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ぐっと近づくことから始まる我流写真術

_edited_4 もはや明け渡し寸前の江戸城と化した自民党の愚劣極まる内紛と、ヒガシコクバルの名前が出てくるたびにテレビを切っている私です。ああ、うっとおしいな、皆んな海に流されて、魚の餌になってしまいな!

さてさて、写真の話を進めましょう。私の撮り方は単純明解です。昨日の一番上の写真と、2枚めの写真を比べて下さい。同じカラスウリの花ですが、1枚めは徹底的に接近して、ファインダー一杯になるほどまで近づいて撮っています。デジタルマクロという機能を使用しています。

私は昆虫や野草の写真には、ほとんどこのマクロ撮影機能を使っています。これと手ブレ防止機能を組み合わせると、昔のカメラで三脚、望遠レンズでしか出来なかった蝶の繊細な脚や羽根の表情まで写しとれて、自分でもたまげることがあります。

ところで昨日の2枚めですが、通常に構えてパチっとやったものです。なんかヘソがないというのか、説明的というか、写真としてはさっぱり面白くありません。

その次の、本日の一枚めはコケモモ酒の瓶を撮ったものですが、次のと比較して下さい。どちらも素人芸ですが、私がブログで使うとしたら、間違いなく上の写真です。夏の陽を通して透明に輝くルビーのようなコケモモにびっくりした自分の気持が伝わってくるからです。2枚めは、単にこんなものが出来ましたという説明写真に過ぎません。ただし、レシピの工程写真ならこちらのほうがいいかもしれませんが。

写真とは、自分が今何に驚いているのかを伝えるツールです。だから、感動したものにグイグイ近づいて、その心のときめきを自分で納得しようとします。

_edited_2 子供の絵の批評を頼まれた棟方志功を見たことがあります。彼は自分も子供のようになって、子供の絵をむさぼっているのです。彼はときおりヒーとか、ハーとか感嘆の声を発し、鼻をすりつけんばかりにして見入っています。そうそう、彼は極度の近眼でもあるのです。そして「いい、みんないい!天才だ!」と叫びます。

しかしその時、彼がちょっと顔をしかめた絵が何枚かありました。「大人の手が入っている。つまらない」。一見技術的にはうまいようでいても、大人の手が入った絵は、感動の芯が薄められてしまうのです。

子供は自分の関心を中心に絵を描きます。だから全体のバランスが崩れた構図にもなるし、写実的ではまったくありません。子供によっては父親の顔というお題の時に、鼻の穴だけアップにしたという受け狙いの愛すべきバカもいます。

しかしこれでいいのです。私は写真や絵は、自分のびっくりを他者に伝えることだと思っているからです。びっくりすると、驚いたものに近寄ってみたくなるでしょう。しげしげと見たくなりますよね。ところが、大人はえてして、対象全体をおとなしくフレームに入れようとしてしまいます。

例えば昆虫ならば、その全体像を入れ、なおかつ大人の哀しさで、その周囲まで写し込もうとしてしまいます。虫がいるとして、こんな所に止まっていましたみたいな説明までもそこでしようとしてしまう。結局最初の感動より、大人の理性の方が勝ってしまったんですね。しかし、写真は図鑑写真でもない限り、その必要はありません。

うわっと驚き、ぐっと近づき、バチバチ撮る、寝ころんで見上げて撮ったり、木の上に登ったり、腹這いになって虫のような気持で撮ったりしてみると、世の中が別物に見えてきますよ。

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コメント

はい!
ご指導ありがとうございます♪
でも・・・やっぱりブナガヤさんは腕がいいんだと思います。
ほんとお上手!
ところで・・・マクロ機能ってどのカメラにもついていますか?
私もやっとお財布は忘れてもカメラは忘れずに持ち歩くようになりました♪

投稿: ゆっきんママ | 2009年7月19日 (日) 07時55分

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