、核実験を行い、周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染をもたらしていた。

1981年まで継続的に降下した大量の核の粉塵によって、胎児に影響を与え、奇形の発生や、若い世代の白血病や癌の発生を引き起こすなど現地住民への大きな健康被害が多数発生した。しかし、中国共産党政府は核実験のことを公開しない上に、核実験による被害の事実を極秘に隠蔽した。

この周辺住民に核実験自体を秘匿し,避難もさせることなく実施するということ自体おおよそ近代国家では考えられもしないことです。私もかつて毛沢東思想華やかなりし時代に、原爆のキノコ雲に向けて突撃をする多数の人民解放軍兵士の姿を見てびっくりしたことを思い出しました。その時のナレーションも忘れられません。たしか「毛沢東思想で強く武装した兵士は放射能すら恐れない」でしたか。たぶんあの兵士の一団で、5年先まで生き延びた者はいないはずです。

_edited_3これと同じ過ちは、アメリカも犯しており、ネバダ州の核実験場で原爆爆発直後の地域に兵士を突撃させて、多くのガンと白血病患者を生み出しました。これは兵士が訴訟をしたために、世界の知るところとなり、「アトミック・ソルジャー」と呼ばれました。

しかし、確かに彼らは気の毒であっても、核兵器に対して無知であったためです。核実験が実施されることは知らされていたはずです。しかし、付近の住民はそれすら知らされず、空中から長い時間をかけて降り注ぐ大量の放射能の粉塵と、放射能汚染された地下水で生活をすることを強いられたのです。

アメリカ軍のアトミック・ソルジャーたちは裁判で「私たち は原爆の人体実験に使われた」と訴えましたが、ウイグル民族はまさに数十万人単位で「原爆の人体実験」に供せられたのです。

中国がかつて実施した最大規模の核実験は4メガトンに達したが、旧ソ連の核実験を上回った10倍の威力だった。実験により大量に落下した「核の砂」と放射汚染は周辺住民計19万人の命を一瞬にして奪った。放射線汚染の影響を受けた面積は東京都の136倍に相当、中国共産党の内部極秘資料によると、75万人の死者が出たという。

そして高田教授はこう結論します。

核を持ち、核実験を実施した国はいくつかあったが、人口密度のある居住区で大規模な核実験を実施するのは中国だけだ、周辺環境への影響をまったく考えずに、まさに悪魔の仕業と言っても過言ではない。

(続く)

■写真最上段 前回お話したカミさんが担いできたモロッコ製の錫の大きな盆。これにも細密な金属彫刻がなされています。

■写真4番め ネバダ実験場の核実験。凍りつくような恐ろしい光景です。このなかを突撃させた軍部の正気を疑います。アメリカ人の核へのどうしようもない無知が恐ろしい。これと同質の恐ろしさを燐国は持っています。

※東京五輪との関係は間違っていましたので、削除しました。

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2009年7月5日、ウルムチで何が起きたのか?  自国民に銃を向けた中国政府

_edited_2イスラム圏を旅していると、金属装飾好きの私やカミさんは、旅の終わりにはまるで金物屋と化してしまいます。空港でキンタンに反応してビービー鳴るし、カスタマーでは何これ?と聞かれるし、第一重いしね。

カミさんなど、直径80㎝はあろうかという錫(ピューター)の大きなお盆を抱えてモロッコから帰ってきたことがありました。到着ロビーからまるでローマ時代の楯のような巨大なお盆を引っ提げて出てきた時には、さすが私も驚きましした。なんでも、タジンというクスクス料理を盛るそうです。

イスラムの彫刻は、偶像が宗教的に禁止されているために、細緻な発展を遂げました。一般庶民が使う上の写真のような銅製の薬罐でも凝った文様が彫り込まれています。これはウルムチの隣街であるカシュガルの職人街で買ったものです。

店の奥で、オ ヤジがトンカンと薬罐を叩き出し、小学生くらいの伜が店番をしていました。数十個の薬罐や鍋がシルクロードの風にガランゴロンと鳴り、金物好きな私を飽きさせません。いつかまた行くと心に決めながら行きそびれているうちに、こんな悲惨な事件が起きてしまいました。

M965787月5日のウルムチで、正確に何が起きたのかは未だ闇の中です。

当局の公式発表すら時間を経過するごとに死傷者数が鰻登りしています。世界ウイグル会議は、死者を1千人から3千人と伝えています。当局の発表とは桁が違います。

また、現地ではようやく行方不明者の登録が開始されました。この行方不明者だけで膨大な数になると思われます。

このウルムチの悲劇は、国際調査団が入らない限り真相が明らかにされることはないでしょう。しかし、中国政府がそのようなものを受け入れる可能性がゼロである以上、亡くなった多くの人々は恨みを呑んで葬られることになるのでしょうか。

しかし外国メディアの取材でおぼろげな状況は分かってきつつあります。朝日新聞の7月12日のウェブから引用します。

以下引用

「デモは平穏に始まった」…ウイグル騒乱、そのとき何が 

 【ウルムチ=奥寺淳、西村大輔】中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区ウルムチ市内で起きた大規模な騒乱から12日で1週間になる。当局の発表だけでは事実関係はわからない。何が現場で起きていたのか。騒ぎが拡大した経緯を、目撃証言からたどった。 ウイグル族のデモは北京時間の5日午後6時ごろ、市中心部の人民広場近くで始まった。非公式の現地時間で午後4時ごろにあたる。同日昼、「合法的に政府に抗議しよう」という携帯メールが出回っていた。「平和的だった」とウイグル族は口をそろえ、漢族の飲食店員(31)も「暴力をふるう様子はなかった」と証言する。

 だが警官らが立ちはだかり、一部が衝突。多くは大通りの解放南路を南下し、付近のウイグル族が次々と合流。規模が膨らみ、制御がきかなくなっていった。

 衣料品店員(27)は午後8時ごろ、解放南路でデモ隊と出くわした。すでにれんがや棒を持っていた。ほかの市民とともに隊列に加わり、「自由が欲しい」「ウイグル族よ団結しろ」と叫んだ。デモ隊は治安部隊に前後を囲まれ、石を投げて抵抗した。

 M27941前方の治安部隊が空に向かって警告射撃を始め、その後、水平に撃ち始めた。タタタタと銃声がし、50人ぐらいが倒れた。下半身を狙っているように見えた。銃弾が脇腹に命中し、苦しむ女性がいた。「帰れ、解散しろ、早く行け」と治安部隊が叫ぶ。

ウイグル族のある男子高校生は、解放南路の交差点で三方から治安部隊がデモ隊を囲み、発砲するのを見た。路地や団地の中庭などに逃げ込むデモ参加者を治安部隊は発砲しながら追い、拘束した。

発砲を目撃したウイグル族住民の男性(45)は「午後9時すぎ 、大勢の警察が遺体を引きずって片づけていた」と証言する。

 ウイグル語ウェブサイト「祖国ウイグル」の情報によれば、5日、ウイグル族と警察の衝突は市内4カ所で起きた。ウイグル族居住地区の山西巷では17人が警察の車にひかれて死亡したという。

 ウイグル族の男性会社員が怒りを込めて話した。「民衆を銃弾でねじ伏せた点では天安門事件と同じだ」     (朝日新聞7月12日3時5分)

引用終了

各種の報道を整理してみるとこのようになります。

①7月5日の午後6時頃。広東省韶関市で起きた漢族のウイグル族殺人事件に抗議して、非暴力的なデモが自然発生した。

②この平和的なデモに対して、武装警察が阻止線を張り、鎮圧した。ウイグル族関係の情報ではこの時、不審な者が多数現れて、バスに放火を始めてデモを混乱させたと証言している。このような挑発者が平和的なデモ紛れ込んで、暴徒化させる手段は、一昨年のチベット「暴動」時にも使われた。

この段階で新疆の外部とのインターネット、電話回線は切断された。

③午後7時半頃、これに抗議して市内のウイグル族が集まり始め、「ウイグルに自由を!」と叫ぶ3千人から4千人規模の大きな抗議行動に発展した。民衆の一部は武装警官に対して投石で抵抗した。また、興奮したウイグル族による漢族襲撃もあった(この事実は世界ウイグル会議も確認している)。

124743636505216209827午後7時半から8時頃。人民政府は武装警察に対して無差別発砲を許可した。最高責任者の胡錦濤は不在だったが、中央政府の命令なくして、自国民への発砲が許可されるとは思えない。

⑤武装警察の 自動小銃による発砲は、病院に搬送された遺体や負傷者の多くが、ウイグル族と漢族を問わず、頭や胸に被弾していることから、無差別発砲だったと思われる。この無差別発砲により、ウイグル族、漢族双方に千名を超える膨大な死傷者を出すこととなった。このような膨大な死傷者は、ウイグル族「暴徒」による投石では説明しきれず、組織的な虐殺行為、ジェノサイドがあったことを物語っている。

ウイグル人の居住区である天山区の通りでは、戦争が終わったばかりの惨状で、大勢の死傷者と死体が路上に横たわっている。

⑥この事件による逮捕者は1,434人。一晩の逮捕者としては異常に多い数字である。当夜集まったウイグル民衆が3千人規模と見られるので、うち千人以上が死傷し、1,500人が逮捕拘束されたことになる。つまり、集まったウイグル族民衆で無傷で家に帰れた者はごく少数だったということになる。

124743729285116211949現場にいたウイグル人高校生の証言によれば、武装警察により、解放南路の交差点で三方向から包囲され、三方から射撃を受けたという。これは警察活動ではなく、むしろ軍事的な制圧行動と呼べる。

ロイターの記者はグランバザールの横にある中国銀行の窓に弾痕を発見した(左上写真)。この弾痕は、弾丸が水平方向から発射されており、窓が頭の位置であることから頭部を狙い打った連続射撃であることを証拠立てている。

翌6日に、意外なことに政府当局は外国メディアに取材を許可したが(*チベット「暴動」では封鎖期間が長期に渡った)、当局者に率いられた取材ツアーであり、中国政府の公式見解(ウイグル族暴徒の漢族への襲撃事件)と異なる報道は禁止された。それを無視した外国メディアが多数拘束された。その中には日本人記者もいる。そのような当局の隠蔽工作にもかかわらず、家族の安否を心配するウイグル女性が、外国メディアに必死の訴えをし、真相が徐々に明らかになった。

124700948270416232593⑧7日。漢族による組織的な暴力デモがあった。漢族は公然と武器を所持し、わが者顔にウイグル族の商店や居住区を襲撃した。この時、武装警察はまったく黙認し、制止すらしなかった。これは外国メディアの眼前で行われたために、多くの証言と写真の証拠がある。

⑨現在、治安は平常に戻ったとされているが、ウイグル族に対する事後逮捕が大規模に続けられている。また、密告が奨励され、両民族の間には決して埋めることの出来ない亀裂が刻まれた。

⑩国際的人権団体アムネスティ・インターナショナルは7月6日に声明文を発表し、この抗議行動で亡くなった人々に対して、「透明かつ独立な調査が必要である」と指摘した上で、逮捕されたウイグル人の釈放を求めた。

東トルキスタンのイスラム教モスクが閉鎖された。現在に至るも現地のインターネットと海外電話通信は切断されている。

残念ながら、わが国も含めて各国の反応は鈍い。

(続く)

■写真2番/8日ウルムチ市内に進駐する武装警察軍。撮影者AFP■写真3番/屋上より携帯で撮られたジェノサイド。撮影者不明。■写真4番/ウイグル族老人に自動小銃を向ける武警。「武装警察」を名乗っているが、実体は迷彩服を着用し、自動小銃と装甲車で武装した軍隊。撮影者共同通信■写真5番/市内中心部の中国銀行の窓の弾痕。人の頭位置に連続射撃されている。撮影者ロイター。■写真6番/武装警察の横を堂々と武装して通る漢族。撮影者ロイター。

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ウイグルは誰のものか?

_edited 私がウルムチに行った1990年代には、ウルムチはまだウイグル族の街のたたずまいを失ってはいませんでした。

路ばたでハミウリというまるでラグビーボールのような大きな瓜を買い、宿の井戸水で冷やして皆で分けて食べました。皮も果肉も淡いレモンイエローで、たっぷりと甘い果汁を含んでいました。午後ともなると、あまりの暑さに表を歩く人も減り、たまにロバががたごとと荷車を引き、大きな網籠に入ったアンズや葡萄などを運んでいます。男性は皆小さなイスラムの帽子、婦人はスカーフ姿でした。帽子は丁寧な刺繡が入っていて、様々な意匠があるようです。

見かけた街の楽器屋で、上の写真の五弦楽器を買いました。なんという名前なのでしょう。聞きましたが、覚えられません。弾いてもらうと、なんとも枯れた涼やかな音色が奏でられました。思わず拍手をすると、楽器屋のオジさんはちょっと嬉しげに、奥さんにウイグルのコーヒーを出すように言い、近所から仲間を呼んでの五人のオジさん合奏会となってしまいました。もう私のことなどそっちのけで一生懸命です。そして演奏を終わっての、ムスリムですからコーヒーでの乾杯と握手。ほんとうに楽しい記憶です。このようにウルムチは、活気の中にも人の温もりのあるほんとうにいい街でした。

そしてこのウルムチから、カシュガル、タシクルガン、パミール高原、クンジュラブ峠を超えて、パキスタン領に入り、楽園のフンザ、ギルギット、そしてイスラマバードに至る数千キロの旅を続けました。その間、私の背にはこのバスタオルに巻いた名も知れぬウイグルの弦楽器、ザックには薬罐2個がガランガランとぶら下っていました。旅の教訓、旅の初めにデカイものと、うるさい金物は買ってはいけない(笑)。

D0123476_7575114さて、当時から既にウイグル族の土地への漢族の侵入は開始されていました。ウルムチは、ウイグルの経済の中心地であっただけに特にその度合いがひどく、伝統的な家並みの調和を破壊するように巨大なビルが立ち並び始めていました。ホテル、オフィスビル、官庁街など、それはほぼすべて漢族の所有によるもので、もともとの先住民であるウイグル族は、旧市街の片隅に追いやられていきました。

1949年、つまり元々のウイグルには、漢族はわずか4%しか居住していませんでした。それが、独立を奪われてから20年ほどたった70年代末には、新疆全体に占める漢族の割合は 30%に増加し、更には2000年には40%、そして現在ではウイグル族とほぼ同じ人口を持つに到りました。

つまり、先住民族と、独立を奪って入植してきた漢族がほぼ同数となってしまったのです。これはたまたまそうなってしまったのではなく、その背景には中国政府の強引な政策的な植民政策があります。

それどころか、ウルムチでは漢族が75%にも達し、先住民族をはるかに凌ぐという有様になっています。もはやウイグルの土地は、ウイグル人のものではなく、金と権力を使って奪っていく漢族のものになりました。

124700798800016101427ウイグル族は、漢族から「ウイグルの犬」と蔑まれて差別され、漢族が経済のすべてを握ってしまったために経済格差と失業に見舞われています。漢族がウイグルの天然資源を安く買って、工業製品を高く売るということをしたためです。

そして、ウイグルの天然資源である豊富な石油は、中国の3割にも達する埋蔵量を持つために、開発が急速に進められた結果、自然破壊は目を覆うものがあります。

ウイグルはまた、核実験の実験場として数十回もの被曝地ともなりました。1964年年から1996年にかけて、地表、空中、地下で延べ46回、総爆発エネルギー20メガトンもの核爆発実験を行っています。(札幌医科大の高田純教授「中国の核実験 シルクロードで発生した地表核爆発災害」)

先住民族であるウイグル族と、支配民族である漢族が、中国政府が謳うように平等であり、また自治区という名にふさわしいものであるかどうか、7月5日の虐殺と、7日の漢族の武装襲撃が明瞭に物語っています。

3番めの写真のこん棒を持ってのし歩く男たちの群は、7月7日の漢族の報復襲撃時ものです。こん棒や鋭い鉄パイプで武装し、ウイグル族の商店や居住区を襲撃しました。 124700584429916331573

4番めの左写真は外国のメディアが撮影した漢族のウイグル人の商店を破壊し、焼き払っている時の画像ですが、画面左上(*赤で囲っただ円・クリックして拡大してください)のヘルメットを被った武装警官が自動小銃を持って警戒しているのがわかりますか。驚くべきことに、まったく制止する様子がありません。銃口もまったく別な方向を向いているのがわかります。

官憲が黙認する中、漢族がウイグル族を襲撃したことが、この写真から手に取るようにわかります。そもそもウイグル族が手に武器を持って行進することすらありえないことです。写真にみえるような官憲の前で、暴力的な示威行進をすること自体が、現在の中国では不可能です。官許のもの、いや中国公安当局自身が手を回して煽動している疑いすらあります。

D0123476_7595162_2私がそう指摘する根拠は、5番めの左写真をご覧ください。公式発表でも千人を超える死傷者を出した、ウルムチ「暴動」の翌日、7月6日の写真です。外国メディアに必死の訴えをするウイグル女性の抗議を、武装警察が楯とこん棒で容赦なく殴りつけています。胸が悪くなり、口に苦いものが湧き出すような画像です。

行方不明の家族を探して抗議する、非暴力のウイグル女性に対しては非情な暴行を働きながら、方や屈強な漢族男性の暴力的示威行動は黙認し、あろうことか略奪、放火まで許容する。このどこが民族の「平等」なのでしょうか!なにが法治なのですか。そしてここのどこに「和諧社会」(調和社会・中国政府のスローガン)があるのですか?

本来、ウイグルはウイグル人のものでした。2度に渡る独立建国運動で、「東トルキスタン共和国」であった土地です。他民族の国に侵攻してわが領土とし、その名も「新疆」、即ち「新しい領土」と悪びれる風もなく改名し、数百万人の膨大な漢族を送り込む。そして支配民族として増殖し、奪い、差別する。

かつて、北米大陸で、中米、南米大陸において、オーストラリアで、タスマニア島で、パレスチナの地で、そしてチベットなど無数の地域でなされてきた悲劇が、21世紀の現代においても生き延び、むしろ拡大され、増殖し続けていることにいいしれぬ怒りを感じます。

(続く)

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ウルムチの悲劇

_editedこの世は不条理で満ちていると思うときがあります。またもや、中国で少数民族であるウイグル族の「暴動」がおき、少なくとも中国政府当局の公表した数字では、死者140人以上、負傷者828人にのぼります。

また、ウイグル世界会議が、ウルムチ現地からの情報として伝えるところでは、死者は500人を超え、1000人という驚くべき数に登っているとも言います。

124690572572716210125 7月5日に起きたウイグル民族の「暴動」は、初めは非暴力的な平和デモであったことは明らかです。これはyoutubeにアップされた動画や、左の市民撮影の映像からも確認することができます。いたって平穏な市民デモであり、一般の国ならば、まったく問題のない合法的な抗議デモであることが確認できるでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=T24eO8AnG2k&feature=related

しかし、この平和的なウイグル族のデモに対して、武装警察(武警・治安用準軍隊)と、特別警察(特警)が進路を阻み、強制排除に乗り出しました(写真下・市民撮影)。なぜ自動小銃と装甲.車で武装する武警が、このように早い時期に投入できたのかといえば、それはウイグル族の住む新疆ウイグル自治区、あるいはチベット自治区には、常に大量の武警と軍隊が常駐しているからです。

124690608446116128822 そして武警とウイグル民衆とが衝突し、その一部が暴徒化し漢族の市民を襲撃し、バスや警察車両を焼き払ったという映像や報道が繰り返しなされました。それはこの数日の新聞、テレビでご覧になったと思います。

ところが不思議なことには、この暴徒化するデモやバス焼き討ちの映像は新華社と国営CCTVの官製報道のもので、市民撮影の映像にはないのです。(上の写真は市民が携帯で撮影したもの・下の炎上するバスは新華社の発表)

124690789054116314135 これも通常の民主的国家ではありえないことです。もし、日本で150人もの死者を出すような騒乱が起きたのなら、ありとあらゆる膨大な映像と情報が飛び交うことでしょう。

ところがこの警察国家というのもおこがましい中国においては、少数民族がデモをすると同時に、インターネットと外部への電話が切断されます。このウイグル「暴動」も、その発生と同時に遮断されました。

試みに、現在の中国がいかなる一党独裁の全体主義国家なのかは、Yahooチャイナを検索されるとわかるでしょう。「六・四」、「天安門事件」を検索してみて下さい。出て来ないはずです。すべてがフィルタリングというインターネット統制に引っかかってしまうからです。

124700835908216300910それどころか、中国国内でそれを検索すれば、したアドレスまで逆探知され、その時からあなたは常に、公安警察の監視下におかれることでしょう。

しかし、それをくぐり抜けるようにして、市民が撮影した映像や情報がTwitterなどを通して秘かに外国に伝えられました。あまりにむごいので、アップはいたしませんが、この中には虐殺されたウイグル市民の遺体の映像もあります。

いったいなにが7月5日、ウルムチで起きたのでしょうか。手に入る資料で見ていきたいと思います。

(続く)

■最初の写真 私が96年8月に、今回の事件の起きたウルムチで買ったウイグル族の銅製のポット。イスラム独特の微細な彫刻がなされています。

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すごいなぁ、でも相当に違うなぁ・・・トキワ養鶏さんのテレビ報道を見て

Img_0008 先日のこと、見るともなく夕方のテレビニュースを観ていたところ、フランスのムシュー・ナンジャラというシェフが、日本で選りすぐりの食材を集めて開いたフェアが、報道されていました。

ほほぉーってなかんじで観ていると、旧知の青森のトキワ養鶏さんが出てきました。T養鶏と書こうかとも思いましたが、褒められている番組だからいいよね。トキワさんとは、もうかれこれ10年以上の知り合いです。パル・システム生協を通してでしたが、率いる石沢さんという東北人独特の朴訥な構えの中にも、才気迸る経営にいつも驚かされ続けてきました。

元々はケージ養鶏の中堅規模の法人でしたが、この5,6年の間に平飼養鶏へと転換を計ってきました。石沢さんの経営のアンテナは、常に鋭く時代の一歩先を読んでいました。例えば、BMW農法というバクテリア(B)、ミネラル(M)を水(W)を通して家畜に吸収させ、また畜舎の床にも散布することで菌相を豊かにし、汚臭や汚水を浄化する農法にも率先して取り組んできました。そう言えば、今のBMW技術協会の会長は氏でしたね。

Img_0009 また、去年からの飼料の高騰の先を予め読むようにしての飼料用米の作付けを大規模に行うなど、つねにチャレンジし続ける精神には頭が下がります。

飼料用米についてはちょっと批判もありますが、しかし現実に地元行政を巻き込んで実際に現場で使うところまで仕立て上げるというのは並大抵の力ではありません。

今回、初めて鶏舎の内部をテレビで拝見しました。正直な感想を言えば、同じ平飼養鶏といっても、なんて違うんだってかんじでしょうか。なまじ同業だから違いに眼が行くのかもしれません。

まずテレビクルーは、身体を清めるということで隣の温泉で洗浄されます。これはヤラセか、石沢さんのせっかく遠くまで来たんだから、温泉でも楽しみなさいという心優しいサービスでしょうね。無菌豚じゃあるまいし、平飼養鶏は諸々の菌との共存が前提の哲学ですから。

と思ったところ、鶏舎内部に入る氏の姿が異様なのです。なんと白衣とマスク、頭には抗菌の帽子、とうぜん白長靴のいでたち。いわゆる対ウイルス防除ファションですな。

大手のイセ・ファームあたりのウインドレス(無窓)鶏舎という精密器械工業の工場もどきならともかく、同業者の平飼養鶏でここまでやっている所は初めて見ました。おまけに、舎内はビニールカーテンで密封されて、開放鶏舎ではありますが、通風のない事実上の密封鶏舎です。作業通路と鶏舎内も同じくビニールで仕切られていました。これは過酷な東北という地の風土も考慮に入れる必要があるでしょう。

そして思ったより、鶏(岡崎横縞という小松種鶏場の最新作でしたが)の飼育密度が高いのです。ちゃんとカウントしていませんからなんとも言えませんが、どう見ても多いなぁ、という実感。

Img_0003_2私の地は、冬もマイナス5度を超えることはない温暖な地です。ですから、冬場も、ビニールすら張らずスカスカの通風で、トリさんは耐えています。ですから、寒さに耐えるために羽根の下の羽毛がびっしりと生え揃ってきます。

また、私の養鶏の根っこの哲学は、「いい菌、悪い菌、皆んな一緒に共存する中で初めて強い鶏ができる」というものですので、作業通路の分離、消毒槽の設置、トリインフル防除のための網など、最低限の防疫はしていますが、トキワさんのような対ウイルス装備で仕事をすることなど考えられもしません。だって、あれ暑いんですよ。息苦しいし。

平飼養鶏といっても色々あるのですね。私のような様々な菌や自然状況との共存を大事にしている所もあり、トキワさんのようにきちっと管理して防除するという考え方もあるようです。

たぶん東北の過酷な寒気を考えると、このような密封した鶏舎が必要ですし、その中で病気を予防するためにはあのような厳しい防除措置も必要なのでしょう。なにが正しい、間違っているという次元ではなく、その地方地方の環境の中からそれぞれの養鶏哲学が生れていくのだなと思いました。

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友人から頂いたコケモモと全粒粉

_edited 昨日来訪したパン工房をしている友人の中村さんから、全粒粉のライ麦と、コケモモを頂きました。

全粒粉のほうはかすかに異臭がするということで、商品にするパンには使えないということでした。トリさんにやってほしいとのことで、わざわざ雨の中を持ってきてもらってしまいました。

彼は小麦から一貫して作っているパン工房「ハーブプラネット」の主です。今は、次男が継いで、彼のほうはツリーハウスなどを作っています。農園と農産加工の工房を両立することは大変で紆余曲折がありました。麦の品種自体が、グルテン含有量の関係で、なかなかパンに合わなかったりもしたようです。どうしても堅いパンになってしまったといいます。

元来、パンは寒冷な西欧ではかなり保存がきくもので、週に一回村の共同のパン窯でオカミさんたちが談笑しながら焼いたものだそうです。とうぜん、いわゆる白パンではなく、堅いカンパーニュ系です。もちろん、全粒粉です。カンパーニュとは田舎風という意味のフランス語ですが、薄く切ってトーストにすると絶品です。ほら、本格的なパン屋さんに置いてある、あの丸い粉を吹いた大きなパンです。

_edited_2 カンパーニュは彼の工房でも作っていますが、残念なことに、あまり売れないとのこと。日本人のパンの嗜好は、どうしても瑞穂の民の主食である白米に引きずられるようで、柔らかくふわふわの白パン、イングリッシュ・ブレッド系がお好みなようです。

イングリッシュ・ブレッドは、別名ホテル・ブレッドというように、毎日泊まり客のために厨房で焼いて、その日の内に食べてしまうために保存性は要求されませんでした。

日本人はその日に炊いたご飯は、その日の内に食べてしまうという食生活をもっています。たまに3日めのご飯に生卵をかけて食中毒を起こす人があっても、知~らないっと。米自体が保存性がいいために、こういう食べ方ができるわけですね。

中村さんはえらい凝り性の人で、16世紀風のカンパーニュ・ブレッドを再現するために、石窯まで自作してしまいました。これで焼いたパンは手間隙かけただけの値打ちがあります。

さて、このコケモモ、クランベリーに似ているが違うそうで、かなり酸っぱいのですが、コケモモで作ったコンポート(甘煮)やジャムは香りと、その鮮やかな赤い色は素晴らしいそうです。リカーに漬けたコケモモ酒も美しいとか。

■ハーブフラネット 天然酵母のパン工房 取り寄せもできます。ぜひお試しを。http://o.tabelog.com/otrdtl/2100/

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サイゴンっこの大好物・ハスの実の砂糖漬け

_edited ベトナム人は蓮の実を食べます。特にサイゴンっこの大好物だそうで、私たちがまぁセンベイか、甘納豆を食べるってかんじです。

街角に腰を下ろしたスゲ笠をかぶったおばちゃんも、年中お茶を飲みながら、ボリボリとやっておられます。

ちなみにオールアジア的なことですが、ベトナムでも男より女の方がはるかに働きます。沖縄も牧志の公設市場などに行けば、これとまったく同じ風景が見られます。沖縄の男が女性から捨てられる最大の理由は「甲斐性なし」だそうです(苦笑)。

そうそう、蓮の実の砂糖漬けですが、味はまさに甘納豆といったところ。見かけは一見ポップコーンのようですが、似ても似つかないボソボソという食感で、蓮の実といわれなかったら何だか日本人には分かりませんですなぁ。

_edited_3 日本に来たベトナム人の妻と娘を生き生きと描いた、近藤紘一さんの名作「サイゴンから来た妻と娘」にも、東京に来た生粋のサイゴンっこのカミさんが、蓮の実を食べたいばかりに、不忍池の蓮をこっそりと採りにいく爆笑シーンがありましたね。

ついでに蓮の葉は、魚をくるむんで蒸す時に使います。もちろん蓮の根っこは大ゴチソウ。蓮を食べ尽くすとは、いかにも東南アジア一の喰いしんぼう、サイゴンっこです。

わが県南は蓮の日本一の産地ですが、蓮の花が咲くシーズンにともなると、タイの出稼ぎの人達が、まずは土浦近辺で蓮田で蓮の花を伏し拝み、次は牛久の大仏を見に行くという観光のゴールデンコースができるそうです。

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うちの市にも有機農業推進協議会が出来たけど・・・第5回 地域協議会は下から積み重ねるのが王道

_edited

私は地域協議会は、地道に下から立ち上げるのが王道だと思っています。上から網をかけるようにしては難しいと思います。回り道でも、ひとりひとり、一団体、一団体に声をかけて回り、会合を持ち、一杯飲みながらでも現況の困っていること、取り組んでいることを話し合う、こんなことから始めるしかないのです。

思いつくだけでも、それは色々あります。後継者問題、新規就農者の研修問題、耕作放棄地の取り組み、放棄水田の再生、地域の有機農業の直販所づくり、里山の復興、都市住民との交流拠点、学校給食、バイオマス利用、堆肥素材の交換、種子交換などなど、数限りなくあります。

_edited_2現に、Nさんの微生物農法の会はこの数年積極的に耕作放棄地を開墾しています。私たちのグループは今年の5月に直販所を作りました。研修生の受け入れも経験してきました。直販所は地域の有機農産物が持ち寄れる場にしていくつもりです。これには一団体の力だけでは無理で、地域の有機農業者の協力が要ります。

まずは集まる、酒でも飲む、そして少しでも垣根を取り払い、出来ることを話合う中から協議会を見ていきたいと思います。農水省のモデルタウン助成もその中で自ずと各団体が関われるポジションが決まっていくことでしょう。

(この稿終わり)

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うちの市にも有機農業推進協議会が出来たけど・・・第4回  タコツボに入っていた有機農業者

Img_0001_2 地域をまとめあげるだけの力量がある農業団体と、その連合体が有機農業の世界にはありません。

これは全国レベルでも、各地域でも大同小異です。

日本有機農業研究会(日有研)は全国組織であり、わが国最古の老舗ですが、小規模農家が中心であり、法人の農業団体とは立場や利害が必ずしも一致するとはいえません。また、全国有機農業団体協議会(全有協)も、未だ各県レベルでは根っこがあるとは言い難いものがあります。

となると、有機農業推進法が出来ても、その地域で受け皿となるべき組織や、その地域的連合体が不在な以上、国が「各地方自治体に有機農業を支援する政策を作れ」という有機農業推進法は、具体的には誰に向けての法律なのか実態が見えにくいということになります。

Img_0007 県の有機農業推進フォーラムを作ってみてわかったことは、同じ有機農業者といっても、長年の間に培ってきた農法技術や、経営に対しての哲学が驚くほど異なっていたことです。私たちのグループのように直営農場15ヘクタールを会社方式で耕作する農業法人と、2ヘクタールていどの規模で有機農業に取り組む小規模農家は、技術的考え方はとうぜんとして、利害すら異なるのです。

おまけに、有機農業30余年間の歴史は、それぞれに自分の消費者、流通団体のみを相手にする狭い縦割り構造を作ってしまっていました。ここをあえて崩していこうという内発的な理由が今までなかった、というところがわが行方地域の現状でした。

つまりは私たち有機農業者は自分たちだけのタコツボを堀り、互いに干渉せずに、自ままに生きてきたのです。そしてそれをあたりまえだと思ってきました。このような人達に互いにネットワークを作り、地域作りに向かって行く気が起きるでしょうか。互いに違っていることが分かりきっている同業者と連携を取るということは、案外苦痛なもんです。

しかし時代はこのような閉鎖的な体質を濃厚にもつ有機農業者を、イヤでも表の空気に触れさせることを求めました。時代の要請としかいいようがありません。社会は有機農業を求めており、消費者の要望も大きくなっています。この不況の時代にあっても、3割ていどの価格差では、有機栽培を買うでしょう。

そしてそれのみならず、地域での慣行農法の行き詰まりを解決するには有機農業の長年蓄積してきた環境調和的な知恵と技術が必要だったのです。そして今まで有機農業を異端扱いしてきた農水省すらもが、有機農業推進法を受けて舵を大きく転換させました。これが有機農業によるモデルタウン構想事業だったのです。

だが残念なことに、私たちにはそのような時代の要請を真正面から受けとめる力が不足していたのです。

(続く)

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うちの市にも有機農業推進協議会が出来たけど・・・第3回 農水省モデルタウン事業の魅力と危険性

_edited_4 さて、このような疑問がむくむくと胸中に湧く中で、代表呼びかけ人のIさんの冒頭挨拶がありました。

この中で、Iさんは「この申請が農水省に受理されることを確信しています」と述べました。これで納得しました。ああそうなのか、やっぱりアレなのか、と。

「アレ」とは、農水省の有機農業モデルタウン助成事業のことです。農水省は一昨年に、有機農業推進法を受けて、独自の有機農業支援策を出しました。これが、モデルタウン事業というもので、総額が5億円、各地の応募対象地に対して毎年約400万円を5年間(*09年度申請だと4年間)に渡って交付します。つまりこの申請に通れば、一地域で約1600万円にも登る助成が受けられることになります。

実は、私はこの農水省モデルタウン事業を、当初の段階から知っていました。茨城県有機農業推進フォーラムの代表として農水省の説明会に直接出向いたからです。そしてそれを持ち帰って、県フォーラムの役員会でも何度となく討議されてきたものだからです。

Photo_2 県推進フォーラムは、このモデルタウン事業の魅力とその危険性を考え抜きました。確かに魅力的ではあります。今まで一切の国の支援なき荒野で孤軍を強いられてきた有機農業にとって、頼もしい支援であることは間違いありません。国の意気込みも評価します。

また行政と協同することが義務づけられているために、今まで有機農業に後ろ向きだった地域の自治体行政を巻き込んで地域有機農業運動を進めることの意味は、とても大きいと思われます。

またその支援方法も、従来型助成の堆肥舎やトラクターなどの箱ものを対象にした政策ではなく、広く地域の有機農業を拡げていくためのすそ野作りを目的にしていることも好感が持てました。

しかし、農水省は複雑な有機農業の実態をまったく理解していませんでした。農水省は、従来の慣行農法のようにJAが取り仕切ることを無意識にイメージしていたに違いありません。

今までの日本ではJAと行政は一体化して、地域農業を指導管理してきました。ですから、このモデルタウン事業構想はこの従来のやり方の踏襲だったと思われます。しかし残念なことに、この認識は現状の有機農業が生きてきた地域の実情と大きくかけ離れていたのです。

それについては次回ということで。

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